荒尾史学会のブログ

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2019.07.16
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カテゴリ: 荒尾の城跡
隣町の日嶽城跡です。 32.95172, 130.52148
登り口の八幡宮横にある説明板です。

「日嶽城は、中世大野別府(玉名町、築山、滑石、岱明町一帯)の地頭として栄えた、大野一族の山城であったといわれている。 古代における日嶽(標高201メートル・別名 鶴城)は火岳(狼煙を上げる火の岳)と呼ばれていて、烽火台が設けられていたとも言われている。 有明海に敵の船が侵入してくると、狼煙を上げ、次々とリレーして、菊池の鞠智城まで伝えたのではないかと考えられている。 天正九年(一五八一)日嶽城主大野弾正少弼紀親祐は、かねて不仲の小代左近将監親忠(長洲町から荒尾氏にかけた野原荘の地頭)と戦って敗退、つめの城日嶽も落ちて、大野別府地頭大野氏は滅んだのである。」

途中から、急な坂で階段が設置されていました。

ひと汗かいて、やっと山頂です。

山頂の説明板です。

有明海の見張り台として、有明海が見渡せます。小岱山から見るよりも良く見えます。地元の方々によって整備されていました。





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最終更新日  2019.09.12 10:49:15
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