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ようやくテストも終わり気味そしてシーズンまっさかり。ついにスノボ猫ペパミンの出番です。JRのアフタヌーンGALA券利用。すごい吹雪だと聞いていたので、朝からすべってもきっと休んでたりする時間が長いんだろうと考え、一番お得なアフタヌーン券にしました。これほんと安いんですよ。東京駅集合は9時半とかでいいから、ボード抱えて混んだ電車に乗らなくていいし、ゆっくり新幹線で眠っていけるし。で、GALAはホント豪雪!1時間ごとに1m積もってるんじゃないかってくらいの勢いでした。リフト乗ってる間は顔からつらら垂れるし。久しぶりだなあー。こんなの。でも、ピーカンのべたべたで滑るよりはずっとずっと楽しいです。GALAのパークは行ったことがなかったんだけど、行ってみたら吹雪の中でどこに何があるかわかんない。キケンだからやめときゃいいのに、このフカ雪に調子にのってたペパミンは、思いっきり攻めて思いっきり落ちました。。。なんとそこだけアイスバーン。今までの雪質を信頼して、庇わずに思いっきり顔から落ちたんだよね。一瞬星がとんで何が起きたかわかりませんでした(涙。そのあと暫くはパンチを喰らったボクサー状態で、足がふらつき酔っ払いのような感じで辛くも下山しました。。。あー情けない。救護室に行ったら一昔前のスケバンみたいに、顔に絆創膏を張られてしまいました。あさって、日舞のテストなのにっ。でも、懲りずに今年も滑っていくよ~!!目標は縦回転です♪(ヘルメット買いなさい。。。)
2005年01月30日
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ダンスの定義って何?私はずっと、ミュージカルという舞台をやっていたから、ダンスはとにかく「根本的なもの」として理解している。舞台の上で立つ姿、人に見せる所作、それがそもそも「ダンス」なのだと。音にあわせて気持ちよくポーズを決められるのだけがダンスではない。でも、身体についての意識は高くもたなきゃいけない。プロの「ダンサー」になりたいと思ったことはないけれど、ダンスとは一生はなれないところにいると思っている。それはジャンルに限らない。とにかく身体、身体のことがすべて。ジャズも、HipHopも、エアロビだって、構わない」。人に生身の身体を見せられるようになる、それが舞台芸術の基本だと思っている。
2005年01月20日
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音楽文芸特別講座で、小室等さんが来た。小室さんの写真はメインブログにアップしてあります。 講座のテーマは、表題の通り。井上陽水のトリビュートアルバムを題材に、「声音」とは何か、聞き手を感動させる要素としての「憑依」について、詩人の佐々木幹郎先生と小室さんの対談という形式で行われた。小室さんは、もちろん名前は知っているけれど初めて拝顔する。銀髪の、いかにもミュージシャンらしいオーラをまとった人だ。 歌手が歌を歌う時、あとから考えても「これは私がしたことだったのか?」と思うほど「超越した」力の出る瞬間がある。これを氏は「憑依」と呼ぶ。その例として、まず挙げられたのは陽水トリビュートアルバムの中で「心もよう」を歌う平原綾香だ。この曲、実は私は初めて聴いたのだが、なかなか良い曲である。初め陽水自身が歌う「心もよう」がプレイされ、その後に平原バージョンを聴く。なるほど、シンコペーションで歌い上げる平原節の高音に、いわゆる「鳥肌」を感じる瞬間が幾度かあった。小室氏は、この歌を聴いて初めて平原を知り、慌ててODYSSEYを買いに走ったそうだが、平原自身のアルバムの中にはその「憑依」は見られなかったそうだ。オリジナリティのないところにこそ「それ」はつきやすいらしい。「彼女は、まだ20そこそこでしょう、本当はこんな歌い方ができちゃいけないんです。」小室氏はジャニス・ジョプリンのサマータイムをかけながら説明する。憑依は少し「薬」と似ていると。でも、憑依が先か、薬が先かは誰にも解らない。 それから、奥田民生の「リバーサイドホテル」。これは奥田の声自身ではなく、ラテン調にアレンジされたピアノ他の演奏にちょっと神懸かり的なものがあるという。ラテンポップスのルーティンを繰り返すという作業の中で、手練に降りてくる「何か」がある。 小野リサの「いっそセレナーデ」は「なめるな」と一刀両断。彼女の心地よいボサノバボイスが好きな人には「何を!」という感じだろうが、憑依感は確かにない。でも彼女の別のアルバムの中に入っている「マライカ」という曲は、ワールドミュージック的な幅を持つ歌で、楽しんで歌っている小野リサにそれこそ「マライカ(天使)」が降りてきているようだ。 それから、ユーミンの「とまどうペリカン」、そして忌野清志郎の「少年時代」と続いた。この「少年時代」が実に面白い。最初から最後まで打ち込みで作られているようだが、とにかく一つの音楽作品として面白いものに仕上がっている。メロディなんか適当に変えられてしまっていて、ふざけていると言えばふざけているが、その悪ふざけの中に「あちら側」があるようだ。 ことば、とはとても不確実なものである。「ええと」「なんて言えば良いかな」「What to say...」ことばだけでは伝えられない「感情」や「物事」が必ずある。言葉は決して比喩的なものから逃れられないからである。それを補うのが、「うた」であるのかもしれない。その「うた」にのせて伝えられた「もの」は、確かに相手に伝わっているにもかかわらず伝えた側も受け取った側も「実体」をつかむことができない。それはそれでいいのである。そういった類いのものを、「ひと」は渡したり受け取ったりしなければならないのだ。まるで目に見えない電子が様々な原子の間を行き来しているように。 これが、私が「ミュージカル」と一般的に呼ばれるところの表現を創り出して行きたいと思う気持ちに通じるのかもしれないな。私はかつてそれを「手抜き」と言われることを恥じていた。でも、伝えたい気持ちがどうしても言葉にならないことは、恥じるべきことではないのかもしれない、と小室さんの話を聞きながら思った。言葉を過信して胡座をかくことの方が、よっぽど恐いことかもしれない。 佐々木先生の軽妙な(そしてオモロい)司会もところどころ笑いどころを供し、とても有意義な講義であった。使用曲のCDが全部欲しくなってしまうという、お財布に痛い弊害はあったのだが・・・(笑。井上陽水トリビュート YOSUI TRIBUTE-CD-〔送料無料キャンペーン中〕平原綾香/ODYSSEY
2005年01月13日
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