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June 14, 2007
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カテゴリ: 病気・医療関係
 私の子供(先天性心臓病児)を育てた経験をお話します。
 生まれてまもなく心臓が停止しました。
 体内酸素濃度が60%前後で酸素マスクが必要な状態です。
 心臓エコーで心臓の異常が発見されました。

 体重が2000g未満でもありしばらく入院で様子を診ることになりました。
 しかしこの病院は医師と看護婦の連絡が悪く、
 看護婦は酸素ボンベを持って帰宅するように毎日言います。
 医者と婦長は公務員のランクでは同等らしくて
 医師に従うという考えはないようでした。


 容態は悪化し始めました。
 ファロー四徴症の場合、その症状には個人差があります。
 うちの子供は重症でしたので特に注意が必要でした。
 しかし
 その病院には小児の循環器の専門医がいないばかりか
 主治医はインターンの学生?でいつもレポートを書いていました。

 朝夕と痰の吸引を決まりごとのように
 看護婦がきてしていました。
 2日ほどで顔色は急激に悪くなり、
 酸素濃度は30%から40%にまでなりました。
 回診にくる医師は「顔色がいいね。」といいます。


 意識を失って蝋人形のように身動きしない状態が再々あり
 そのつど
 看護婦や医師に連絡しましたが
 測定器の異常だ、あなたの過剰反応だと相手にされず
 あげくには


 私が同じ病院のICUに入院していたことも
 体力の回復を待たずに無理やり退院し子供に付き添い入院していることも
 小児科の医師も看護婦も知らず、
 歩くこともままならない、なんて子育てする気のない母親だ!
 と呼びつけられ「あんた!子供を育てる気があるの?」
 と廊下で怒鳴られたこともありました。

 意識を取り戻してから10日ほどで何とか
 平地を少しずつ歩けるようにはなっていました。
 でも家事も出来ず、長い時間立つことも、階段の上り下りも出来ない状態でした。
 落とすと危ないので立って赤ちゃんを抱くこともできません。
 まして、いろいろなコードや酸素のチューブや点滴のチューブが
 小さな身体に絡まりついています。

 わたしもこんな身体に産んだことを申し訳なく
 そして2000gにも満たない身体で産んでしまったことも
 すべて自分のせいだと責めていて
 赤ちゃんを抱えて病室で泣くしかありませんでした。

 悪いことにその病棟の医師看護婦はだれも
 心臓病の知識がなかったのです。

 もうすぐ ぬとわかりました。
 蝋人形のように気を失う回数が増えていきました。
 この子が死んだら私も死のうと決めていました。
 苦しむために生まれてきた小さな命に申し訳なくて
 謝り続けました。
 「
 優しいおばあちゃんも向こうにいるから・・・。」


 回診に回ってくる医師に不信感を抱き
 看護婦にも不信感を感じていたので
 5日目からは一切何も言わないようにしました。
 もうすぐ死ぬわが子とともに命を絶つ決意を固めていたからです。

 6日目の朝、見慣れない女医さんが回診に来ました。
 「あら、大変!おかあさん、いつからこんな症状が出ていますか?」
 はじめて私に容態を聞く医師に会えてびっくりしました。
 「もう3日ほどになります。もうすぐ死ぬと思います・・・。」

 隣の詰め所があわただしくなり
 県の公用車で県外に運び明日手術すると
 また別の医師が来て告げました。

 救急車で運ぶと県境で乗り換える必要がでるからと
 黒塗りの県の公用車が迎えに来ました。
 大きな酸素ボンベを抱えた知らない医師が乗り込んできました。
 主治医だといいます。
 前にいた病院にいい心臓血管外科医が赴任してきたから
 紹介したと車内で聞かされました。

 雪の高速をあわせて3台の車を連ねて
 県境を越えました。
 うちの県にはないような
 古いけれど巨大な病院の前に着きました。

 優しい笑顔の婦長さんと小児循環器の専門医、
 そして穏やかな笑顔で「もう大丈夫ですよ。」と
 小児心臓血管外科の麻生先生が待ってくれていました。
 涙が溢れました。
 やっとに来た、この子は助かるかもしれないと。

 病棟で赤ちゃんを引き渡したうちの県から来た医師は
 そそくさと酸素ボンベを大事そうに抱えて
 隠れるようにエレベーターの中に消えていきました。
 「もう、うちの病院は関係ないから。こっちの病院の患者になったから。」
 という言葉を最後にいいました。

 死にかけたから慌てて他の病院に移したとわかりました。

 でもその隣県の病院に出会えて本当によかったです。
 私たちは幸運でした。
 その病院は博愛慈愛の精神に溢れていて
 患者と家族に対しても同じく思いやりを持って接してくれました。

 私は以前の自県の病院での看護婦からの嫌がらせの数々や
 赤ちゃんに施す吸引の疑問など
 すべて記録していたので聞いてみました。

 麻生先生が来て言いました。
 「チアノーゼ型の心臓病児の場合、吸引は禁止です。容態が悪化します。
 手術後なら可能です。」

 やっぱりそうだったと納得しました。
 すぐに手術になりました。
 「何かしてほしいことはありますか?」
 nicuの天使のような看護婦さんが私のところに来て
 優しく聞いてくれました。
 「お願いしてもいいですか?
  赤ちゃんの身体に傷がない状態の写真を残してあげたいです。」
 もう数時間後には胸の中心に正中線の大きな手術痕が一生残るのですから。
 せめて写真だけでも傷のないきれいな身体で残してあげたいと思いました。







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最終更新日  June 14, 2007 11:21:01 AM
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