荒尾史学会のブログ

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熊本県荒尾市で地元の歴史を勉強するサークルです。
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2019.07.23
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カテゴリ: ・・・宮崎兄弟
日中友好発祥の聖地 記念像が在ります。 32.982336, 130.464384
市民運動公園の交差点前にあります。



「「世界は一つ」 中国革命の父・孫文と郷土の先覚者・宮崎滔天の両人をかかげたこの石碑は、日中国交正常化前の1965年10月、荒尾市在住のある一人の男の情熱とそれを支持する多くの有志によって建立された。 1911年の中国辛亥革命は、欧米列強のアジア進出が進む時代に抗い、世界諸民族の自由のために、中国に新しい国を誕生させるべく立ち上がった革命家・孫文とその盟友・滔天によって成し遂げられ、自由・平等を基調とする民族・民権・民生の三民主義を礎に、アジアで初めての民主共和制国家を樹立させることになった。 市中央の小高い丘に立つこの石碑は、日本で唯一、両先覚者が並ぶ記念像として誇り高く存在し、孫文と滔天の友情の歴史が日中友好の架け橋となり、千万年の後までも両国の友好交流が続くことを温かく見守っている。」

荒尾には、今は「宮崎兄弟資料館」が在りますが、ここはそこから3km程の所にあります。



「日中友好発祥の聖地記念像 由来之碑  小代の霊峰に暮雲流れ、雲仙の雄岳に、落日燃ゆる香麗明媚の有明の海辺に、アジア革命史上不朽の光彩を放つ、一この快男子が生れた。その名を宮崎滔天(1870年明治3年12月6日生)と云う。 波乱万丈を極めた滔天悲劇の生涯は、隣邦大地の天地に理想の実を結び、新中国誕生の因子をなした。今に国父と仰がるる孫中山に一代の豪俊たらし、黄興も悉く集い来って荒尾の浜に世界震憾の革命を劃策せる昔日の夢の何と豪華絢爛たることよ。 この東洋の偉大なる大浪漫の精神に共通の理想があり、孫文(1866年11月12日生)は、新中国に民族、民権、民生の各自由平等を基調とする三民主義を施し、博愛と世界大同を唱え、滔天は四海平等無我自由であり、世界の潤滑油になれと云い、万国共和の極楽郷の建設を理想とし、盟友孫文に夢を託した。 孫文・滔天と親交のあった熊本県出身の最後の国士、紫垣隆は自らを大風と称し人間の価値を高める仕事に感謝し、人間が人間を敵に廻す不合理から超越し、人間相互が感謝し合い、賛美しあう、豊かな心をもった国民の輪を、世界に広げる運動に一生を捧げ日中友好発祥の聖地として、明治の先達孫文滔天両先覚回天記念像をここに建立された業績は大きく悠久不変の平和を実現する為に、心から祈念してやまないものである。 福田赳夫、ニコニコ堂代表、委員長佐藤常雄など」





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最終更新日  2021.02.19 18:21:01
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