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2017.01.17
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カテゴリ: 観照

京都の鴨川に架かる 三条大橋から西岸の南を眺める と、先斗町歌舞練場の建物が目に入ります。

先斗町歌舞練場 の建物をズームアップしてみました。
川縁に建ち並ぶ建物群の西側、 三条通一筋南を起点とする南北の通りが「先斗町通 (ぽんとちょう) 」です。


三条大橋西詰南側の少し奧に、ちょっと小ぶりなこの銅像が建てられています。
三条大橋を渡って河原町通や新京極通に急いで向かう人は、見落とすかもしれません。

角度を変えて撮ってみると・・・・。
右側に駒札があります。「道中安全祈願」と題されています。末尾に「三条小橋商店街」とありますので、ここの皆さんが建立された銅像なのでしょう。
「ふれあいの弥次喜多さん

  道中安全願いつつ
  ふれて楽しい
 旅のはじまり  」 (駒札転記)

これでおわかりでしょう。江戸時代の滑稽本で超有名な 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』 に登場する江戸神田八丁堀の住人・ 弥次さん(弥次郎兵衛)、喜多さん(喜多八) です。東海道を西に旅して遂にこの三条大橋に到着した姿でしょうか。さあ、いよいよこれから本格的な京見物が始まると期待一杯なのかもしれません。
もとは、弥次・喜多の二人が日本橋から箱根まで出かけた話、初編『浮世道中膝栗毛』が書かれ、これが好評を得て、滑稽潭に溢れた娯楽本として続編が書き継がれたのです。弥次・喜多さんは、東海道を上り、伊勢参宮をして大坂を経由してから京都に辿りつくことになります。大坂から京に入ったのですから、京の都への最初の入口は別なのでしょう。そしてこの三条に到着したようです。『東海道中膝栗毛』は 1802-09年(享和2-文化6)に出版 されています。 (資料1)
原文・現代語訳を確認していません。ネット検索で得た情報ですが、弥次・喜多さんは奈良街道を通り山城の伏見に着き、京都へ入る予定だったのです。だがふと大坂見物を思いたち、淀川を三十石船で下り、大坂を先に訪れることに変更します。その後に京に戻ってきて、京見物をするのです。 (資料2)

先斗町通の一筋西の通り沿いに三条小橋の架かる高瀬川が流れています。この 高瀬川は角倉了以により、1611年(慶長16)~1614(慶長19)に開鑿され竣工 しています。 先斗町は1670年(寛文10)鴨川の改修工事で出現し、川原の西側にだけできた町 この地に初めて水茶屋が設けられたのは1712年(正徳2)の頃 で、「高瀬舟の船頭や旅客目当ての旅籠屋が、茶立ての女子を置いたのが始まりとされています」 (資料3) 。さらに 芸妓の取り扱いが認められたのは1813年(文化10) だそうですので、弥次・喜多の珍道中は、先斗町に水茶屋がある時代ということになります。弥次・喜多さんは、少なくとも懐にかなりのお金を持っていたとしても、先斗町の芸妓さんを呼んでお座敷遊びは出来なかったことになります。しかし、程なく先斗町で公認の芸妓さんが生まれて来たということなのです。おおきくみればまあ同時代ということですね。フィクションと時代の背景を重ねると面白みが加わるかもしれません。 (資料3,4)

この弥次喜多像の前を川沿いに少し南に下り、右折、左折すると先斗町通です。
弥次喜多像の左の駒札は「三条小橋商店街町定」と題して、この商店街の方針が制定され宣言されています。目指すのは 「訪れてよし、働いてよし、住んでよし」


右折する前に、三条大橋の架かる北東方向の景色を撮ったのがこれです。
よくご覧いただくと、三条大橋は2つの流れを跨いでいます。川幅の大きい流れが「鴨川」です。西側の幅の狭い流れにもちゃんと名称があります。 「みそそぎ川」 と呼ばれています。勿論、全体が広義の鴨川です。
夏季になると、この「みそそぎ川」の上に、 夏の風物詩の一つ、「川床」 が張り出されるのです。
「みそそぎ川」は人工水路で、鴨川の河川改修工事(1936-47年)の一環として作られ、戦後に完成をみたそうです。
加茂大橋の下流で取水され、暗渠となって流れが南下した後、丸太町橋と二条大橋の中間辺りで水が現れて、その後、鴨川の主流と平行して流れる水路となります。トンネルの出口には、「みそそぎ川」の表示があります。一度、確認に行ったことがあります。この「みそそぎ川」の名前は、 古くから鴨川そのものが「みそぎ」をする川 であったので、そこに由来するそうです。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂祭(葵祭)は京の三大祭りのひとつとして有名です。賀茂祭は、斎王が御杖代として直接奉仕される重要な祭典であり、「往時は賀茂祭当 日(旧暦4月2番目の酉の日)に先立つ午又は未の日に斎院より賀茂川の河原に赴かれて、 更に身を清められる『御禊』が行われていました。」 (資料5)
『源氏物語』第九帖「葵」に、光源氏が新斎院御禊の儀式に供奉する行列を見物しようとして起こる「車争い」の有名なエピソードがでてきます。あの「御禊」がそれに相当します。

なぜ、この「みそそぎ川」という人工水路が作られたのか?
「鴨川では、江戸時代より川の中に床几をならべて夕涼みをするようになったとされています。大正時代に入り治水工事により中洲が取り除かれ流れが速くなったことから、床几の床が禁止になりましたが、 その後の河川改修などで高水敷に人工水路の『みそそぎ川』が開削され、納涼床は現代のようにみそそぎ川の上に出される高床形式になりました。」 (資料5) ということのようです。

江戸時代の鴨川の河原での納涼床は、次のような資料でわかります。ご興味がある人は、名称をクリックしてご覧ください。ともに四条河原での風俗を描いています。
「皇都祇園祭礼四條河原之涼」 (五雲亭貞秀,貞秀 筆)国立国会図書館デジタルコレクション
「四条河原 夕涼其一」 (『都林泉名勝図会』巻の一 54頁) 国際日本文化研究センター

右折するとわずかの距離で左折して先斗町通に入ります。
先斗町は北が三条通一筋南を端にして、南は四条通まで、東は鴨川、西は高瀬川に挟まれた区域です。東西50m、南北500mほどの細長い町です。四条通に架かる四条大橋西詰に警察の派出所(交番)があります。その傍に先斗町についての駒札が立っていて、「先斗町」の名の由来が記されています。「先斗 (ぽんと) 」はポルトガル語のponta(先)、ponto(点)、英語のpoint にあたり、「先」を意味し、この地があたかも川原の崎(先)だったからとか、ポルトガル語のponte(橋)をもじったものだとか、鴨川と高瀬川の川(皮)にはさまれた鼓にたとえ、ポンと音がするのをもじったとか、諸説があるようです。 (資料4,5)


先斗町通りは幅の狭い南北の通りです。三条通一筋南から数十m南に歩くと、東側に「先斗町歌舞練場」の建物の入口が見えます。

こちらが入口です。

昨年12月の京の年末行事である「當る酉歳 吉例顔見世興行」(東西合同大歌舞伎)と1月の前進座初春特別公演が、ともにこの先斗町歌舞練場がその舞台となりました。現在、前進座の公演が継続されています。
普段はいずれも、四条大橋東にある南座で行われるのですが、南座が耐震工事を行う必要性から休館に入っているために、こちらで実施されることになったようです。
こういう形で観劇したのは、私には初めての経験です。

祇園にある祇園甲部歌舞練場で「都をどり」が毎春行われますが、こちらの 先斗町歌舞練場では、毎年春秋の2回、「鴨川をどり」が恒例行事 になっています。大昔に「鴨川をどり」を一度観劇したような記憶がありますが、おぼろげです。今回たまたま続けて、こちらの歌舞練場に入って観劇することになった次第です。

昨年12月の吉例顔見世興行は、 「五代目中村雀右衛門襲名披露」 として行われました。夜の部(第三部)の観劇でしたので、カメラを持参せずに行きました。確認には出向いていませんが、独特の勘亭流という書体での「まねき」看板は南座の正面にいつものように上げられたようです。
演目は「双蝶々曲輪日記 引窓 八幡里十次兵衛住居の場」と「京鹿子娘道成寺」 でした。こちらは2階席からの観劇。舞台はよく見えましたが、残念ながら花道での演技は見えませんでした。

「引窓 (ひきまど) はストーリーがわかりやすい場面でした。石清水八幡宮に近い八幡の里に住む南与兵衛(なんよへい)が、亡父の仕事だった代官に登用され、十手を預り父の名を継いで南方十次兵衛( なんぽうじゅうじべえ :仁左衛門)と改名することになります。女房お早( はや :孝太郎)と母お幸( こう :吉弥)は、共に南方十次兵衛としての出世を喜ぶのです。お幸は南与兵衛の父と再婚した人で、十次兵衛には義理の母になります。
そのお幸の許に、お幸が再婚前に里子に出した実の息子・濡髪長五郎( ぬれがみ :彌十郎)が密かに訪ねてきます。関取として出世していた長五郎ですが、やむを得ず人を殺して追われる身となっていたのです。
十次兵衛は人相書をもとに逃亡犯を追うことが初仕事となります。帰宅後、勿論彼は初仕事で実績を上げたいと意気込み語ります。ところが、お幸は人相書のお尋ね者が、己の実の息子であると知ります。そして、お幸は十次兵衛に人相書きを買い取りたいと言うのです。義理の息子の出世を喜ぶ一方、実の息子を逃してやりたいと願うお幸。お早の思いも乱れます。義理と人情の板挟み。十次兵衛は母の申し出を不審に思うのですが、庭の手水鉢に移る二階の人物の姿に気づき、その理由を悟るのです。十次兵衛は長五郎を逃す決断をします。一方、長五郎は十次兵衛にかかりお縄につこうとします。そんな展開が舞台を盛り上げていきました。義理人情ものの好演を久々に楽しめました。

「京鹿子娘道成寺」 は雀右衛門が白拍子花子を演じ、次々に舞台衣裳を替えながら舞りを中心に演じていくという演目。最後のシーンまではほぼ一人舞台という大変な演目ですが、踊りそのものに惹きつけるという見せ場がある舞台です。最後の場面では、鐘の中に入った白拍子が、蛇体に変化して鐘から現れてきます。大舘左馬五郎に扮する海老蔵が登場して、クライマックスの荒事芸が両者の間で演じられます。見応えがありました。

後で調べていて、興行に先立ち、9月に中村雀右衛門が 京都妙満寺 で円成祈願法要を行ったというネットのニュース記事を読みました。「妙満寺は、紀州道成寺の安珍清姫伝説で、清姫の怨念がこもった鐘が、後年、怨念解脱のために納められた寺で、芸の上達を願う参拝者が数多く訪れ、春には鐘供養も行われます」 (資料7) とか。妙満寺の鐘のことは初めて知った次第です。




前進座初春公演は、午前の部で観劇しました。こちらは1階の前から6列目あたり、花道に近いところでした。花道の前半分くらいでの演技は間近く観ることができました。

前進座が結成されて85周年、京都初春公演は40周年 になるそうです。 1月9日~24日の公演 です。 中村梅之助一周忌追善 の公演としても位置づけられています。

演目は「雪月花源氏旗挙-牛若丸」と「人情話 文七元結 (ぶんしちもっとい) 」の二つ。

「牛若丸」 は創作歌舞伎です。三幕ものです。最初が「伏見の里 雪の場」で常盤御前(栄之丞)が牛若丸を連れて逃げるところを捕まりますが、平宗清(臣弥)の情けで逃がされます。「五条橋 月の場」は例の牛若丸(本村)が武蔵坊弁慶(渡会)と立ち回りをし、懲らしめる楽しい場面。そして「鞍馬山 花の場」です。牛若丸が鞍馬山で剣術稽古に励む1対多数(6~8?)との立ち回りの場面。賑やかな場面で一群の小鴉天狗の動きが楽しい演技です。そして大天狗僧正坊(矢之輔)から六韜三略の兵法書一巻を授かり、弁慶を伴い、陸奥への旅立ちでめでたく終わるというもの。なじみがある話は分かりやすくて楽しめます。

「文七元結」 は私は初観劇です。三遊亭圓朝の落語・人情話を芝居にしたものだそうで、前進座は1947年の初演以来800回を越える人気演目だとか。おもしろおかしい所作もあり、笑いと涙の要素たっぷりのお芝居です。左官の腕はいいのに酒とバクチにのめり込む長兵衛(矢之輔)と女房お兼(國太郎)夫婦が中心となります。二人の間の喧嘩が絶えないのです。娘お久(有田)は両親のためにと、吉原の遊女屋佐野槌を訪ね、我が身を売ろうとします。佐野槌は長兵衛が左官の仕事をする顧客でもあったので、女将が長兵衛を呼びにやり、お久の前で経緯を話し、娘の孝行心に気づかせます。女将は長兵衛に50両を貸し与え、一旦お久は手許に預かると言います。長兵衛は50両を借り受けて己の借金を返済し、1年後には必ず50両のお金を揃えお久を迎えに来ると誓うのです。ところが、帰り道で川に身投げをしようとしている若い男に気づき、押しとどめるのです。文七(臣弥)は身投げの理由は武家屋敷に受け取りに行った50両を無くしたのでおめおめと店に戻れないという・・・・。身投げを邪魔した長兵衛の懐には50両がある。それを与えれば、己が困ることに、だがこのままなら文七は身を投げる。さてどうしょう・・・・おれは江戸っ子だい、ままよ、今ただいまの人の命には替えられないと・・・・という展開になり。その後が、一時期大変に・・・。しかし、人情話のハッピーエンドの落ちで幕が閉まるということに。なかなか滑稽で、人情の機微をうまく取り入れた筋立てでした。800回を越える芝居だけある舞台になっています。見せ場がうまく組み込まれています。

先斗町歌舞練場の館内を開演前にちょっと撮ってみました。

                           舞台の幕

            舞台に向かう両側面の2階部分。

こちらは花道に近い席から体を捻って2階正面部分を撮ったもの

立地の関係からか、規模的にはやはり南座や祇園甲部歌舞練場と比べると小規模です。

現在の歌舞練場は昭和2年(1927)に再建された5階建ての鉄筋コンクリート造りの建物です。地上4階、地下1階。劇場建築の名手といわれた大林組の技師、木村得三郎氏の設計によるものだとか。 (資料5,8)


この赤い提灯の図柄が先斗町花街のシンボルマーク。鴨川畔なので 千鳥をシンボライズしている そうです。右の白い提灯の意匠の由来は調べてみましたが不詳です。


入口正面の屋根に据えてある鬼瓦をご紹介しておきましょう。京都で生まれ育ち、四条・三条界隈にはかなりの頻度で出て来ています。そしてこの先斗町通と歌舞練場前も歩いているのに、いままで気づかなかったのがこの鬼瓦です。今回、開演入場待ちの時間を利用して、意識的に写真を撮っていましたので私的な新発見!です。普段は見慣れた町並でもあり、目線を上に向けて通りすぎることもなかったので意識外でした。
普通の鬼ではないけど、どこかでみた記憶のある造形だなと思っていたら、やはり説明がありました。「中国の 蘭陵王の舞楽面 を型取った」ものだそうです。なるほど・・・・そうか・・・・。「先斗町の繁栄を祈念して守り神として据えてあります。御ひご覧下さい」 (資料4) とありますので、一度現地で入口の屋根を見上げてください。

最後に先斗町と鴨川に関連して詠まれた歌や句をご紹介します。 (資料5,8)

先斗町袖すりあぐも春の夜の多生の縁となつかしみつつ   新村 出
先斗町の遊びの家の灯のうつる水なつかしや君と眺むる   吉井 勇 (酒ほがひ)
橋の上袷 (あわせ) にさむう夜風しぬ加茂川踊見て帰る道     岡 稲里 (朝夕)
三条の小橋大橋その中に柳散りける秋もありしが      岡 稲里 (早春)
春の月雲すだれして暗きとき傘を思ひぬ三条の橋      与謝野晶子(夢の華)

  門松の松もこぶりの先斗町       石束かず子
  抜け路次に臼神在 (いま) す小正月      三木蒼生
  かたむけて春雨傘や先斗町        きぬ
  相触れて春雨傘や先斗町         常悦
  先斗町春灯洩るも洩らさぬも      西村和子
     打水の先斗町をば通り抜け       寺嶋艶子
  先斗町裏に吊菜のありにけり      多田芙紀子
  先斗町に早き客あり漱石忌       谷口智子
  三条の上で逢ひけり朧月         漱石
  川床 (ゆか) 涼みだらりの帯を近く見て   辻田克巳
  賀茂川の川床ととのひて風渡る     和田野弥生
  加茂川の川床昼見るはうらがなし    浮田胤子

先人の詠んだ歌や句に、先斗町界隈のかつての、そして今の、風情が漂っています。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 東海道中膝栗毛  :「コトバンク」
2) 東海道膝栗毛の中の「くらわんか舟」 :「北河内古代人物誌」
3) 斎王代以下女人列御禊の義  賀茂祭(葵祭)  :「賀茂別雷神社」
4) 先斗町鴨川をどり 公式サイト  「先斗町について、先斗町歌舞練場」の各ページ
5) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂 p268-273
6) 鴨川真発見記<37から42>   :「京都府」
7) 雀右衛門が『京鹿子娘道成寺』ゆかりの寺で祈願法要 :「歌舞伎美人」
http://www.kabuki-bito.jp/news/3548
8) 『名所で詠む 京都歳時記』 京都名句鑑賞会編  講談社ことばの新書

補遺
鴨川真発見記<37から42>  萩原義雄氏 :「情報言語学研究室」(駒澤大学)
【朗読】 東海道中膝栗毛 京都(方廣寺) 十返舎一九  :YouTube
源氏物語 葵 原文 (大島本)  :「源氏物語の世界」
源氏物語 葵 現代語訳 (大島本)  :「源氏物語の世界」
みそそぎ川  :「京都風光」
双蝶々曲輪日記   :ウィキペディア
双蝶々曲輪日記~引窓 :「歌舞伎演目案内」
娘道成寺   :ウィキペディア
顕本法華宗総本山 妙満寺(みょうまんじ)   :「KEIHAN 叡山電車」
妙満寺(京都市左京区)   :「京都風光」
チドリ科   :ウィキペディア
フォトギャラリー野鳥図鑑(歩いている鳥)  :「BIRD FAN」(日本野鳥の会)
野鳥辞典/鳥の動画/キョロキョロしているかわいい鳥、シロチドリ  :YouTube
千鳥(ちどり)  :「生きもの歳時記 万葉の生きものたち」
「舞楽面陵王」~舞楽面の特別講座~  日本仮面文化研究所 梁取弘美氏
舞楽面 羅陵王・蘭陵王   :「イノウエコーポレーション」
雅楽 陵王  :「文化デジタルライブラリー」

劇団前進座公式サイト
五花街紹介  :「おおきに財団 Website」
京都先斗町のれん会  ホームページ
さんこば 三条小橋商店街振興組合  ホームページ

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)





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Last updated  2017.01.17 20:47:41
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