小村和也の建築家日記

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カテゴリ: カテゴリ未分類
【 思い出綴り 昭和30年代の風景10 】----------

          駄菓子屋

 昭和30年代には、当たり前のように各町内に駄菓子屋があった。

松江市で今日まで残っている駄菓子屋は、白潟天満宮の境内にある
駄菓子屋くらいであろうか。ここのたこ焼きは一舟200円で今でも
評判がよいようだ。

昭和30年代の駄菓子屋にあったものといえば、煙硝のピストルや、
2B弾(ニビーダンなどという火薬もの。今はまったく影を潜めたが、
昔は煙硝をパンパン鳴らしながら町内を駆け回ったものだった。


やたらと爆裂音がしたものだった。一升瓶に2B弾を入れてふたをする
と、一升瓶の底のガラスがきれいに円形に離れた。中には、かえるや
カミキリムシを一升瓶に入れて爆裂させるのもいた。

ペッタンやこっつんなどの紙ものや、ビーだまなどのガラスもの。
独楽(こま)もはやったが、松江ではベーゴマは流行らなかった。

ペッタンは、低学年の時には買えばとられるという有様だったが、やはり
悔しさは武器になるのだろう。中学年以降は、しまうところにこまるくら
い取りまくった。

変わったところでは、紙にチクロやサッカリンなどの着色甘味料が塗られた
ものを噛んでいた。紙キャンデーとでも言おうか。これも2枚で1円と、
当時でもリーズナブルで舌を黄色や赤に染めて噛んでいた。



当てくじは、もともと1等の当たりくじがないことくらいは、小さな子供
でも先刻承知していた。

飴やガム、わけの分からないニッキ味のジュウスもよく飲んだ。

野球選手やテレビのスターのブロマイドも流行っていた。それこそ月光仮面
や白馬童子、赤胴鈴の助、少年ジェット、七色仮面、怪傑ハリマオ・・・

った。


    写真は駄菓子屋(参考写真)





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Last updated  2007/10/04 05:40:50 PM
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