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2025.04.15
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カテゴリ: ・・長洲町
ぼたもちさんに来ました。32.925100, 130.473350

以前にもUPしてます。

柳川藩主、立花宗茂の正室誾千代の墓碑 
誾千代(ぎんちよ)の父ノ戸次道雪と宗茂の祖父吉弘鑑理 は、豊後大分の戦国大名の雄、大友宗麟の有力な家老でした。   宗麟は筑前・筑後を固めるために鑑理の子紹運 を宝満山城主(太宰府市)に、戸次道雪には立花城主を命じました。天正九年(一五八一)紹運の子宗茂を道等の娘問下代の婿養子に迎えました。 それが立花宗茂です。 宗茂は、関が原の戦いで石田三成方に味方したために領地は没収されましたが加藤清正のとりなしで助命となり、一時、高瀬(現在の玉名)に滞在し、その後熊本へ、さらに江戸へ移り住みます。 この高海滞在のときに、問下代がなぜ腹京の地に来て亡くなったのかは不明です。宗茂は元和六年(一六二〇) 川徹の柳川領を再び与えられます。そして寛永十一年(一六三四)には間千代の集をつくらせています。その後、改修されたと思われますが、墓の頭部が「ぼたも ち」の型に似ているので地域の人々からは、「ぼたもちさん」の愛称で呼ばれています。      長洲町文化財保護委員会 長洲町教育委員会



入口の標識です。





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最終更新日  2025.04.15 00:00:31
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