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2019.07.02
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テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: ・玉名の史跡
「日本最後の仇討ちの地」に寄りました。
石碑が建っています。



「文久元年(1861)四月六日、江戸細川藩邸で入佐唯右衛門が下田平八、中津喜平の二人を殺し、逐電した。残された平八の妻田鶴(たづ)喜平の妻寿の(じゅの)の両家では、苦しい生活に追われながら仇討ちを誓い、再び家名を立てんと遺児らには文武に励ませた。十年後、唯右衛門が山口藩に捕えられ、熊本藩に送られることが分かった。田鶴や寿の、平八の遺児らは護送の役人に頼んで、ここの宇津呂木谷に連れ込んでもらい本懐を遂げた。時に明治四年四月十六日(1871)、三年後の明治六年二月七日に太政官布告で仇討ち禁止令が公布されたので、これが日本最後の仇討ちとなった。」





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最終更新日  2020.04.01 11:32:36
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