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決して多くはないけれど、そのときは真剣に恋をして、愛していたつもりだった。
でも本当はどうだったのだろう。。。
確信がもてないのは全うしていないからではなくて、始めのうちは愛しているつもりでも、だんだんと調子が狂っていってしまったからだ。
本当の意味で愛しても愛されてもいなかったのかもしれない。
その長い年月を正当化したくて、無意味なものだと思いたくなくて、未来の希望を自分に言い聞かせる。
そうやって、いろいろなものを履き違えていった。
本当の意味での愛は、もしかしたら永遠の理想で、手に入る人は限りなく少ないようにも思う。
恋も愛も、するもの、し続ける意思の問題だと思っていたから、多少喧嘩したって、思いがすれ違ったって、本質が揺らぐわけじゃないと思ってた。
周りうちから『おままごと』と呼ばれた元旦那との生活は、「あんな頼りないの…」と友人に言われるたびに別れられなくなった。
頼りなくても別によかった。
何もかも頼りにする気はなかったから。
やさしさが足りなくても、思いやりがなくても、別にそれを期待したわけじゃないからよかった。
自分の方が少し多めに持っていたから。
こころの弱い部分が似ていて、共に成長していけるはずだと信じてた。
自他共に認める兄弟みたいな関係。
格好いいオヤジになってほしかったのにな。
お互いがお互いの成長を邪魔していた。
足を引っ張り合っていたね。
だんだんと不機嫌が蓄積していった。
どんどんと思いがすれ違っていった。
必要以上に頼るのも頼られるのも苦手だったけれど、振り返ってみれば共依存の関係だった。
そのうちに相手も自分も見えなくなった。
夢を抱え込んだまま、動けないのを人のせいにしていた。
人は自分に似ている人か、自分の持っていない物を持っている人に惹かれるという。
残りの人生は、穏やかで豊かなこころで過ごせる老後を迎えるために生きようと思った。
1人のままか、パートナーが見つかるか、そういうことはどちらでもよい。
そういう愛憎の修羅場を再度くぐるほどエネルギーが沸かないかもしれない。
自分の中の子供性と女性性を育てるのに精一杯だ。
それでも、本心は男に生まれなかったことへの未練に戻る。
元旦那に放浪に行くことを進めていたが、本当に行きたかったのは私自身だった。
でも、もし男に生まれていたら、きっとひどい男になっていたことだろうな。
「私が私らしくいられる人」…生きている限り、老若男女問わず、そういう人を増やしていけるといいんだろうな…
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