パ・リーグのクライマックスシリーズ、その第1戦をテレビで観ている。
ボクにとって、プロ野球を見るのは久しぶりだ。
さすがに身体の大きさ、スピード、スタンドの雰囲気、どれも学生野球とは違う。
ただ、戦況にボクの意識が行くことはない。
正直言ってどちらが勝ってるか、スコアを見てもすぐに忘れてしまう。
ボクの意識が向くのは、時折テレビに映る日本ハム・ 梨田昌孝
監督と
オリックス・ 大石大二郎
監督の姿で思い出す
「在りし日の近鉄バファローズ」のこと。
例えば 「伝説の10・19」 。
大石大二郎
(静岡商高-亜細亜大-近鉄)。
この日、大石は二塁手としてダブルヘッダーにフル出場しており、
第2試合9回裏、すでに優勝はなくなったのに最後の守備についていた。
涙を見られないように帽子を目深にかぶっていた大石の姿を思い出す。
(後日、ビデオを見て知ったことだけど)
梨田昌孝
(浜田高-近鉄)。
第1試合、代打で登場し決勝の一打を放ったのがこの梨田。
ただその直前、代打は当然自分だろうと思い、
ベンチを出て素振りを繰り返していた。
だが、 仰木彬
監督(当時、故人)はなかなか「代打、梨田」と主審に告げず、
イライラしながらコールを待っていたっけ・・・
(これも、後日ビデオで知ったこと)
あの時、同じチームにいた二人が、
大阪ドーム(旧称)で監督として戦っていることで、
年甲斐もなくボクはつい感傷的になってしまうのだ。
ボクはあの「10・19」を川崎球場でナマ観戦したことで、
プロ野球にも「命がけ」とも形容できる凄まじい試合があることを
同じ空間で体験できた。
それがいい思い出であることは間違いない。でも弊害もあった。
本当に旨いものの味を知ると贅沢になり、それ以外のものはクチに
しなくなるのと同様、「10・19」以降はプロ野球が味気ないものに
見えてきてしまったのだ。
そんな事情があって、ボクのプロ野球観戦数は激減し始めた。
いまトーナメント方式などのアマチュア野球好きになった理由には、
そんな事情がある。
「10・19」に関して、wikipediaで新しいエピソードを見つけた。
少し長くなるけれど、原分のまま引用します。
1988年、開幕から独走した首位西武を近鉄が後半追い込み
一進一退の首位争い。西武が先に全日程を終了し近鉄は残り4試合。
10月17日の阪急戦で痛恨の敗戦を喫し、優勝するためには残る
ロッテ3試合に全勝するしかなくなった。
「ああ、ダメか・・・」という思いのナインを乗せたバスは翌日の東京遠征に備え、
そのまま名神高速を走り京都へ移動。沈痛な車内で大石大二郎は、
後方にいた佐々木(修)に「何か・・・頼む」と促す。
佐々木はスックと立ち上がり声をふりしぼってこう唄いだした。
「 飛ぶ雲飛ぶ声飛ぶボール 飛ばせ雲までボールよとどけ!
」。
それは近鉄の球団歌だった。期せずして車内は大合唱となる。
大の男たちがボロボロ泣きながら自分達の球団歌を絶唱する光景を背に、
仰木彬監督は「これで負けても悔いはない。チームがひとつになったから・・・」
と熱いものがこみあげた。それが10・19のダブルヘッダーとなった。
(サンケイスポーツ、2007年5月19日)
さて、クライマックスシリーズ。まだ試合が続いている。
いま9回表、日本ハムの攻撃中。
最近引退した某選手は盛んに 「仰木監督・・・」
と名前を連発していたが、
このCSで勝利した監督にこそ(どちらでも)、
仰木さんのことを語ってほしいものだとボクは思っている。
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