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「少女ポリアンナ」という物語があります。どんな苦しいとき、かなしいときでも、そのなかに、いいこと、うれしいこと、楽しいことを見つけつづける少女の物語です。そんな気持ちをみんなが持ち合えたら、世界はどんなにか平和になるだろうか…と、ふと思います。70億人も人類がいれば、1人や2人や3人…もっとあまり好きになれないひとがいても不思議ではないけど、自分が好きになれないひとのことを、魅力的に思い、大好きに思うひともいるのだから、世のなかっておもしろい。だから成り立っているとも言えると思うのです。演劇は「こころをあつかう活動」だから、ときにはぶつかりあったり、もめたりすることもあるかもしれないけれど、それも含めて、最後には全部かけがえのない体験になっていくのだと思います。どうでもいいひとのことは忘れちゃうけど、思いっきりけんかしたひとのことは、いつまでも覚えていたりするものですから。(笑)私は、青葉にかかわった一人ひとりが大好きです。おとなも子どももみんな一所懸命で、それそれに精一杯に生きている。みんなが一人ひとりそれぞれの輝きに満ちていると思います。そんなみんなと出会えた私はしあわせだなあって、つくづく思っているのです。ブログは閉じるけれども(当面は削除はしない予定ですが)、みんなのことが大好きで、応援している気持ちはこれからも変わりません。これからもサイコーにすてきなミュージカルをつくりつづけてほしいです。そして、そんななかで、ときに、すれちがいや行きちがいがあったとしても、いつかまたつながっていけるってこと、忘れないでいてほしいなあ。だって、この地球のうえで生きているかぎり、本当につながりを断つことなんて、できないのですものね。それでは本日で、ブログの更新を終了します。長いあいだ、お読みいただき、ありがとうございます。こころからお礼申し上げます。
2011.08.31
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------ひとの気持ちがすれちがうのは、しかたのないことだと思います。生きてきた歴史もちがえば、価値観もちがいます。家族でさえも同じというわけにはいきません。ときにはぶつかりあうことがあっても、それはそれで、人間なら当然だと思います。ただ、そのときに、お互いを尊重しあいながら、お互いの思いをきちんと伝えあえる関係でありたいなあ…ということを強く思います。その意味で、きびしいご意見をくださったこのかたとも、直接お話ができたら、どんなによかったかなあと思うのです。たとえ意見の一致を見なくても、ああ、このひとは、そのような思いで生きているのだと、じかに感じることができれば、意見はちがったままでも、どこかつながるところが見いだせるような気がするのです。このブログの掲示板で、意見のすれちがいが起きたときも、すれちがいそのものは問題ないと私は思っていました。ただ、自分という存在をかけがえのないものとして思うと同時に、自分以外の、意見のことなる存在をも尊重したうえでのコミュニケーションであってほしかったなあという思いはあります。結果として、掲示板を閉じなくてはならなくなったことは残念ですが、でも、それもすべてはこのブログを運営してきた私に責任があると思っています。10年かけて伝えてきたと思ったメッセージ(つながる思い)は、本当の意味で伝わるものになっていなかったのだと思います。いえ、こうして書いていても、受け止めてもらえるだけの説得力を、私がもっていなかったのだと思います。観客のかたからきびしいご意見をいただいたことも、そのことを自覚せよというメッセージなのかもしれません。ブログを閉じることにしたのは、私が、いろいろな意味で、自分の責任を自覚するということです。私の自覚が不充分なものであったために、せっかく書き込みをしてくれたみんなにも、もしかしたら不快な思いをさせてしまったかもしれません。そのことをお詫びしておきたいと思います。※明日で、ブログの更新を終了します。 書き込み・メッセージもできなくなります。
2011.08.30
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------2010年の「こどもの国物語2010」が終わって、しばらくみんなとは会う時間もないまま、ときを過ごし、3月13日の解散式で、久々の再会となりました。本当はこの日別の予定が重なっていて、出られないはずだったのですが、2日前に起きた東日本大震災のため、そちらの予定がなくなり、急きょ参加することができるようになりました。参加できてよかったです。ところが、解散式のあと、事務局のかたとお話ししていて、びっくりすることを聴きました。今回の公演は全体に評判もよく、アンケートでもたくさんのかたが「感動した」と書いてくださっていたのですが…。その後、事務局に、観客のおひとりから電話があり、そのかたは大変にきびしい口調で、「舞台には感動したが、脚本に問題がある。この脚本家をおろすべきだ」と、おっしゃられたというのです。さらに、このかたは、事務局だけでなく、区議会議員さんなどにも、同様の電話をかけられたらしいというお話でした。事務局では、私の気持ちを気づかって、この電話のことは、伏せたままにしていてくださいました。それで、私も、このことは、この日まで知らずにいたのです。また、そのかたと直接お話ししたいと思いましたが、連絡をとっていただくことは、かないませんでした。脚本の解釈は、一人ひとり異なっても当たり前だと思います。このかたがどのような解釈をされたのかはわかりませんが、それはそれでありだと思います。それよりも、わざわざお電話をされて、「脚本家をおろすべきだ」とまで言われるお気持ちの背景には、一体何があるのだろう…と、思わずにはいられませんでした。昨日も書きましたが、私はこのように考えています。>すべてのいさかいは、事実がどうあるかではなく、>そのひとのこころの痛みからくる…と、私は考える>ようになりました。痛みと痛みがぶつかりあうとき、>それが、怒りになったりかなしみになるのだと。そのかたに、そこまでの感情を起こさせる痛みとは、一体何なのだろうと思うと、私自身が、胸をしめつけられるような思いがしました。お互いの痛みをわかちあうことで、つながれるよ…と歌った「わかちあえば」も、このかたの胸には届かなかったのだろうか…と。また、今回の作品のなかにも書いたように、マザー・テレサが言われたことば「私は反戦集会には出ないけれども、平和の集会になら出ます」…そこから、ことなる立場のものを否定するのではなく、つながりあえるところに目を向けてほしいという思いも、このかたには、受け止めてもらえなかったのかな…と。もちろん、お芝居を見て何を感じるかは一人ひとりちがって当然ですから、こちらの思いどおりには思ってもらえなくてもしかたはないのですが、やっぱりさびしい気持ちにはなってしまったものでした。※あさってで、ブログの更新を終了します。
2011.08.29
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------話は少し前後しますが、2007年の有志上演のとき、新作は無理なので、それまでの作品から4つの曲を選んで、それを軸に作品を構成しました。そのうちのひとつが「すべてはつながる」だったのですが、この「つながる」ということは、私が青葉ミュージカルに10年間かかわってきての、一貫したテーマであったように思います。これまでさまざまな場で、多くのひとたちが自分とはことなる考えのひとたちを批判したり、ちがうということで対立したりするのを見てきました。私自身例外でなく、そんな状況におちいったことは何度もあります。そしてそんな光景が、世界じゅうどこでも、繰り広げられています。ひとのいのちはせいぜい100年しかないのに、どんなに生きても出会えるひとの数は限られているのに、なぜひとはそうやってあらそいあうのか。ちがいではなく、つながりを見て生きることはできないのか。ずっとずっと考えつづけてきました。歌は、私にとって、祈りのようなものだなあと思うことがあります。歌詞を書いているとき、歌うことによって、子どもたちがこの思いを感じ取ってくれるとうれしいなあと思ってきました。そして、本当はみんなつながっているんだよ…という思い(祈り)をこめた歌が、「すべてはつながる」でした。その続編ともいうべき歌を、2010年に書きました。それが「わかちあえば」です。すべてのいさかいは、事実がどうあるかではなく、そのひとのこころの痛みからくる…と、私は考えるようになりました。痛みと痛みがぶつかりあうとき、それが、怒りになったりかなしみになるのだと。だから、すべてをわかちあえば、怒りもかなしみも消えると思うのです。お互いの痛みを感じあうことで、つながることができると思うのです。「チャイナタウン」のなかの「なぜわかりあえないの?」(「闇のなかから」)という問いは、「浦島伝説」の「なんのために生まれてきたのか」(「海の祈り、陸(おか)の夢」)でこたえをさぐり、「すべてはつながる」を経て、たどり着いたのが「わかちあえば」だったのです。10年をかけてきた私の思いは、伝わっているのでしょうか。それとも、そんな思いは、絵空事に過ぎないと一笑に付されるでしょうか…。※「ハヤブチノヌシ、帰るとき」と「青葉水物語」は、けっこうまじめにブログを書きましたので、ここでは割愛します。あと3日、どうしても書き残しておきたいことを書いたら、このブログを閉じます。(削除は当分しない予定ですが、書き込みもメッセージもできなくなります)
2011.08.28
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------たった10回の稽古で20分の劇をつくりあげる。子どもたちは本当にがんばってくれました。今年は上演ができないというなかで、有志上演とはいえ、劇ができることがうれしかったのだろうと思います。このとき中心になって支えてくれた子たちは、いま、中学3年生~高校生になっています。年月のたつのは早いなあと思います。翌年転校で九州に行ったJ君、元気にしてるかなあ。そんなことを思い出します。そして翌2008年。青葉ミュージカルは再開になりました。うれしかったことは、舞台監督や音響や照明などのスタッフのひとたちまでもが、「よかったね」と、本当によろこんでくださったことでした。今日はこれから出かけて帰宅は明日深夜になります。つづきは、あさってになると思います。
2011.08.26
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------2006年は、「愛しのチャイナタウン!」の再演でした。再演をおこなったのは、このときがはじめてです。また1月の公演は稽古が真冬であまりにも寒いということで、この年の公演は9月になりました。再演で、ストーリー的には大幅には変わらないものの、さまざまなものが新しくなりました。参加人数のちがいもありましたが、装置も変わりましたし、振付もずいぶん変わりました。おもしろいなあと思いました。が、ショックなこともありました。この年、事務局は、2007年度の休演を決めました。青葉ミュージカルの財政は、毎年かなりきびしい状態がつづいていました。また、運営はすべて完全ボランティアで、かかわるひとたちの負担は、並大抵のものではなかったのです。もちろん、子どもたちのすばらしい舞台と最高の笑顔は、充分にその見返りとなるものです。それでもやっぱり、限界に達していたのだと思います。「来年は休演します」と告げたのは、「チャイナタウン」の公演が終わったその日、会場でのお疲れさまの会の席でした。子どもたちが泣きだしました。「絶対に再開してください」「再開したら絶対に参加する」と、口々に言ってくれました。いまでも鮮明に思い出します。でも、2007年が半分過ぎても、再開についての連絡はきませんでした。もしかしたら、スタッフのもとには来ていないだけで、事務局では準備をすすめていたのかもしれませんが、私は「2008年の再開にまにあうのかなあ」という気がして、ちょっと心配していました。そんなとき、たまたま、小学生の劇を上演する団体をさがしている、という情報が入ってきました。「中学生が何人か入っていてもいいですか?」というと、OKとのこと。さっそく、関係者に許可をもとめて、有志での活動というかたちで、参加することで話を進めました。実は、このブログをスタートしたのは、それがきっかけだったのです。そのあたりのことは、こちらに書いてあります。私も久々に読みかえしました。なつかしいなあ。 (明日につづきます)
2011.08.25
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------私は北海道の出身です。でも、北海道に住んでいた時間よりも、本州に出てきてからの時間のほうが、すでに長くなってしまいました。それでも、自分のなかで流れる時間の感覚は、いまだに北海道なのです。ふるさとってそういうものだと思います。だからたとえほろびてしまったとしても、こころのなかで、ずっとずっと生きつづけるのです。けっしてなくなることはないのです。そんなことを思って書いた詞です。ひとが記憶に何かを残すときは、五感をともなうのだと思います。「私たちは知らない」は、うしなわれた自然のすがたを、目で耳で感覚で、思い起こしている詞です。そして、この作品にはもうひとつ自然の詞が。 「森の目覚め」♪ 作詞 かめおかゆみこ 作曲 金子 忍 白い月が 沈んでいくよ 西の地平に 明けの明星が 輝きだすよ 東の空に ふくろうが ゆっくりと まぶた閉じれば 森は 静かに 呼吸をはじめる 冷たい空気(を) 吸って 吐いて (吸って 吐いて)(吸って 吐いて) 木々が目覚める こずえ(を)ふるわせ 川が目覚める 水音立てて 草が目覚める つゆ玉光らせ 大地(が)目覚める いのちを乗せて あらたな空気(を) 吸って 吐いて (吸って 吐いて)(吸って 吐いて) やがて 夜明けの光がさしこむと すべてのいのちが 歌いだす 喜びの歌を 歌いだす 朝が 朝が 朝が 朝が来たどちらの詞も、私のなかの北海道が生きているのでした。北海道の自然は別にほろびたわけではないですが、ふるさとに別れを告げてしまった人間とすれば、それはやはり帰ることのできない場所なのです。「私たちは知らない」は、劇の最後に、思いを継ごうとするものたちによって、ラストの1行が書き換えられます。「私たちは知らない」ではなく、「君とわかちあいたい」として、歌い継がれていきます。市民参加型の地域ミュージカルとしては、アンハッピーの物語はふさわしくないし、そのほうがいいラストであることもわかっているのですが、私のなかでは、実は「私たちは知らない」のほうが、しっくりきてしまうのです。それは、そのほうが、ふるさとをうしなった人間の実感だから…、なのかもしれません。断続的に書いてきましたが、できれば今月いっぱいで、いま書いているものを終了させたいと思っています。このブログは、2007年にスタートさせているので、それ以降は、さぼりさぼりではありますが、一応ここにすでに記録していますので…。 (明日につづきます)
2011.08.24
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------2005年度の作品の話に移ります。「森の記憶・いのちの伝言」という作品は、三浦半島・小網代の森をイメージした作品です。その冒頭で歌われるのが、前回ご紹介した「私たちは知らない」です。ある日、突然、どこからか聴こえてきた歌声。それは、どうやら、とうにほろびた、ふるさとの星を思う歌…。小網代の森は、都会の近くの森とは思えないほど、完全な生態系が保たれている森です。森にすむアカテガ二は、満月と新月の夜になると、海におりてきて産卵をします。海にゾエア(幼生)が放出されると、それを食べにプランクトンが集まってきます。そのプランクトンを食べるために、湾の向こうから、サギが飛んできます。実にみごとな食物連鎖!小網代の森をとりあげることになる数年前、偶然ですが、私は友人に誘われて、このカニの産卵の現場に立ち会ったことがありました。月があがる前の、足がつかる程度のところに入って、アカテガ二がおりてくるのを待つのです。産卵をひかえておりてくるカニは、外敵にたいして過敏になっているのですが、いったん海に入ってしまうと、産卵に集中するのか、とても無防備になるのです。海と一体化(笑)して、じっとしていると、本当にすぐそばまで寄ってきます。そのときに、上述した食物連鎖をまのあたりにしたのです。小網代の森は、いわば環境問題の象徴ともいえました。それだけに、直接的なとりあげたかたは、刺激が強すぎて、市民参加型のミュージカルには向かない気がしました。ちがう切り口が必要でした。そんななかで、もしも、この美しい環境がうしなわれてしまったら…、星そのものがほろびてしまったら…という発想が湧きました。そんな未来の物語を描くことはできないだろうか…と思うなかで、不意に浮かんできたのが、この「私たちは知らない」という歌だったのです。 (明日につづきます)
2011.08.23
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------2004年度の作品の話に移ります。「森の記憶・いのちの伝言」という作品は、三浦半島・小網代の森をイメージした作品です。今日も時間がないので曲の紹介のみ。 「私たちは知らない」 作詞 かめおかゆみこ 作曲 金子 忍 風に吹かれて 花たちが さざめいていたというよ 川面(かわも)光らせ さかなたちが およいでいたというよ はるかそらのかなた そのちいさな星の上で そんな当たり前の幸福を 私たちは知らない 雨上がりの朝 くものすに にじがかかって(い)たというよ 落ち葉かさこそ ふみしめて どんぐり あつめたというよ はるかそらのかなた そのいとしい星の上で そんな当たり前の幸福を 私たちは知らない 足あと追いかけ 雪のうえ どこまでも駆けたというよ 吹雪のおとを 子守唄に 春を待ちつづけたというよ はるかそらのかなた その青い星の上で そんな当たり前の幸福を 私たちは知らない はるかそらのかなた その美しい星の上で そんな当たり前の幸福を 私たちは知らない (明日につづきます)
2011.08.20
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------「統合」という本来の意味とはちょっとちがうかもしれませんが、神奈川高等女学校の生徒たちと、横浜二中の生徒たちが歌う「帝国軍人賛歌/花咲く田奈の森で」は、ある意味、ふたつのことなる思いが、寄り添い統合していくことをイメージした歌です。2010年度再演して、ブログでも歌詞を取り上げたばかりなので、ここではあらためて再掲はしませんが、いわゆる軍国教育を受けて「御国のためにたたかう」と血気はやる男子生徒たちにたいし、女生徒たちは、あくまでも日常の、ささやかな幸福についての思いを語ります。それがどんなかたちであれ、誰もみずから死にたいとは思いません。いのちはいつでもたった一度きりなのです。生きているあいだ、ひとは、さまざまな喜怒哀楽を体験します。どんなささやかな生きかたをしているひとであろうと、それはそのひとにとってまちがいなく尊い気持ちです。一人ひとりがそんなふうに尊い思いをいだきながら生きているのだということを、この歌をとおして伝えたかったのです。だから最後には、ことなる立場のふたつのグループは、「ああ、君、生きてあれ」と唱和するのです。いのちをうしなってしまったら、どんな感情も味わうことはできないのですから。それは、たまたまネットで見つけた「相思樹の歌」も同じです。ひめゆりの少女たちは、どれほど、生きてこの歌をともに歌いたかったことでしょうか。そんな少女たちの思いさえも消し飛ばしてしまうのが、「戦争」なのです。戦争反対と叫ぶのではなく、ただ、聴いているだけでせつなさといとおしさがこみあげる、これらの歌をとおして、いのちの尊さ、生きる意味を、感じてもらいたいと思ったのです。本当にそのことを尊重できるなら、私たちは、たたかう以外の選択ができるはずだと、少なくとも私は思っているのです。 (明日につづきます)
2011.08.18
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------「闇」がひとつのキーワードとして出てきたとき、私の意識にあったもののひとつは、アーシュラ・ルグィンの「ゲド戦記」でした。それも第1巻の「影とのたたかい」。ほろぼすものとしての闇を追い求めたゲドですが、最後には、自分の一部としてその闇を受け入れ、ひとつになります。心理学的には、これは「統合」と呼ばれるものだと思います。そして私が求めていたのもそうでした。すべての側面をひとは持ち合わせています。自分の一部を否定することも、他人を否定することも、結果的には自分を否定することにほかなりません。このことは書き出すときりがないので(笑)、説明カットですみません。闇にはじまって、闇にもどる物語として、初演の「こどもの国物語」はあったのだと思います。ひとは、闇のなかから生まれ、また闇にもどっていく生きものなのです。生きるということは、その刹那のまぼろしのようなものなのです。…少なくとも私にとっては。 ♪闇と光が出会うとき 作詞/かめおかゆみこ 作曲/金子 忍 いのちはめぐる いくとせも 生まれて 生きて わかれて 出会う 繰り返す いとなみのなか 森はいつでも 変わらない いのちはめぐる とこしえに 生まれて 生きて 愛して 死んで 繰り返す いとなみのなか 森はすべてを 包み込む 森は いのちのみなもと すべてはここから はじまった 森は いのちのみなもと すべてはここから はじまった (明日につづきます)
2011.08.13
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------ちょっと途切れがちになっていますが、ぼちぼち書き続けていきます。今日もまたまた時間がないので、アナグラムのことをちょっと書いておきます。このとき、「弾薬庫」をとりあげるとき、何かひとつキーワードを作品のなかに隠しておきたかったという気持ちがありました。それで思いついたのが、アナグラムということばあそびです。ことばを並べ替えて、別のことばをつくる。単純に並べ替える場合と、ローマ字にしてから並べ替える場合とがあります。このときは後者。弾薬庫。DANYAKUKO。さてどうしようか。あれこれひねくりまわしているうちに、出てきたのが、よだかくん。YODAKAKUN。意味的にはちょっと苦しいのですが。(笑)「よだか」といえば、宮沢賢治の「よだかの星」。賢治といえば「世界全体が幸福にならなければ個人の幸福はありえない」ということばがあります。物語のなかで、闇の国では、ひとびとは、自分の我にとらわれ、たがいをほろぼしあっていきます。そこは、賢治のめざした世界とは真逆のものです。主人公の「ゆり」は、その闇のなかで、あらそいに加わることもできず、たったひとり取り残されることになりますが、その暗闇のなかで、それまで自分が孤独だと感じていたのは、本当は自分がこころを閉ざしていたからだということに気づきます。闇の国では、「望むもの」が手に入るのですが、ゆりは、現実の世界の友だちの名前を一人ひとり呼んでいきます。あらそうことではなく、つながることで、望むものは手に入ることを知るのです。 (明日につづきます)
2011.08.11
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2011.08.05
BBS(掲示板)を閉じさせていただきました。そのいきさつは、こちらをご確認ください。2011年7月12日から、横浜市青葉区小中高生ミュージカルの10年を振り返る日記を書くことにしました。あくまでも、かめおかゆみこ個人の視点ですが、これまでの流れと、そこにこめられた思いなどを知っていただくチャンスになれば、うれしいです。目次一覧-------------------------------------昨日はどうしても時間がとれず、書けませんでした。私がインターネットに参入したのは2000年10月でした。2001年は、個人が自分のホームページをつくるのがブームになってきて、私も友人の助けを借りてつくり、またメールマガジンや日記(いまのブログの前身)もはじめました。ただ、匿名性の高いネットの世界では、そのぶん自由度も高く、ネット上のトラブルも増えていたように思います。ほんのちょっとしたことばがきっかけで、互いに会ったこともない同士が言い争いになったり、いわゆる「炎上」なんてことも起きるようになってきました。本来、文字だけのコミュニケーションは、とてもむずかしいものだと思います。多少のすれちがい、意見のちがいは、直接対面してお互いの話を聴けば、氷解してしまうこともあるのではないかと思います。その歯止めがきかないところが、ネットの特質であり怖さであるとも思います。それを、私は一種の「闇」のようなものとしてとらえたのです。過去の戦争を一つの「闇」とすれば、現代にも闇がある。その闇と闇の接点で、今回の作品を書いてみたい。そんなふうに思ったのです。そしてもうひとつ、酒井智恵子さんの『田奈の森』のなかで、戦争のさなかでありながら、女生徒たちが、休憩のひとときや、チョコレートの包み紙などにささやかな幸せを見いだしていたくだりを読み、ひとはどんなときにも幸福を見いだすことができる、ということも、織り込みたいと思いました。現在と過去の田奈の森(こどもの国)、過去の沖縄、現代のインターネット。それらをつなぎあわせながら書き進めていったのが、「こどもの国物語」だったのです。明日も早朝から出かけるので、もしかしたら書けないかもしれません。この10年の自分の活動を振り返る意味でも、できるだけまとめて書き進めたいとは思っています。 (明日につづきます…たぶん)
2011.08.02
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