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2021.02.10
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テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: 西南戦争
ニニギノミコトに来ました。





(スタルペス・ブログより)
延岡市北川町の西郷隆盛宿陣跡資料館の裏手にあります。
天孫「ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)」の墓とされています。
ニニギノミコトの墓は、九州に3箇所もあっていずれも宮内庁の陵墓参考地となっています。
もう一つの墓が、鹿児島県薩摩川内市の新田神社境内にある「可愛山陵(えのさんりょう)」です。
ホオリノミコト(火遠理命)の高屋山陵、ウガヤフキアエズノミコ(鵜萱草萱不合命)トの吾平山陵と合わせて神代三陵のひとつとなっています。
 しかし、ここ延岡市北川町にも「可愛山陵(えのさんりょう)」があるのです。
ここはニニギノミコトの終焉地と言われており、日本書紀に「筑紫日向可愛山之山陵」と記されていることが根拠になっているようです。
可愛山とはここ可愛岳(えのだけ)のことで明治29年に御陵伝承地となっています。
西南戦争の際に西郷隆盛の陣屋をこの「可愛山陵」の手前に置いたことで、政府軍は砲弾を飛ばすことはできなかったといいます。明治時代にはすでにニニギノミコトの陵墓ということになっていたのだと思われます。







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最終更新日  2021.02.10 00:00:17
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