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昨日は風が強くて、開け放した窓からハゴロモジャスミンの香りが入り込んできてむせ返るようだった。あまりに強いその香りは香水のようで、少し苦手。
香りが柔らかで黄色い花をつける我が家のカロライナジャスミンの花期はもう終わってしまった。
そう。「これでもか~!」というより、「これって…なに?」という感じの香りのある人になろう。。。
うちからJRの電車の駅までの間に、ある有名な先生の病院がある。その病院が新築されてきれいになったのだが…少し悲しい。
一階のホールはいつも込んでいて、中を見ようとしなくても、込んでいる様子が通りがかるだけで分る。その病院に罹ったことはないのだが、どうしてもその病院の前を通りたくなるものがそこにはあった。ガラス越しにいつも変わらぬまなざしで見つめている彫刻…それは船越桂の作品だった。
他にも村上隆の作品とか、「誰でもピカソ」に出ていた人の作品とかが展示してあったから、院長先生の趣向だったのかも知れない。中に入れば他にももっといろいろあるのかもな~と思いながら、船越桂の彫刻を見たくてJRを使うときはその前を通っていた。。それが新築されてしまって、いままでと全く違う様相になってしまった。
一階のホールに、それはいなくなってしまった。
こんなことなら、お金がある時に何でもいいからひとつ買っておけばよかった…とふと思う。
好きな割には、去年の作品展にも、「ニアイコール(作品を作る過程を収めたドキュメンタリー作品)」も見に行けてない。
仕方がないから、作品集で我慢しよう。
船越桂の彫刻は、「たましいを彫る」とも言われている。
見る人それぞれにいろいろな思いを沸き起こさせるのだろう。
上半身の作品が多いが、本体は石ではなく、楠に彩色してあるので人肌のように柔らかな感じだ。目には大理石を使用しているが、最後まで入れるかどうか迷うという。
どこを、何を見ているのかを問いかけるような目を入れるのか…
深い闇を見つめられるように入れないのか…
その目は…昨日の自分なのかもしれないし、明日の自分なのかもしれない。
そこに不安定を探せば迷いの淵が見え、安定を探せば明日の指針が見える。
また、リアルな表情と比喩的な身体、境界のない腕からは何を受け取ろうか…
そして、最近の作品には手が登場している。
後から付けられたかのような手はどういう意味で受け取ろう…
手に関して「それは昨日の自分の手かもしれないし、誰か別の人の手なのかもしれない」、「キリストの墓のふたを閉じる瞬間に、マリアがキリストに触れた、そのときのイメージがあるかもしれない」と、船越桂はいう。
ひとつのイメージに捕らわれることなく、自由にその世界で遊ぶことができたら、船越桂の世界を充分に味わえるのだろう。
一見儚く弱くても、たおやかな強さを持つ船越桂の彫刻に自分を重ねていたのかもしれない。
ふと、見えなくなってしまった彫刻からメッセージが伝わってくる。
「いま見つめることのできる内面は充分に見つめた。今度はそれを言葉に換えていくとき… それによって新しい気付きと新しい世界…」
そしてもうひとつは「中に入ればいつでも見られるところにある。変わらないもの… 変われないもの…」
選ぶのは自由。この世は全てパラドックスで成り立っている。
背中に表せしその手は、神の手か、悪魔の手か・・・
船越桂ホームページ
http://www.katsurafunakoshi.com/
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