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2021.05.03
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テーマ: 史跡巡り(781)
平等山元正寺に来ました。

(20)平等びょうどう山元正がんしょう寺  川登字下川原(付図2-38)
 もと平山村の瑞光ずいこう寺が、戦国時代の終り頃、肥前国龍造寺勢の兵火を蒙り焼失した。註(1)
その折、住僧割宗谷が平山村領主平山権守正利まさとしの子是利これとしに譲った。是利は京に上り
修行、得道し「宗西」と称し、帰郷ののち平等山元正寺を開いて真宗に属した。
 元和6年(1620)川登村に移り、歴代の住僧 註(2)には宗円、宗甫、明円、慶甫、真岸、
正恵、泰岸、正道、実道、僧桂、洗露、円南、磨墨体量、香月を経て今日に至る。
民部郷多治見直典41代の子孫松丸が出家して達雲と改め入寺した。また曰く、小野村に庵室を
営み、宝暦3年(1753)元正寺内に移り正教寺を営んだ。明治12年12月27日分裂して向野村
(長洲町)に光智寺を建てたともいわれるが、信憑性に欠ける。
 以上の話は元正寺内にある出来多家について述べたものであろう。
  註(1)(2)『玉名郡誌』による。




道路からの入口には、この様な門があります。





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最終更新日  2021.05.03 00:00:20 コメントを書く
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