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2026.06.02
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カテゴリ: 荒尾の城跡
では、其々の城趾について見てゆきましょう。

最初は、梅尾城(うめお)です。

 梅尾城は筒ヶ嶽城から西へ派生した尾根の先端頂部、標高149mの山頂に築かれており、山頂から南西の曲輪群と北東尾根の曲輪で構成されている。東にフロン谷(風呂谷)、北にカジヤ谷(鍛冶屋谷)があり、北東の曲輪を「馬かけ馬場」と呼び、周囲には「殿の屋敷」・「土居内」などの地名が残っている。
 南西の曲輪群が主郭部とみられ、かなり広大な削平地が南北に拡がっている。北東端が高く、南西下に堀切があり、その先に堀切に面した部分を土塁状に削り残した小段と二条の堀切が続き土橋が架かる。先端の堀切は北側に竪堀となって伸びている。この南西側一帯はシダ類が茂っていて遺構の確認が難しいが、放射線状に竪堀があるようにも見える。南端付近の東側に一部石塁の混じったような土塁が残る。
 北東尾根との間には箱堀の堀切で区画される。北東尾根の曲輪は南側はきれいに削平され、東側には石塁の混じった土塁があり虎口になっているが、北側に向かって高くなった斜面はほぼ自然地形で、その先に二重の堀切を設けて尾根を遮断している。ただこの先は北の尾根側が高く、南の曲輪側には特にめぼしい防御施設もなく、あまり意味のない堀切に思える。
小代氏の本城です。府本に在ります。
小岱窯の、小岱山への登り道の脇から、登り口があります。
登り口の、反対側がお花ですので、こちらに居館が在ったのでは無いかと思われます。
登り口の階段先に、いのしし避けの柵がしてあります。以前は柵を開けて入れたのですが?

位置のマップと、拡大図に縄張りを同寸で貼り付けてみました。


縄張り図と、付近の写真です。

本丸には東屋が在りました。お散歩コースにでもしようかという時期があったのでしょうか?


(登城口の説明板)

梅尾城跡:梅尾城は低山に築かれた山城で、小岱山の西域末端に位置する。遺構は 標高一二〇・六九mから一五一・六二mの尾根筋にみられる。山腹はいず れも急峻で、低山ながら要害の地である。堀切や土塁等の遺構が残っている。 
中心部のⅠ郭は標高一四五m。主軸方位は北から南にあり、中途から西 側へ緩やかに弯曲し平場を形成する。
Ⅱ郭は北西側の尾根筋にある。主軸方位は北西から南東にあり、直線的 に延びている。端部は小山状をなし、最高所は標高一四八・四二mで、平場部分は標高一四七mである。








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最終更新日  2026.06.12 14:15:43
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