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2017.03.14
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カテゴリ: 探訪 [再録]

                                 [探訪時期:2014年6月]
「滋賀・大津を歩く その2」の最初の探訪地がこの 「天孫 (てんそん) 神社」 でした。
2014年6月26日に、「彫刻の魅力と保存修理」(滋賀県・文化財保護課主催)という講座を聴講するために大津にある「コラボしが21」に出かけました。この機会に、天孫神社をスポット探訪をする目的で少し早めに出かけ再訪し次第です。その細見記としてご紹介を続けます。

冒頭写真が 境内の南東側にある石造大鳥居で、こちらが神社の表門 になります。
地図(Mapion)はこちらをご覧ください。




大鳥居の左側に、この画像の案内が掲示されています。「御由緒」とネット検索で得た情報を統合し、その要点を列挙してみます。


*歴代国司の崇敬を受ける。
  建久年間(1190~1199)近江守護職佐々木貞綱が社殿造営、神田を奉納
  元亀年中(1570~1573)栗太郡青地の城主青地伊代守が社領を寄進
  文禄4年(1595)10月 近江守源朝臣高次による寄進(30石の地)
  天保13年(1842)豊臣秀吉による大津城築城以来、全城下の鎮護神とされる。
  文政13年(1830)6月 近衛家が拝殿拝所を造営寄進
*明治維新の際に、「天孫神社」と改称された。
  元は「四宮神社」と称し、「天孫第四宮大明神」とも称される。
*大正4年(1915)県社に列格
*例祭は10月10日 「大津祭」と称される湖国一の大祭である。
 大鳥居傍の説明板には、曳山13基で綾羅錦繍の惟帳で飾り、木偶人形のカラクリ仕掛けの傀儡をなすという主旨の説明が記されています。14基だった時期もあるようです。現在の大津祭では、曳山13基が氏子の町々を優美に巡行します。宵山を一度見たことがあります。


 手水舎



覆屋の蟇股の意匠、頭貫の文様はシンプルですが、切り込みが深い。

木鼻の彫刻が二種類あり、彫りが深くてダイナミック、飛び出してきそう・・・・。


舞殿 。表門側からの眺め
           南、南西、西から見た舞殿   

舞殿の天井を見ると格子天井ですが中央が一段高くなった 折上格天井 です。
書院造の建物では格式の高い大きな部屋の天井に見られる様式です。

 本殿手前にある 拝殿の正面
         拝殿は入母屋造で、間口4間奥行2間。
再訪時はちょうど「夏越の祓え」 (なごしのはらえ) の行事が行われる直前 であり、 「茅の輪」 が準備されていました。
「茅の輪のくぐり方」がイラスト入りで説明され掲示されていました。
「茅の輪」のくぐり方があるのを初めて知った次第です。単に通り抜けるだけではないのですね。
これも神社によって流儀があるのでしょうか?


               拝殿の中に入って拝した本殿正面
さらに近づいて、本殿を拝見しました。

祭神は四柱
 彦火々出見尊 (ヒコホホデミノミコト)
   ヒコホノニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの子で三男。火遠理命(ほこおりのみこと)=山幸彦
 国常立尊 (クニトコタチノミコト)  :天地開闢のときに出現した神。神代7代の第1代
 大己貴尊 (オオナムチノミコト)   :大国主の別称
 帯中津日子尊 (タラシナカツヒコノミコト)
   足仲彦天皇 (タラシナカツヒコノスメラミコト) =仲哀天皇   (資料3)




 たまたま、組高欄の傍からこちらを見る猫とご対面。


拝殿は格子天井です。斗供の間に浮彫彫刻が施されていて立派な建物。

千鳥破風の前にさらに唐破風屋根が設けられていて、金色に輝く菊の紋章をレリーフした装飾金具が取り付けられています。

拝殿の両側には境内社が配されています。
  正面に向かって右側に 「日若宮社」

近づいて拝見すると、蟇股はごくシンプルですが、頭貫には手水舎の覆屋と同種の文様が刻され、木鼻の彫刻もしっかりなされています。

  同様に、左側には 「天満神社」

こちらも蟇股や頭貫は同様で、木鼻の彫刻は日若宮社とは異なる形象です。海老虹梁にもしっかり文様が彫刻されています。

よく観察すると、本殿の扉とこの両小社の扉は同様の装飾金属板で飾られていて、一つの統一感が形成され、調和しています。

                社殿前の一対の狛犬

境内の一隅に、なぜか信楽焼の狸が置かれています。近江らしいというところでしょうか。

大津祭について、知り得たことをいくつかご紹介しましょう。箇条書きで列挙します。
*記録によると、 祭礼当日に鍛冶屋町の塩売(塩屋)治兵衛が狸の面をかぶって躍ったことで、人々が集まって賑わったことが発端だとか
*寛永12年(1635)から屋台に地車を付けて子供衆に曳かせることが始まった。
*寛永15年(1638)より京都の祇園会の鉾形に発展していった。
*曳山と練物(ねりもの:仮装行列)があり、練物の数が当初は多かったが、徐々に曳山に切り替わっていった。
大津祭の曳山13基にはすべて「からくり(人形)」が現存している。
 京都で誕生したからくりが中京方面で発展し、大津祭で完成期を迎えた。
*天孫神社の鳥居前で、最初にからくりが演じられる。
*滋賀県下では唯一この大津祭の曳山が祇園祭と同様に、 毎年組み立て、解体される
曳山13基の名称
 西行桜狸山 (さいぎょうざくらたぬきやま) 、源氏山 (げんじやま) 、殺生石山 (せっしょうせきざん) 、湯立山 (ゆたてやま) 、西宮蛭子山 (にしのみやえびすやま) 、孔明祈水山 (こうめいきすいざん) 、龍門滝山 (りゅうもんたきやま) 、西王母山 (せいおうぼざん) 、石橋山 (しゃっきょうざん) 、神功皇后山 (じんぐうこうごうやま) 、月宮殿山 (げっきゅうでんざん) 、猩々山 (しょうじょうやま) 、郭巨山 (かっきょやま)
*滋賀県の 無形民俗文化財 に指定されている。   (資料4,5)

このほかの境内社などを次回にご紹介します。

つづく

参照資料
1) 天孫神社由緒   :「天孫神社」
2) 天孫神社~(四ノ宮神社)  :「滋賀県神社庁」
3) 『日本の神様読み解き事典』 川口謙二編著 柏書房
4) 大津祭の歴史 歴史と由来  :「大津祭曳山連盟」
5) 大津祭  :「滋賀県観光情報」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
天孫神社  ホームページ
天孫神社   :ウィキペディア
大祓   :ウィキペディア
夏越の祓(なごしのはらえ)  :「暮らし歳時記」(私の根っこプロジェクト)
京都で行われる夏越祓(なごし)茅の輪くぐり   :「きょうの沙都」
NPO大津祭曳山連盟  ホームページ
大津祭曳山展示館 のページ
大津祭 2014   :YouTube
2014年10月11日 大津祭宵山   :YouTube
大津祭 2014 :YouTube
アーカイブ 大津祭 特集2011   :YouTube
ホオリ   :ウィキペディア
国之常立神   :ウィキペディア
大国主   :ウィキペディア
仲哀天皇  :ウィキペディア

      ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


探訪 [再録] 滋賀・大津を歩く その1 大津点描(山吹地蔵・車石・琵琶湖風景・明智佐馬之助)へ
探訪 [再録] 滋賀・大津を歩く その2  -1 天孫神社、大津事件跡、大津城跡、九品寺、大津宿本陣跡 へ
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Last updated  2017.03.14 10:14:28
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