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2021.08.07
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テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: ・・平山
阿蘇惟富



(61)薬師前阿蘇どん碑  平山字東山開(付図2-232)
 平山小路より小岱山林道に沿うた原田政行氏方前、椿の根もとの土壇上に1基の板碑がたっ
ている(図版11(2))。
 凝灰岩製、高さ105cm、幅22cm、厚み13cm、山形の頭頂部下に額部をつくり、碑身に銘を入
出ホゾがある。
 銘は、額部に一字金輪仏こんりんぶつをあらわす種子「ボローン」を、匡部に五大種子「キア、
力、ラァ、バア、ア」をいれ、下に「先阿蘇上四位宇治宿弥惟富大低 永禄五年正月日」とあり、
永禄5年(1562)に建てた阿蘇惟富の供養碑である。大低は大祇の誤刻である。
 阿蘇大宮司家に見える惟富は、元弘の乱(1331)、大宮司惟時に随って上洛、後醍醐天皇の
六波羅攻めの功臣であるが、ここの惟富は大宮司惟長の孫、天文8年従5位下、天文10年従5
位上に叙せられた。惟富は何等かの理由により廃嫡させられ、系図上より抹消すると記載され
てあるので、結局は勘当させられたものと考える。
 惟富の供養碑がここにある理由も詳らかでないが、菊池家の相続をめぐり菊池武包と菊池義
武(大友義宗)が、大永3年(1523)争い小代重忠の支援を得た武包の勢が、阿蘇惟豊、甲斐
親宣らに攻略された事件があった。
 阿蘇大宮司家はこの頃、惟長、惟富が大宮司職をめぐり、惟長-惟前-惟富と惟豊-惟将
の一族争いが続き、惟富加その渦中で廃嫡されたのではないかと推量される。


裏に回りました。

尖頭板碑に 先阿蘇 従正位 宇治宿彌惟富大儀永禄五年(1562)正月と刻印。惟富は元寇の乱(1331)に阿蘇大官司に従い後醍醐天皇の六波羅攻めに功を残す






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最終更新日  2021.08.07 00:00:17
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