小村和也の建築家日記

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カテゴリ: カテゴリ未分類
その向こう側に見えてくるもの

最近の生活(活動)の中で、その向こう側に見えてくるものを強烈に感じている。
生死の境をさまようような災難にあったときにあの世を感じた、という人が結構
多い。真意のほどは定かではないが、しかし、一般的にいうところの苦労の最中
に見えるものがあることは確かだ。それは人の心であったり、真実であったりだ。

哲学の世界は総体的には実存ではなく観念的な思考の中で意識されるものである
が、苦労している状態の中で感じる哲学的なものは実存の世界で感じられるもの
だ。もちろんこれも意識の中で感じ取れるものだが、前者は空想活劇の世界であ
り、後者は現実の中で感じるものだ。


るものではなく、現実の出来事の中から体験を通して、その向こう側に感じる
哲学的世界が「その向こう側にあるもの」の実存だ。

このことを意識できてないと見えてはこない。体験の中から感じ取れるものと
いうことであるとすれば、実は、この瞬間にもすべての人が今この瞬間の体験の
中で、「その向こう側にあるもの」は感じ取れる世界だ。

安藤忠雄の言う「その向こう側にあるもの」とは実に身近な世界なのだ。しかし、
そこに一歩足を踏み入れたとたん深遠なる哲学の世界が広がっている。
人間は神なる存在だ、と言われる所以は、その体験こそがその人自身であり、
つまり人間そのものが「その向こう側にある者」なのだ。

目に見える仮想の世界たる現実社会のボーダー(国境)にしばられて暮らして
いるのが一般的だと思う。しかし、現実には何のボーダーもないのだ。

国も国境もなんの意味もなさないものだ。つまり、実存と思われている物理的な
もの(国や国境→実態は泥の大地)こそが仮想のものであり、人間が体験として
感じるものの向こう側にあるものこそが実存だ。

安藤忠雄の哲学の世界を紐解けばこのようなものであると思う。少なくとも、
私は安藤と同じ世界を感じているし共有していると思っている。


ANDOが通用するのは、日本人としてのボーダーでもなければ、だれぞが勝手
に意識しているインターナショナルなるものでもない。安藤忠雄の自身のその向こう側にあるものがボーダーを越えて存在している。実はそれはずべての人が共有
しうるものなのだ。








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Last updated  2006/01/08 06:55:21 PM
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