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2017.03.16
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カテゴリ: 探訪 [再録]

                                [探訪時期:2015年2月]
この写真は、これからご紹介する探訪の集合場所、 大津港前芝生広場の入口にある「大津城跡」碑と「大津城縄張推定復元図 」です。
赤丸を追記したところが、この碑のある場所 。京阪浜大津駅前の陸橋を湖岸方向に出て、広場入口に下りたところにあります。

2015年2月21日(土)に、 探訪「小関峠越えをゆく-琵琶湖疏水-」 に参加しました。滋賀県教育員会の文化財保護課・企画テーマ「近江の宝」の一環としての探訪です。「おやじのたまり場」のメンバーがボランティアガイドとして協力してくださいました。
この時のまとめを再録して、ご紹介します。「滋賀・大津を歩く」の最後にご紹介したのが、この時の個人探訪部分です。

この地図が配付資料に掲載の全行程図です。


こちらの部分拡大図が今回ご紹介のエリアに関係する場所 (資料1)
黒丸の「スタート」が集合した広場であり、冒頭写真がその歩き始めた地点です。
今回ご紹介のエリア地図(Mapion)はこちらをご覧ください。


西近江路を「志んみ保がさきばし」(新三保が崎橋)まで歩きます 。この辺りはかつては砂浜だったそうです。そこに疏水の取水口を築くために、「疏水第一築地」が作られたのです。土砂の堆積により取水口が塞がれることを防ぐのが目的だったとか。
 今、第一築地の内側(取水口)はヨットハーバーに。


三保ケ崎水位観測所 があります。

第一築地には、 「われは湖の子」と刻んだ石碑 と、その傍に 「琵琶湖周航の歌」の歌碑 があります。

第三高等学校に入学した小口太郎が1917(大正6)年6月に琵琶湖一周の漕艇中に歌詞を思いついたとされている今やご当地ソングの定番の歌です。琵琶湖と言えば、すぐにこの歌を連想します。琵琶湖周辺の探訪の何カ所かで「琵琶湖周航の歌」歌碑を目にしています。作詞・小口太郎、作曲・吉田千秋で初版のレコーディングが行われたのは1933(昭和8)年だったようです。 (資料2)


1912(大正元)年に建てられ「三高&神陵ヨットクラブ」と板壁に記された艇庫 があります。「現在京都大学ヨット部の艇庫は、旧制第三高等学校のものとして建てられたものです。」 (資料1)

第三高等学校二部クルーは学年末の慣例として6月にこの三保ケ崎を漕ぎ出でたのだとか。当時は7月卒業という学制だったそうです。1日目雄松(近江舞子)、2日目の6月8日今津の湖岸の宿に泊まった時に、部員の中安治郎が小口の作詞内容を紹介したのです。そして、その歌詞を当時学生の間で歌われていた「ひつじぐさ」(作曲・吉田千秋)の曲にのせて歌ったというエピソードが伝わっています。 (資料2,3,4)


好きな歌ですので、脱線しました。本筋に戻ります。
第二疏水取水口

取水口北側の建物は第二疏水管理棟 です。

第一疏水だけでは電力需要が満たせなくなったことがその一因です。もう一つ、第一疏水の完成当時、京都市は人口が27万9000人だったとか。当時の市民の飲料水は井戸水が主体だったのですが、コレラなどの伝染病が流行したために、上水道の整備が課題となり、京都医市民の飲料水をまかなうことも必要になったのです。これらの目的で第二疏水が作られることになったといいます。 (資料5)
第二疏水の流量は毎秒15.30立方メートルだそうです。 (資料6)

1908(明治41)年10月着工、1912(明治45)年3月完成。「上水道の水源として汚染を防ぐため、全線が掘り抜きトンネルまたは鉄筋コンクリート管の埋立てトンネルに設計されています」 (資料1)
延長7.4km。
西郷隆盛の子、西郷菊次郎市長が京都市の三大事業(第二疏水、水道、市電)の中核事業と位置づけて着工したといいます。 (資料6)

従って、 琵琶湖疏水の本線は、第一疏水の取水口から、いよいよ京都側へ探訪していくことになります。
1881(明治14)年2月、京都府知事に任命された北垣国道が京都の産業の振興を目的として、着目したのが琵琶湖であり、疏水の開削だったのです。 琵琶湖疏水は、1885(明治18)6月に着工され、1890(明治23)3月に、まず大津から鴨川合流点までが完成します。 (資料6)
こちらは全長11.1kmです。

「福島県の安積疏水の主任技師南一郎平に琵琶湖疏水計画の調査を依頼し,大津京都間の測量を島田道生に命じ,東京の工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎を土木技師に採用するなどの準備を進め」 (資料6) 、難工事を含めながら人力中心で工事が行われたといいます。

左の写真が 疏水 、右の写真は 「揚水機場」 です。

疏水施設の近代化の一環として、「琵琶湖の水位が下がったときでも安定した取水ができるよう,第2疏水連絡トンネルの工事が行われ,平成11年に通水し」 (資料6) たことで、この揚水機場のポンプの稼働の必要性はほぼなくなったようです。


大津絵橋  この橋は疏水に対して斜めにかけられています
実はこの橋、 1969(昭和44)まで運営されていた江若鉄道の線路だったところなのです
今は、大津市役所前を通り、皇子が丘公園までの遊歩道「大津絵の道」の一部になっています。

ご覧のように、 この橋には大津絵があしらわれています。これは鬼と藤娘でしょうか。
大津閘門 (こうもん)
閘門というのは運河や放水路で水量を調節するための水門です。 この大津閘門は日本人が設計建設した日本最古の様式閘門なのです。 初期は木製の扉だったそうで、4人の人足が手動回転式により開閉していたといいます。今はハンドル開閉式の鉄の扉です。上流側。

左岸に左写真の石標があります。上掲の田辺朔郎が大津閘門の開閉を明治天皇に説明した記念に建てられたもの。

下流側の閘門の景色

疏水の両側には桜の木が植えられています。この疏水縁の桜が満開になると見事なことでしょう。
もうすぐその時季が巡ってきます。

鹿関橋のところにある説明板




左岸から鹿関橋を渡って 右岸沿いに進むと、「三尾神社」の石の鳥居 が見えて来ます。

この鳥居の左側を疏水沿いに進みます。

振り返るとこんな感じです。


見えてくるのが、「第一トンネル東口洞門」です。
三井寺観音堂下を通り、長等山を貫きます。全長2,436m。
この第一トンネルが難工事だったといいます。
当時、国内最長のトンネルになったそうです。1890(明治23)年2月に完成。

入口に鉄製の扉が見えます。これは、建設当時「疏水が原因となって、琵琶湖の渇水や京都の洪水が起こる」という流言から反対運動が生じたので、それをなだめるために、非常時に開閉できるようにと設けられたといいます。幸いにも現在まで一度も閉じられていないそうです。


ギリシャ神殿を模した花崗岩製のこの 東口洞門のアーチの上部には、「気象萬千」と伊藤博文が揮毫した書の扁額が飾られています。
「千変万化する気象と風景との変化はすばらしい」という意味だそうです。中国・宋の時代の岳陽樓記の一節からの句といいます。
トンネルの内部には、北垣国道京都府知事の書「寶祚無窮 (ほうそむきゅう) 」が刻まれているそうです。「皇位は永遠である」という意味だそうで、明治の気風がうかがえます。

この東口洞門入口の上は道路になっています。そこからの疏水の眺め。

この第一疏水の流量は毎秒8.35立方メートルだそうです。 (資料6)

つづく

参照資料
1) 「探訪[近江水の宝]小関峠越えをゆく-琵琶湖疏水-」当日の配布資料
     滋賀県教育委員会 協力:おやじのたまり場 
2) 琵琶湖周航の歌   :ウィキペディア
3) 「♪われは湖の子・・・♪」で知られる琵琶湖周航の歌   :「びわ湖源流.com」
4) 琵琶湖周航の歌資料館  ホームページ
5) 『京都 水ものがたり 平安京1200年を歩く』 平野圭祐著 淡交社  p50
6) 琵琶湖疏水  :「京都市上下水道局」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
琵琶湖周航の歌  :「高島市」ホームページ
琵琶湖疏水(本線)   :「写真で見る日本の歴史」
大津の取水口から京都へ散策   :「京都・滋賀深堀り 文化観光」(京都新聞)
ギャラリー  :「大津絵の店」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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Last updated  2017.03.18 21:36:23
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