荒尾史学会のブログ

荒尾史学会のブログ

PR

×

サイド自由欄

熊本県荒尾市で地元の歴史を勉強するサークルです。
気になる情報が有りましたら、コメント下さい。
タイトルの左端の数字は、YYMMDDです。
本文最初の行の数値は、緯度経度です。Gマップで位置が判ります。

カレンダー

コメント新着

名無し@ Re:200327 マップで発見!海に航空機?がとまってる!(03/27) 例の飛行機は沼島に上陸!?してるみたい…
コンデイ @ Re[1]:180516玉名・岱明・史学会活動・史跡巡り・上の六地蔵(06/28) 本田豊一郎さんへ 本田様、最初に返信が遅…
コンデイ @ Re[1]:190808熊本・熊本城内・軍旗染血之跡碑(01/03) satakeさんへ 返事が遅れました。 このコ…
本田豊一郎@ Re:180516玉名・岱明・史学会活動・史跡巡り・上の六地蔵(06/28) こんばんは はじめまして 玉名市岱明町大…
satake@ Re:190808熊本・熊本城内・軍旗染血之跡碑(01/03) 荒尾史学会様 初めまして 佐武広(廣)命…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2021.06.27
XML
テーマ: 史跡巡り(781)
懐良親王御陵に来ました。


王墓が出来る以前には護神寺が建っていたそうです。



懐良親王(かねながしんのう)1329~1383 (まるごと八代!より)
後醍醐天皇の十六皇子で、南朝の征西将軍宮として康永元年(1342)薩摩に上陸、南朝方の菊池、阿蘇氏らの助けによって北上し、延文6年(1361)大宰府に征西府を置いた。一時は全九州を統一するほどの勢いであったが、北朝の鎮西探題今川了俊に次第に圧迫され、応安5年(1372)に大宰府を追われ、菊池に退いた。永和元年(1375)征西将軍職を良成親王に譲り、筑後矢部に隠退し、弘和3年(1383)この地でなくなった。親王の墓は各地に伝説があったが、明治11年(1873)宮内省の調査で、八代郡宮地村(現八代市)の墓地を親王の墓とし、翌々年八代城本丸跡に親王を祀る八代宮が創立された。
懐良親王御陵







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.06.27 00:00:16 コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: