荒尾史学会のブログ

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2021.01.05
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テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: ・熊本市
時習館跡 32.807566, 130.702551

 細川重賢が宝暦五年(一七五五)細川藩の子弟を教育するため開いた学校である。科目は儒学中心の道徳、社会、人生に対する知識及び武術であった。
第一代教授(学長)は豊後(大分県)鶴崎出身の秋山玉山で、この学校には有名な学者が多く集まった。


熊本藩の藩校です。

藩校時習館 - Wikipedia


をご確認下さい。

続いて、「西南戦争 籠城将校家族避難之跡」碑 32.807959, 130.703279

 大正12年5月に建立されました。西南の役時に熊本城に籠城した鎭臺将校の家族は敵弾の飛来を避けるため、西之丸の空堀に天幕を張って避難したと言われます。鎭臺司令長官・谷干城少将の久万子夫人を中心に負傷者の手当や慰問に努め、将校の信望を集めました。

城内の道路の脇にひっそりとあります。

そして、内堀を隔てて、熊本城の、この時の様子です。

天守閣の改修や、崩れた石垣の番号付けなど、大忙しの状態です。






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最終更新日  2021.01.05 00:00:17
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