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国指定名勝「おくのほそ道の風景地」に、仙台市内の薬師堂と榴岡天満宮が追加指定されました。国指定名勝「おくのほそ道の風景地」は、県内これで、7ヵ所目となります。歌枕の地にふさわしい、「おくのほそ道」の章段の多さを反映した結果でしょうか。「おくのほそ道の風景地の」ご紹介!!今回は、陸奥国分寺薬師堂の風景(第二回目)です。先ずその前に、この地には奈良時代に陸奥国分寺が建てられていました。写真は、陸奥国分寺復元模型(解説板から)聖武天皇の詔により、陸奥国に造られた国分寺です。爾来、栄枯盛衰はありましたが、この地で連綿と法会が営まれてきました。 陸奥国分寺講堂の上に江戸時代に建てられた薬師堂1607(慶長12)年藩祖政宗公により建立されました。約400年を経過した巨宇で、国の重要文化財指定。松尾芭蕉も拝観したお堂と推定され、現在も、宗教や信仰の場所として大事にされています。 境内の白山神社二代藩主忠宗公により、1640(寛永16)年建築されました。宮城県指定有形文化財で、一間社流造杮葺で江戸時代の秀作といわれています。松尾芭蕉が来訪時には、建物が建てられていました。 境内隣接の准胝観音堂六代藩主宗村公により1745(延亨2)年建立されました。宝形造の本瓦葺の建物。仙台市登録文化財です。准胝観音堂の境内に、芭蕉句碑などが建てられています。 准胝観音堂境内の芭蕉句碑芭蕉の詠んだ句(あやめ草足に結ばん草鞋の緒」の句碑です。1782(天明2)年山南官鼠により建立されました。仙台市指定有形文化財です。 境内には、談林派調の大淀三千風の供養碑大淀三千風は伊勢国の俳人で仙台の俳壇に大きな影響を与えました。この句碑は1722(享保7)年に門弟の万水堂朱角により建立されました。供養碑には、大淀三千風門人による俳句が刻まれ、貴重な資料として仙台市指定有形文化財となっています。 「おくのほそ道の風景地」については、「おくのほそ道」コンシェルジュ仙台・宮城にお問合せください。(Fax専用022ー246-2737)仙台の名産なら、九重本舗玉澤の初代伝蔵せんべい「創業336年目の新境地」さくさくの生地に風味豊かなクリームをはさんだ洋風仕立ての焼き菓子を詰合せました。【SW】[九重本舗玉澤]【宮城】初代伝蔵せんべい箱詰18枚入(02586-2909-90008/300)【楽ギフ_のし】【楽ギフ_のし宛書】次回は、榴岡天満宮をお送りします。
2015.06.15

おくのほそ道の風景地に、3月10日「木の下及び薬師堂」が国の名勝として指定されました。今回指定されたのは「つゝじが岡及び天神の御社」と「木の下及び薬師堂」です。これにより、陸奥国分寺薬師堂は、国指定のトリプル達成(国の名勝・史跡・重要文化財)!! 仙台市内唯一の快挙で、、市内では見学に見逃せない場所になりました。「おくのほそ道の風景地」として国から指定された名勝は、県内では、武隈の松(岩沼市)、壺碑・興井・末の松山(以上三か所多賀城市)、籬が島(塩釜市)とあわせて七か所になります。 「おくのほそ道」の記載順序とはことなりますが、薬師堂の後で、徒歩圏内にある天神の御社(榴岡天満宮)を見学することが可能です。これから、何回かに分けて、県内の「おくのほそ道」の風景を掲載したいと考えております。先ずは、第一回目、陸奥国分寺薬師堂の風景(何回かに分けて掲載します)宮城県指定文化財「陸奥国分寺薬師堂仁王門」 室町末期から戦国時代にかけての建立との見方があります。 仙台市登録文化財「鐘楼」 二代藩主忠宗が建立させたといわれています。 国指定史跡陸奥国分寺跡「七重塔跡」 奈良時代の建物跡といわれています。 国指定重要文化財「陸奥国分寺薬師堂」 仙台藩初代藩主「伊達政宗」が建立させました。 陸奥国分寺薬師堂は、文学ファンにも、古代史ファンにも、江戸時代ファンにも、仙台市内で見逃せない観光スポットになりました。次回は、白山神社、准胝観音堂、芭蕉句碑、大淀三千風碑などをご紹介させていただきます。「おくのほそ道の風景地」については、「おくのほそ道」仙台・宮城コンシェルジュ部会022-246-2737(FAXのみ受信)にご照会ください。仙台ならこれ、あの味をお楽しみください。白餡に黄身と栗の風味がとけあった独特の味わい伊達の太鼓 18個入れ
2015.05.04

私は、国道4号を「中の道」、国道6号・45号を「海の道」としたら、国道457号を、神・仏の道、山の道、温泉の道と呼んでいます。国道457号は岩手県一関市を始点とし、宮城県白石市を終点とする総延長173.3kmの国道です。山麓を南北に縦貫する道路ですが、東西に延びる地方道も国道に指定したため、一貫した南北道ではなく、東に行ったり、西に行ったりもする「あみだくじ」のような道路です。あみだくじは室町時代から行われてきましたが、当時は真ん中から放射状に線が引かれて、それを引いて勝ちを決めたそうで、これが阿弥陀仏の後光に似ていたために、この名がついたそうです。(ウイキペディアより)終点から始点まで、これから何回かに分けて、神・仏の道、山の道、温泉の道と申しあげたことを証明してまいりたいと思っています。もう「あみだくじ」で、僅かながら証明いたしましたが、国道457号から遠く離れた多賀城市北安楽寺がお話のスタート。多賀城市北安楽寺(七北田川堤防左岸)の板碑大日如来の種子と、68人が48日念仏講を開き、正和元(1312)年8月19日にこの碑を建てたそうです。鎌倉時代末期は乱世の時代に入り、人々は西方浄土に住む阿弥陀如来に救いを求めました。 安楽寺とは、西方極楽浄土を意味する寺号だそうです。写真は七北田川の河川敷(地名:北安楽寺)この地には川港があり、近くには「市」が開かれ、春秋の彼岸念仏が大規模に営まれる場所でした。彼岸念仏とは、太陽が真西に沈む彼岸の日に念仏を唱え、落日を観じて沈む夕日に、極楽浄土往生を願う信仰行事だそうです。写真は真西にある蔵王連峰(大東岳、神室岳)七北田川の真西に蔵王連峰の窪み(大東岳、神室岳の間)。そこに沈む夕日。人々はそれを見て一心に南無阿弥陀仏を唱え、法悦に浸ったかもしれません。(多賀城市史による)さて、いにしえの山や川、大木や巨石は神として信仰の対象でした。そして蔵王連峰もそれでした。そして、蔵王町史によれば、平安時代に修験道開祖の役小角の叔父にあたる願行が吉野の金峯山寺蔵王堂から奥羽山脈の山頂に蔵王大権現を分祀し、その一部、青麻山に僧坊を構えて、修験道の修行を行いました。そのため、修行の場所となった当地の奥羽山脈は「蔵王山」と呼ばれるようになったと言われています。そして、その山麓を通るのが国道457号。だから、私はこの道を神・仏の道と言っているのです。写真は終点の白石市の国道4号線との接続箇所接続箇所は東北自動車道の白石インターから南に約3km。ここから、お話が始まります。今度の夏休みの計画の参考になさっては如何でしょうか?この記事を読んだ方!!たまには油を使わない食事はどうでしょうか?(私は今年5回ももう食べました)あっさりした味が良いですね。 宮城名産きちみ製麺 金印白石温麺(24束)きちみ製麺 金印白石温麺(24束) 宮城名産【楽ギフ_包装選択】【楽ギフ_のし宛書】
2014.05.10

宮城県は「源 義経」の伝説が多い県です。「源 義経」が東(奥州)下りで、頼朝の挙兵時、奥州落ちで宮城県を3回も通ったことのほか、藤原秀衡から宮城県の岩出山・栗駒地方に領地を与えられ、平泉との間で、何度も往来したためだろうと、岩出山町史の著者は推定しておます。今回は、東下りと、奥州落ちの際に立ち寄った「栗原寺」からスタートです。真言宗白馬山栗原(りつげん)寺。東下りと奥州落ちの際にこの寺を通ったとされています。特に、東下りの際にはこの寺に一泊し、僧兵50名とともに秀衡の使者と中尊寺に向かったという伝説があります。往時は七堂の巨大伽藍があったそうです。鷹の羽清水 義経が鷹狩りをしたときに、鷹にこの清水を飲ませたという言い伝えと、源義家の伝説があります。美味しい水と評判で、この日も水を汲む方がいらっしゃいました。義経の身代わり「杉目太郎行信」の供養碑義経北行説の理由の一つ。平泉高館で、杉目太郎行信は義経の代わりに自害したと言われています。これは、その供養碑。判官森と弁慶森栗原市栗駒沼倉。栗駒小学校の裏手。判官森を包むように、後ろに弁慶森があります。義経の胴塚義経の胴が埋葬されたと伝えられる場所。ここには、五輪塔と苔むした石碑がたっており、石碑には私は判読ができませんが、「大願成就 上拝源九郎官者義経公」と彫られているそうです。 平泉と一緒に観光するなら、こちらが便利 ホテルグランドプラザ浦島公共施設なら料金はリーズナブル。こちらをクリック。http://www.eeonsen.com/次回からは、「国道457号線は神・仏の道、温泉への道」シリーズと、時宜に応じた話題をお送りします。
2014.04.27

宮城県は「源 義経」関する伝説が多い県の一つです。なぜって?それは、東(奥州)下りで、頼朝挙兵への参陣で、奥州落ちで宮城県を3回も通ったからです。(この他の大きな理由は、最終回に記載します。)今回は瀬見温泉~鳴子温泉を採りあげてみました。この間にある七つの温泉(宮城県側は、川渡・鳴子御殿湯・鳴子・中山平それに鬼首、山形県側は赤倉・瀬見)は、効用の強い古くからの温泉で、湯治場としても有名です。鳴子温泉郷のホームページは次をクリック: http://www.naruko.gr.jp/onsenkyo/5onsen/今回、義経とは直接関係はありませんが、鬼首温泉にもぜひ立ち寄りたいものです。先ずは、瀬見温泉の義経 奥州落ちの際に、亀山山中で、北の方が亀若丸を出産。弁慶により産湯を発見された場所が瀬見温泉の始まりだそうです。 亀若丸の名を付けるときに、弁慶が墨をすった岩だそうです。この他にも、瀬見温泉には義経通りや、山神社、子安亀割観音、奥の院など、義経にかんする伝説が沢山あります。瀬見温泉(亀割峠を越え)を越えて、義経は出羽仙台街道中山越(藩政時代の名称)を東に、奥州落ちを急ぎます。 街道を巡るならぜひJR堺田駅近隣の分水嶺の見学もお忘れなく!日本海側の酒田市まで102.6km、太平洋側の石巻市まで116.2km。日本の国土は意外に狭いですネ。 街道散策は、アブなど、嫌悪動物のいない、今がベストシーズンです。芭蕉も歩いた、中山越の詳細は次をクリック: http://www.bashouan.com/pwNakayamatouge.htm 奥州落ちの際に、北の方が猿から甘酒をふるまわれ、そのお礼として弁慶が、地蔵尊を祀ったといいます。 街道には、堺田駅から鳴子にかけて、軽井沢のほか、大深沢、小深沢、薬師坂、などの渓谷があり、散策を楽しみながら、周辺の景観を楽しむことができます。 義経主従が陣ケ森で山猿の歓待を受け、中山宿に下ったところ、地元の炭焼きの妻が難産で苦労しているときに、弁慶が栗の木で錫杖を作り観世音菩薩に祈ったところ、無事に出産できました。その後、地元の人々はこれに感謝し、錫杖を本尊としてこの山神社を建立したそうです。 亀若丸が初めて、放尿した場所と言われています。 亀若丸がこの地の温泉に入ったときに、初めて産声をあげたことから、「啼子(なきこ)」と呼ばれ、その後現在の「鳴子」になったそうです。これから、鳴子周辺は紅葉シーズンイン(10月下旬~11月上旬)。義経の伝説地を訪ねながら紅葉狩りは如何でしょうか?紅葉情報はこちらをクリック: http://www.naruko.gr.jp/file-kouyo-jyoho/kouyo-jyoho.htm鳴子ならどこのホテルでもご満足!強いて挙げるなら、こちらがおススメ! 鳴子温泉 源蔵の湯 鳴子観光ホテル
2013.10.16

2ヵ月ぶりのブログです。気がかりでしたが、でもそれに代わるものをイッパイ勉強したつもり。その結果は追々、ご披露したいと存じます。でも、いまは、前回までの「源 義経」の続きです。先ずは、鷹の池跡 東松島市小松。平泉高館が落城して、源義経が討死したとき、愛鷹がここに飛んできてこの池に降りたといいます。池は無くなりましたが、山間の静かな所で、伝説が肯けます。次いで、月観の松 東松島市大曲。金売吉次が本丸館で月見を楽しんだ松です。県指定天然記念物。樹高16m、樹齢約1000年。県内では最大級のクロマツの巨木です。石巻市住吉公園の袖の渡し 源義経が奥州下向した時、船賃の代わりに上着の片袖を与えた場所。公園前の道路は「一関街道」と言われた古道です。袖の渡しのある住吉公園に立つと、北上川が眼前に。津波の恐ろしさが実感できる場所です。下の写真は、大津波に襲われた石ノ森漫画館 袖の渡し近く。3月23日再開しました。お子様連れなら、「石の森漫画館」の見物もお忘れなく!石巻市前谷地の和淵神社にも義経伝説が 奥州下向中の源義経が笈の中の柳を挿して、和淵明神に祈願しました。坂上田村麻呂の勧請や、源義家・源頼朝の祭田寄進の伝説もあります。 和淵神社まで行ったら、県立自然公園旭山にもお寄りください。 当地に来たら、ぜひ寄りたい場所です。標高174mながら展望がよく、頂上近くには、旭山観音堂、朝日山計仙麻神社などがあり、信仰と歴史が点在する場所です。おススメですヨ!連休どこにも行けなかったあなた! 今のうちから、夏休みの計画を! 現地では、震災に対する勉強もぜひ行ってください。計画は、宮城県の銘菓でも食べながら。ぜひどうぞ! 【永い伝統に培われ、洗練された技の形】伊達の太鼓 24個入れ次回のこのシリーズは栗原市周辺です。
2013.05.01

風物誌のかき鍋クルーズが始まります。松島かき鍋クルーズの開始日等の詳細は次をクリック: http://www.marubun-kisen.com/wakuwaku/kakinabe.html今回は義経記と町史の伝説から、日本三景松島町の義経の足跡です!・義経記 伊勢三郎義経の臣下にはじめて成る事、から 「(籬が島を見て)見仏上人の旧跡、松島を拝ませ給ひて、紫の明神の御前にて・・・」見仏上人の旧跡、雄島 見仏上人は法華経6万巻を読誦して超能力を得たとする、開山の慈覚大師の次に高徳の僧。雄島は瑞巌寺奥の院とも称され、島内には多数の岩窟や仏像、卒塔婆がある霊場。島への朱塗りの渡月橋は大震災で流失し、島に渡ることはできません。そして、瑞巌寺の庫裡 慈覚大師円仁が天長5(828)年開山。当初天台宗延福寺と称した。現在臨済宗妙心寺派。現在の建物は伊達政宗の造営。慶長9(1609)年完成。本堂、庫裡は国宝。本堂は平成20年から平成の大修理が行われており、平成28年3月頃までは、庫裡とその内部、陽徳院御霊屋が公開されています。平成の大修理の内容は次をクリック: http://www.zuiganji.or.jp/html/repair.html 大震災による津波到達点の表示 瑞巌寺の参道の途中まで津波が押し寄せ、多くの杉が伐採予定にあります。松島海岸東方にある福浦島と福浦橋 福浦島はJR松島海岸駅から約15分。海岸の東の方に見える島です。全島6ヘクタールの県立自然植物公園で、一周約30分。園内には、弁天堂や見晴台、四阿などがあり、ここから見る島々や五大堂はまた別の趣。福浦島は252mで出会い橋ともよばれます。福浦島から見える千貫島 町史によれば、金売吉次が一夜で千貫の利益を得たために、その名になったという伝説があります。最後は紫神社 源義経が武運を祈願するため、この社を訪れたとき、藤の花の満開の紫雲山にちなみ、村崎を紫と書き換え、紫神社と改めたという言い伝えがあります。紫神社の詳しくは、「松島紫神社」で検索ください。義経の足跡を訪ねるなら、松島に一泊し、美味しい食べ物を食べ、温泉でユックリしたいものです。木枯らしの吹く季節、松島で温もりなら、こちら!! 松島温泉 小松館 好風亭(旧ホテルニュー小松 好風亭)次回の義経の足跡を訪ねては、東松島市と石巻市 辺です。
2012.11.23

なが~い夏休みをいただきまして、有難うございました。この期間、仙台駅東口のガイドボランティアの講習を受講し、関連して榴岡天満宮のガイドマニュアル作りなどで、結構忙しくすごさせていただきました。さて今回は義経記や伝説から、全国でも美味しいお寿司で有名な塩竃市の、義経の足跡を!・義経記 伊勢三郎義経の臣下にはじめて成る事、から 「かくて夜をついで下り給ふ程に、武隈の松・・・榴の岡を眺めて、千賀の塩竈へ詣で給ふ。 あたかの松、籬が島を見て・・・」先ずは、千賀の浦に面する、盬竃神社表参道の楼門 ・202段の急な石段の上にあり、国指定重要文化財。楼門の裏面の鹿は武神(鹿島・香取神社)と同じ神使。盬竃神社拝殿 ・別宮:盬土老翁神、左宮:武甕槌神、右宮:経津主神が祀られ、武運長久、漁業守護、家内安全、延命長寿、交通安全、また安産守護などに広く崇敬されています。文治の燈籠 ・泉三郎忠衡:秀衡三男(泰衡異母弟)秀衡の意思を継ぎ、義経に忠節を尽くしました。 鉄燈は義経への守りの誓いをたてて奉納されました。・忠衡と義経は同時期に平泉におり、義経はこの燈籠を見た可能性が高いと考えます。 文治2(1186)年 頼朝と義経不和 〃 3年2月 義経奥州落ち、平泉入り 〃 3年7月 秀衡三男、泉三郎忠衡 盬竃神社に鉄燈寄進 〃 5年2月 泰衡、弟の忠衡殺害 〃 閏4月 泰衡、義経殺害 千賀の浦、古はここからの風景が松島でした。 ・またなの岡の展望所からの風景。昔の塩釜には多数の小島が浮んでいましたが、埋立てなど により、現在では、その名残が少なくなっています。・遠くの島は馬放島、さらにその奥は宮戸島。歌枕としても有名な籬島 ・わがせこを 都にやりて 塩竈の まがきのしまの まつぞこいしき 古今和歌集 東歌折角の塩竈訪問なら、盬竈神社境内のほか、盬竈海道に面する老舗や、塩釜仲卸市場、御釜神社、亀井邸などを一日かけてユックリ回りたいものです。お寿司なら、みやぎ寿司海道加盟店なら美味しいことに違いはありません。お土産なら 純米吟醸 浦霞 禅 720ml 【0929祭5】夕方になったら、船で松島へ!松島宿泊なら 松島温泉 小松館 好風亭(旧ホテルニュー小松 好風亭)小松館 好風亭以外の旅館も、満足度十分です。次回の義経のミヤギの足跡を訪ねては、松島を予定しています。
2012.09.06

平治物語 牛若奥州下りの事「・・・多賀の国府へうち越て、・・・」宮城県多賀城市には、沢山の義経伝説が残されています。先ずはそのうちの一部、塔の原(割石原とも 現、高崎)の「裂石梅」義経が騎馬で乗りかけたら石が割れ、その割れ目に梅が咲いたそうです。現在では裂石梅のある塔の原は、東北本線で分断され、道も消え石を特定できません。 代わりに、写真は塔の原(現、高崎)にある特別史跡の「多賀城廃寺跡」 多賀城廃寺跡は日本初の史跡公園で、塔・金堂・講堂跡など七堂伽藍の配置がよく分ります。 多賀城廃寺の内容や多賀城観光はこのページからお入りください。: http://www.tagakan.jp/弁慶の草履の跡があったと伝えられる「都島」都島は40年ほど前には残っていましたが、現在は崩れてしまい、見ることができません。代わりに、都島の近隣にある「沖の井」 都島と沖の井については、小野小町が古今和歌集で歌っています。沖の井で 身をやくよりも 悲しきは みやこ島辺の別れなりけり 小野小町が歌った「沖の井」は多賀城市観光協会の「歌枕コース」の一つで多くのお客様が訪れています。そして、多賀城内城(政庁)跡の馬蹄石。くぼみの跡は義経の乗馬の蹄の跡といわれています。写真は、震災復旧に合せて発掘調査中の政庁正殿と石敷広場 義経の馬蹄石はどれでしょうか。 最も、平治物語に記載されている「多賀の国府(こう)」は仙台市宮城野区岩切だという見方があるようですが・・・・写真は、中世の「多賀の国府」町に置かれた留守所の候補地の一つ仙台市宮城野区岩切 この夏、多賀城を観光コースの一つに組み入れては如何ですか?多賀城市は、奈良や九州大宰府と同じに古代史の舞台。義経伝説などの伝説も多く、歌枕の地。訪れれば、あなたの知的な満足が更に増すこと確実です。美味しくなければ、オカズではない!ご飯の上に乗せて食べるならコレコレ 無着色たらこです。山正羽立商店特選たらこ1kg入り次回は、多賀城市のお隣、塩竈市辺を!
2012.07.15

今回は地元に伝わる伝説から、義経の足跡をご案内します。えっ、単なる伝説でしょうって? でも、歴史に残されているのが、頼朝との黄瀬川との対面から自害までの9年間の「吾妻鏡」の記事と、「玉葉」などの貴族の日記だけで、義経の歴史が「義経記」などの室町時代に作られた軍記物語に基づくものとしたら、あなたは、物語は信じて、伝説は信じないというおかしな話になるのではないでしょうか?写真は仙台市宮城野区岩切にある義経石 碑は県道仙台松島線(通称利府街道)岩切大橋手前、生協青果セットセンター敷地にあり、石(板碑)表面には、胎蔵界大日如来の梵字と父の供養のために正安4(1302)年建立したと彫られています。伝説では、源義経主従が藤原秀衡を頼って落ち延びる途中、高森山で一休みし、弁慶と石投げの競争をしました。義経の投げた石は下の写真の七北田川を越え、遠くの畑に落ちたと言われています。そして、高森山、下方は七北田川 一画に高森山公園。中世の山城跡が明確に残されており、中世史や城郭探訪ファンにとっては必見の場所。大震災による影響で県民の森から頂上平場までは行けません。(途中までは、利府方面から可能ですが、入り組んだ道でありガイド付きでの見学をオススメします。)岩切城の詳細は: http://joukan.sakura.ne.jp/joukan/miyagi/iwakiri/iwakiri.html 岩切周辺のガイドは: http://www.nihon-kankou.or.jp/vg/ctrl?evt=ShowBukken&ID=04100aa1042051019 義経石の近所にある弁慶石 弁慶石は、義経石よりはるかに小さく、伝説は逆に誤って伝えられたとも言われています。阿弥陀如来の梵字と蓮が彫られています。同じ仙台市宮城野区岩切にある義経四天王の一人、常陸坊海尊が御祭神の青麻神社 青麻神社の常陸坊海尊との関係、由来等は: http://www12.plala.or.jp/aosojin/神社へは、大震災の影響により通行止箇所があり、上記インターネットの案内でご確認ください。青麻神社の境内に立つ常陸坊海尊霊験之地の案内板 仙台市周辺には、この様に、沢山の義経の足跡が残されています。あなたも、この夏、ミヤギで義経の足跡探訪をテーマに、周辺の名所旧跡を見学しませんか? 「仙台藩祖」関連以外にも、ミヤギの見学箇所は沢山ありますヨ~。ミヤギへの思いなら、お寿司屋さんのあの「お米」、インターネットなら気軽に買えます。 [やわらかさ][艶][粘り][甘み][香り]こだわりの一品です!【黄金比/至高のブレンド米】23年度宮城県登米産天日干しひとめぼれ×ササニシキ【5kg】コミコミ【3,200円】[玄米/白米/無洗米]選択可能【送料無料】【smtb-TD】【tohoku】【東北復興_宮城県】【after0608】次回は、平治物語から「多賀城」などでの足跡をお送りします。
2012.06.14

今回は旧仙台市史から、仙台市中心部にある源義経の足跡を訪ねました。先ず、仙台の勝地七崎の一つ「松ヶ崎」 仙台は周囲に丘陵が多く、市街地との境は「崎」となっており、近世に「仙台七崎」と呼ばれた所は、特に風光明媚で、松ヶ崎はその一つです。松ヶ崎(広瀬町、旧中島丁)に建つ尚絅学院の「旗立の松」 義経が白旗を立てた所と伝えられています。校内には松の古木が多く、旗立の松の特定は困難ですが、写真は一番古い松です。近隣の見所広瀬川 広瀬川の詳細はhttp://www.hirosegawa-net.com/100sen/100index.php遠くに青葉山丘陵、澱橋を越えると、文教地区の川内。宮城県美術館や仙台市博物館、仙台城などがあります。広瀬川を遡ると、国宝大崎八幡宮がすぐ間近に。散策に最適です。 尚絅学院の崖下に立つ澱不動尊文永10(1273)年板碑 この地域には、古来から多くの人々が住んでいたといわれており、交通の要衝だったのでしょうか、板碑が建っています。そして、宮城県知事公館(宮城県有形指定文化財、旧仙台城城門) 宮城県知事公館の詳細はhttp://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/database/c0000000039.html仙台市内中心部では、義経が立ち寄った所が他にもありますが、最後に、仙台市青葉区堤通雨宮町の雨宮神社(磐上神社) 義経東下りの際に、ここを通って神を祀ったという言い伝えがあります。もっとも、神社は移築されており、移築前には足軽の鉄砲稽古場にあった祠だという言い伝えがあります。写真は安政3・6年間製作「安政補正改革仙府絵図」の極一部、堤町の鉄砲稽古場 ミヤギの源義経の足跡?単なる伝説でしょう!・・という方への反論はここ1~2回のうちにどうして、ミヤギには源義経の足跡が多いのか・・という方への説明はシリーズの最後に予定しております。うっとおしい季節も目前です。こんな時はのど越しの良い「ウーメン」を 珍しい「生めん」タイプの白石うーめんです!【送料込】手延生温麺(うーめん)(白)[宮城県/はたけなか製麺]
2012.06.01

今回は旧名取郡史などから、仙台の山沿いの地方に伝わる義経伝説をご紹介します。最初は、義経にとって恨んでも恨みきれない源頼朝、その「源頼朝公腰掛之石」の石柱 名取市高館熊野堂「熊野神社」境内腰掛石 文治5(1189)年頼朝は熊野神社に戦勝を祈願して、高館城を攻略しました。その時に神社の境内で腰をかけた石と伝えられています。近隣の見所 名取の熊野神社、本宮社、熊野那智神社。三社が分かれているのは紀州と、ここ名取のみです。判官瀬 仙台市太白区茂庭字人来田 遠くに人来田水力発電所 源義経が奥州に逃れてきたときに、この浅瀬を渡って、高館に赴いたためにこの名があるといいます。文治5年の時には、頼朝もこの「瀬」か、栗木の「舟渡し」か、六郷堰近辺の越え場を渡ったのかもしれません。義経の愛妾「静御前の墓」 仙台市太白区秋保町長袋野中 左側の一番高い石碑が静御前の墓と伝えられています。静は義経の後を慕いここまで来ましたが、村人の篤い看護をうけたものの、命尽きたといいます。判官瀬と静御前の墓、近くの見所 仙台万華鏡美術館、秋保工芸の里、秋保大滝ほか、日帰り温泉入浴も楽しいですよ。 杜鵑(ほととぎす)塚 仙台市青葉区新川初ノ小屋 義経都落ちの時に、義経と臨月の北の方が、一目を偲んで暮らしていた平家の落ち武者の助けを受け、出産したが、産後の日立ちが悪く、母子ともに黄泉の客となり、この地に葬られたと伝えられています。近隣の見所 平家落人伝説の定義如来、鳳鳴四十八滝、ニッカウヰスキー仙台工場、仙台ハイランドの遊戯施設など 伝説の地見物かたがた、温泉で日頃のストレスを追払いましょう!!お泊りは作並温泉で!作並ならこちらがおススメです。 作並温泉 鷹泉閣 岩松旅館次回の「源義経のミヤギの足跡を訪ねて」は仙台市の東部、岩切周辺に伝わる伝説をご紹介します。
2012.04.17
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