荒尾史学会のブログ

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熊本県荒尾市で地元の歴史を勉強するサークルです。
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2026.06.02
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カテゴリ: 荒尾の城跡
前頁の説明と、Gマイマップの紹介です。

Gマイマップは、QRコードから見ることが出来ます。
Gマップにマークをたてていますので、城址位置を拡大して見る事が出来ます。
また、Gマップの現在地表示を使えば、城址に対して現在地を知ることが出来ます。
さらに、ルート検索でカーナビとしても使えます。
自分で城址に行く時にご活用下さい。

小代氏の系図と城趾の関係です。

荒尾の城址は、小代氏の居城です。
小代氏が、1275年に鎌倉幕府の指示により野原荘へ下向し、府本に住み、兄弟・家臣に領地を与え城(居館)を築かせたのが始まりです。その後、加藤清正が肥後に入城するまで荒尾を領します。

 重泰の弟の政平には、増永(マスナガ)に領地を与えてますが、城址位置が判っていません。
 三男の泰経には、本村を与え、本村館と尾形山城を建てています。
 その他、分家・家臣にも城(居館・砦)を建てさせています。
小代氏の城の配置としては、海に向かって配置されています。幕府からの命が元寇に備える為だった為か。

ここで、古い時代の荒尾の海岸線を見てみましょう。
作蔵先生が、現在の地図に昔の海岸線を入れられたマップです。

長洲は、海で、現在の文化センターまで海でした。桜山小学校の下まで海でした。菰屋(コモヤ)野原近くまで海でした。
蔵満城から野原さんへ行くには、船で山浦へ渡ってから行くことになっていました。





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最終更新日  2026.06.03 17:03:23
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