荒尾史学会のブログ

荒尾史学会のブログ

PR

×

サイド自由欄

熊本県荒尾市で地元の歴史を勉強するサークルです。
気になる情報が有りましたら、コメント下さい。
タイトルの左端の数字は、YYMMDDです。
本文最初の行の数値は、緯度経度です。Gマップで位置が判ります。

カレンダー

コメント新着

名無し@ Re:200327 マップで発見!海に航空機?がとまってる!(03/27) 例の飛行機は沼島に上陸!?してるみたい…
コンデイ @ Re[1]:180516玉名・岱明・史学会活動・史跡巡り・上の六地蔵(06/28) 本田豊一郎さんへ 本田様、最初に返信が遅…
コンデイ @ Re[1]:190808熊本・熊本城内・軍旗染血之跡碑(01/03) satakeさんへ 返事が遅れました。 このコ…
本田豊一郎@ Re:180516玉名・岱明・史学会活動・史跡巡り・上の六地蔵(06/28) こんばんは はじめまして 玉名市岱明町大…
satake@ Re:190808熊本・熊本城内・軍旗染血之跡碑(01/03) 荒尾史学会様 初めまして 佐武広(廣)命…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2020.11.29
XML
テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: ・柳川・久留米
本城である柳川城に来ました。

城跡は、隣接の高校と中学に削られて、本丸跡のみになっています。



「関ヶ原の戦いの戦後処理により、西軍側だった宗茂は領地を失い田中吉政が筑後一国32万5千石を許され柳川城主となる。吉政は筑後の府に相応しく城地を拡張した。しかし田中氏が改易になると立花宗茂が筑後32万5千石のうち10万石だけ与えられ再度柳川城主となり、以降、柳川藩主の立花氏の城となった。



「吉政は、城の要害に備えて規模を拡大し、城濠を掘り、石塁を高 め、五層の天守閣を建て、これを本城(居城)としました。そして、 前代以来の旧臣・土豪(どごう)、さらに毛利・立花両氏の遺臣が土着割拠(かっきょ)す る在地の情勢に対応して、立花氏と同じように支城駐屯(ちゅうとん)制度を布(し)き、 一門・功臣(こうしん)を城番として支城に配置しました。
吉政は、次男吉信(よしのぶ)を久留米城に、三男吉興(よしおき)(康政)を福島城に、 舎弟清政を赤司(あかじ)城に、元小早川重臣松野主馬を松延城に、家臣(譜 代)宮川才兵衛を鷹尾城に城番(城代)として入れ、さらに猫尾・ 城島・榎津・江浦の支城に重臣をそれぞれ配置しました。」





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.11.29 00:00:18
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: