荒尾史学会のブログ

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2021.10.24
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テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: ・玉名の史跡
玉名干拓・六枚戸に来ました。



 旧玉名干拓施設: 玉名市に所在する干拓開係施設の中で、明治二十年代から
四十年代にかけて築造された、末広開潮受堤防、末広開樋門
(東・西三枚戸樋門、二枚戸樋門)、明丑開潮受堤防、明豊開潮受
文化財に指定されています。明治時代に起源を持つ干拓関係の
施設が、総延長約五・二kmにわたって良好に残存しているのは、
全国的に稀であり、貴重な遺産です。各部分で石の積み方が
異なる状況から、潮害のたびに改修されながら使用され、
堤防を守り通してきた人々の努力の跡がうかがえます。
 末広開樋門は、末広開と明丑開の間に設置され、東西の
三枚戸(通称六枚戸)と二枚戸樋門で構成されます。いずれも
玉名地域では最大級の規模を誇る樋門です。樋門には水流に
よって自動開開される招戸が設置され、干拓地内に溜まった
水を干潮の時は開いて海に流し満潮の時は閉じて海水の
浸入を防ぐ重要な役割を担います。現在の六枚戸は招戸が
失われ、二枚戸樋門は鉄製の招戸に改修されています。
二枚戸樋門の招戸の上部石材には碑文が残っており、「明治
四十一」と刻まれ建設年代が判明します。


玉名市大浜町・横島町の干拓事業は、天正
16年(1588)加藤清正公の肥後入国後、石塘築
堤以来本格化し、江戸時代から現代まで精力
的に干拓が進められてきました。この中で、
末広開(明治28年)、明丑開(明治26年)、明豊
開(明治26年)、大豊開(明治35年)は最も干拓
が盛んに行われた時期に築造された大規模な
干拓地で、その潮受堤防と樋門は昭和2年の
潮害後に改修されて以来ほぼそのままの状態
を保っています。
 総延長約5.1kmに及ぶ堤防は、明治時代中期
から昭和42年の国営干拓の潮止まて約70年間
にわたって第一線の潮受堤防てあり、幾度の
潮害の度に補強・補修されつつ干拓地を守り
 全国に残る干拓施設の中でも、土木学上大
変貴重な施設として、社団法人土木学会から
選奨土木遺産の認定を受けました。








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最終更新日  2021.10.24 00:00:16
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