太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2009.12.03
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葬式は、死んでしまった人はもうこの世のことは全部おしまいになっているのだから、別れが身にしみて耐えている「遺された、生きている人たち」のためのものである。
別れとは、実は相手を赦すことです。それまでの色々な行きがかりやしがらみ、愛憎悲喜万般をご破算にして、遺された人は総てをいきなり赦さなければならないし、赦さざるをえない。愛憎も生前に積もり積もった屈託も、そこで断ち切らなければならない。
葬式でしなければならないのは、この断ちきりであり赦しである、と南直哉禅師は言う。

本人が断ち切り難く赦しがたいものを、儀式の形を借りて強引に切らせ、けりをつけてしまう。「引導を渡す」というけれども、これは死者に渡すように見えて、実は遺された人に渡しているのだそうです。
そして、私たちは死んだ相手を赦し、今度は「仏=ホトケ」(死者は仏になる)に対して、恐らくはあったに違いない自らの罪を仏から赦されなければなりません。
拝むとは、仏の前で自分を省み、自分を変えていき、生き方を深めていくことを誓うことです。





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Last updated  2009.12.03 06:06:22 コメントを書く
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