太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2014.01.31
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小さな八百屋の「通用口」と書いたドアが開いて、黒いスーツ姿の女性が二人出てきた。
「晩酌をして、お風呂に入って・・・」、「なかなか出てこないんで、息子さんがのぞいたんですってね」、二人の会話の断片から、店の主人が亡くなったらしい。初老の男が出てきて話に加わる。
「復員してから死に物狂いで働いてさ。汗と涙の結晶がこれだけさ。店を閉めて、一杯やって風呂につかって。こんなものかね、人の一生なんて」
「まあ、ぜいたく言ったらきりがないけど、時々イヤになるわねえ」
「でも、ぜいたくいえばきりがない。同じようなものさ、誰だって。三度のご飯が食べられりゃ、それでいいんじゃないの。出世とか肩書なんて、肩に止まった枯れ葉みたいなもんだ。次の風がひと吹きすりゃ、どこかに飛んでいってしまう・・・」
(チョット例話が古いが、本質は同じです)

人の幸せの条件はそれぞれであり、「これさえあったら自分は幸せだ」という条件は人それぞれに、またその時々の置かれた状況によって違います。
例えば、病床にある人は健康を、生活に不安のある人は財産を、健康も財産もある人は地位や権力を、また子宝や配偶者に恵まれるなどと十人十色だと思います。

幸せとは、辞書を見ると「心が満ち足りていること」とあります。

戦後の私たちは、目に見える豊かさを求めて一生懸命に働いてきたが、目に見える外的な豊かさには上には上があり、絶えず「もっと、もっと」と求めてきりがなく、永遠に心が満ち足りることがありません。
その挙げ句がバブルです。

だから、本当に心を満ち足りた状態にするには、精神的、内面的なものの豊かさ、つまり、心豊かに、ゆったりとした時間を過ごすことが大切だと思います。
心が安らかでなければ、どれだけ健康であっても、どれだけ財産があっても幸せではありません。
逆に、健康が衰えて、いつも床に伏していなければならないとしても、心が安らかで、心さえ豊かであれば幸せな気分でいられるはずです。
心の安らぎがあれば、どんな状態であろうとも幸せというものを自分で見つけていくことができると思います。
結局は、イキイキと生きられることこそが幸せの実体であり、それには生き甲斐や働き甲斐(仕事だけとは限らない)、そして究極的には自分の存在価値が感じられることではないでしょうか?





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Last updated  2014.01.31 05:42:16
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