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2020.03.28
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テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: ・玉名の史跡
玉名の保田木城に来ました。


 南北朝時代の正平2年(1347)、菊池武尚がここ保田木台に保田木城を築きました.ここは菊池川の下流をおさえ、有明海に臨む要衝の地だったのです。 武尚の子武国は高瀬氏を名乗り、代々の高瀬氏はこの城を本拠として菊池本家を支え、海外にも活発に進出しました。5代武教の名は朝鮮の「海東諸国紀」に出たほどです。貿易で築いた富で隣接の清瀬寺、宝成就寺など五ヶ寺(五山ともいう)や神社の保護に務めました。高瀬氏は16世紀はじめには菊池本家ともども衰亡します。 江戸時代に入り寛永11年(1634)、高瀬町は肥後五ヶ町のーつになり、保田木城跡に町奉行所が置かれました。 現在、城跡は保田木神社となり、菊池武尚と奈良時代肥後と筑後両国の国司をつとめた道君首名を祀っています。 なお、境内の一帯には縄文時代の貝塚の跡があります。



江戸時代には、ここに町奉行所があった様です。





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最終更新日  2020.04.01 15:57:53
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