太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2015.02.22
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コントロールすべき一つ目は怒りです

我々は、家庭や会社や社会で、目で見るもの、耳で聞くもの、本で読むこと、テレビで見ること、ラジオで聞くことなど、様々なものに出会っています。
頭で考える色々なことも、仏教の立場からいえば我々が外と出会うことです。
自分という存在が何か外のものに出会うたびに、その出会ったもの(対象)に対して抱く「それは嫌だ、嫌いだ」と思う気持、それが怒りです。

例えば、誰かに小言を言われたとします。
「聞きたくもない」と思っているのに、相手は延々と話し続ける。
そんな場合、「そんな話は聞きたくない」、「この人とは会いたくない」などという、自分が出会う対象に対して拒否する感情が生れます。
普通の怒りというのは、そういうものなのです。

それが大きくなると、いわゆる破壊的な感情が生れます。

「こうすべきでない、ああすべきでない」と、もっともらしく善悪の基準をつけて人に説教して、「自分は本当にいいことをしている」と思っているが、実はやっぱり心の怒りのエネルギーの発散でしかないのです。

もし人の心に、この怒りというエネルギーが生まれてしまったら、その人は自分の出会う対象について拒否する反応を起こします。
会った人を拒否し、出会った仕事も拒否する、仲間を拒否し、家族を拒否する。
怒りというエネルギーが生まれてしまったら、そこには幸福や成功はありえません。
不幸が待っているだけです。

時々、怒りの性格、激しい性格を持っている人がいます。
このような人々は、ものごとを批判したり、厳しく善悪を判断したりして、結局は何も得ることができません。

会社でも、何事も厳密に「これは、こうすベきだ、ああすべきだ」と決めつける人がいます。
自分では「こんなにキビキビと原則通りに仕事をしているのだから、必ず幸福になるだろう」と思っているかも知れないが、とんでもないことです。
周りの人から「嫌な人だ」と思われて疎まれ、物事がうまく運びません。
そこにあるのは、「怒り」だということを理解していないのです。


「世直しをしよう」と思っている人々の間にもよくある現象で、「社会を良くしよう」と言いながら、「あれが悪い、これが悪い」と批判ばかりするひとがいます。
それだけでは、結局は何も変わりません。
そのような人々の行動から社会が全く良くならないのは、それは元々愛ではなく「怒り」の気持に端を発しているせいなのです。

私たちが見るもの、聴くもの、味わうもの、嗅ぐもの、考えるもの、触れるもの、何でもかんでも、そこに、ちょっとでも嫌という気持、拒否したい気持が生まれるならば、幸福にはなれないのです。

例えば、音楽を聴きに行って、「音が強すぎる」「周りが騒がしくてよく聞こえない」「レコードで聴いたのと比べると、今度の生演奏はあまりよくない」「今日は歌手が疲れているみたいで、きれいな声が出ていない」等々、いくらでもケチを付けることはできます。


例えば、椅子に座ったとき、「これはちょっと小さすぎるのではないか」と思ってしまったら、そこには怒りが働いている可能性があります。
大きい椅子を持ってきたら、「今度は大きすぎでしょう」と言う。
あるいはクッションのついた椅子を持ってくれば、「こんな椅子で話しはできない、寛ごうとしているのではないのだから」と言う。
クッションのついていない椅子を持ってきたら、「こんな固い椅子で長い時間座って話すことはできませんよ」と言う。

嫁をいじめる姑も同じですね。
お嫁さんが、ご飯を炊けば「今日はご飯がかたい」、料理をすれば「塩の入れすぎではないか」などと、どんな場面でもなんだかんだとミスばかり指摘する姑もいます。
それらは、単に欠陥を探そうとしているだけで、そこにあるのは怒りの性格だけなのです。
そんなことでは、当然のごとく幸せにはなれません。

ですから、もし怒りの性格があったら大変なことで、世の中の幸福な世界は見えず、悪いところばかりが見えるのです。
そういう人々は、どう頑張っても幸福にはなれません。
なぜならば、自分が会う人一人ひとりを、知らない間に敵にまわしているのですから。

だから、もし自分の性格の中で、何か自分が偉くなったように感じたり、人の欠陥ばかり見るような部分があると気がついたら、これはもう今すぐに直さなければなりません。
それが、すべての不幸の始まりなのですから。
怒りの性格があれば、直すしかないのです。

直す方法は簡単、肩の力を抜いて、反対の性格に変わればよいのです。
その反対の性格は何かというと、良いところを見るという性格なのです。
「怒り」の反対の言葉は俗語で言えば「愛」なのです。
優しい心、慈しみの心です。
「全ての人は不完全なものであって、自分も不完全である。完全なんてありえない」と、おおらかな優しい心で認めてあげることです。





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Last updated  2015.02.22 05:52:23
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