太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2010.04.16
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2 第二のキーワードは「落ち込み」

ちょっとのことで落ち込んでしまう心にも気を付けないといけません。
例えば、台風や水害などでやられてしまうと、「はあーだめだ」と落ち込んでしまう。
「落ち込み」は、「欲」から生まれる「怒り」の心です。
「せっかく家を建てたのに、台風で屋根が飛んでしまった。私はなんて不幸な人間なんだ」などと、あって欲しいものがなくなったり、うまくいって欲しいことに失敗したり、欲が満たされなくて起こる怒りの感情です。

たとえ自分の親や子供が死んでしまっても、「縁がなかったんだから、しょうがない」という感じでいなくちゃいけない。いくらかわいい子供でも、その子には業がなくて、病気で死ぬとか、突然誰かに殺されるか、事故で死ぬか、ということが現にあるでしょう。
母親にも、子供を成長させて、一人前にして、社会人にしてあげて、結婚もさせてあげて、孫を抱く、母親の喜びを味わうだけの縁がなかったのです。
子供にも長寿の縁がなかった。
だから「縁がない。まあしょうがない」と考えて、また気楽に生きればいいのです。それしか、人間に考えることはないのです。


逆も同じ。子供が長生きして、立派に成人して、すばらしい社会人になったとしても、父親や母親は「私が育て上げたぞ」などと威張ったり自慢してはいけない。
頭が良く、性格が良く生まれてきて、みんなに愛されて、社会で立派な人間になったのも、その子自身の良い業のお陰で、両親が威張っても意味はないのです。
そういうふうに、みんな自分の業と縁で生きているのだから、そこを考えて、あまり落ち込むことをしない。怒ることもしない。
「あれは嫌だ、この人は嫌だ」などと絶対思わないでいると、その心はきれいなのです。





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Last updated  2010.04.16 05:44:41
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