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2017.10.26
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カテゴリ: 歩く [再録]
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2013年6月と7月にウォーキング同好会で歩いたコースの記録を兼ねて 、コースをご紹介したものを、再録します。 (再録理由は付記にて)

6月に、余呉から管山寺の後、田上山城跡を経由して木之本駅に到着の予定だった のですが、ある分岐点で、方向が変わり城跡に行けずに、 山を巻く形で木之本駅に出てしまった のです。そこで、7月にリベンジとして、木之本側から田上山城跡に登り、そこから逆コースで管山寺に歩くことになりました。それなりにおもしろい記憶です。そこで両方をまとめてみたいと思います。
まずは、JR余呉駅からのルートのご紹介です。


冒頭の画像はJR余呉駅 で小さな駅舎です。その駅前に、大きな観光案内板が設置されています。

今回歩いたコースの場所をズームアップするとこんなところです。
地図(Mapion)はこちらご覧ください。




この神社の前を通ります。 「えれひこじんじゃ」 と読むそうです。
ご祭神は 大山咋神を主祭神に、天日槍命を配祀する神社 です。崇神天皇の頃、天日槍命の子孫がこの地を開拓し、祖神を祀ったという伝承のある土地柄です。この神社の裏山には「鉛練古墳」があり、古墳祭祀が起源だとも考えられているようです。また、「エレヒコの名は新羅の官名といわれている。」という説も (資料1)

そういえば、以前探訪した 蒲生郡竜王町鏡にある鏡神社のご祭神が天日槍命 です。
新羅国の皇子天日槍 (あめのひぼこ) の従人がこの地に住んで、金工、・製陶の技術を業としていたと伝わっています。同系統の人々が、余呉町周辺にも移住してきていたのかもしれません。

近くに 「上丹生、下丹生」の地名 「丹生神社」 があります。丹は丹砂を示し、丹砂は硫黄と水銀の化合した朱色の鉱物。水銀の原料または、顔料を意味しています (資料2)

284号線に入ると北陸道の近くに、お堂があります。何のお堂か確認できずに通り過ぎました。



その先の山の斜面の少し上の方に、小さな祠が祀られています。
こちらは、道路脇に説明板が建てられていました。中世には比叡山延暦寺の影響力がこのあたりまで及んでいたのですね。


そして、その先に 「ウッディパル余呉」 ​があります。ここで小休止しました。コテージ、キャンプ場、アスレチックなどがあり、アウトドアを満喫できる施設です。



下丹生の地点で、欄干が赤く塗られた平篠橋を渡り、高時川沿いに南下して、大見に向かいます 。このあたりなかなかいい景色です。
丹生の「丹」に赤いという意味がありますから、土地柄で欄干が赤く塗られているのでしょうか。ここでもそんな想像をしてみたくなります。


途中に、小さなダムがありました。小規模発電所のようです。

ここが 「大見いこいの広場」 の一部なのでしょう。 オートキャンプ場の一角 が見えました。

                 ここから 管山寺への山道に 入ります。


山道の傍、所々で出会う坐像。修行僧像なのか、羅漢像なのか・・・、山道を歩む人を見守ってくれているようです。

管山寺の門 に到着。山門脇には、宝蔵と表示された土蔵風の建物があります。

門の両側の巨木が見事です。滋賀県指定天然記念物の 「管山寺のケヤキ」 です。
説明板には、指定理由が記されています。 この管山寺は菅原道真公ゆかりの寺。菅原道真が44歳の時に2本のケヤキと1株の梅を記念に植えたのだとか 。現在は無住の寺になっています。長浜市住みよい緑のまちづくりの会が建てられた 「保存樹指定樹木標識」という標識板もあり、このケヤキ2本は、樹高約10m、幹周囲約10m、樹齢約1300年と記されています。
 山門を入った一隅にも草花の咲く中に小さな坐像が。



無住の寺となった本堂は今や荒廃の一途をたどっています。 近江名刹第一番札所 という表示が出ていますが、今はかつての壮麗さを建物に残る彫刻などから、想像力で補うばかりの荒れようです。

近くに 如法経堂 の建物が残っています。



本堂から石段を少し下った先に、 大きな池(朱雀池) があります。
池のほとりで昼食休憩となりました。


池の傍には、弁財天の小祠 があり、そのすぐ近くに、 近江天満宮の建物 がありますが、こちらもやはり荒廃が進んでいます。
この境内に、真新しく赤く塗られた小さな賽銭箱が建てられていました。そのコントラストが物悲しい・・・・・。

池の端からまた、少し山道を登り直し、再び尾根道に出ます。



                          「管山寺周辺案内図」

そこには、地図、写真入りの立派な説明板がありました。
普通はまずこの案内板を見てから、管山寺の境内に向かうのでしょう。

大箕山管山寺は、もとは龍頭山大箕寺と呼ばれたそうです 。菅原道真は余呉湖辺の川並村に生まれ、6歳から11歳までこの寺で勉学したと言います。寛平元年(889)からこの寺が復興されたとき、現在の大箕山管山寺と改称されてたと伝えられているようです。 菅原道真がこの寺院を中興したのです
境内に重要文化財の梵鐘があります。建治3年(1277)、鎌倉時代に大工丹治国則作とか。この梵鐘に刻まれた銘文にそのあたりのことが記されているようです。

尾根上の縦走路を歩いて、呉枯の峰(533m)に。
  ここには、一等三角点があります。

ここから後は、田上山公園へ伸びる山道を歩み、田上山城跡を経由で木之本駅に至る予定が、分岐で別ルートを歩んでしまい、山を巻く形で下山することになってしまいました。
続きは、7月参加のリベンジ・ウォーキングのまとめとして、再録によりご紹介いたしましょう。

参照資料
1) ​ 鉛練日古神社 ​ :「延喜式神社の調査」  
2) 『角川新字源』 小川環樹他編 角川書店  p23

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
鉛練比古神社 (エレヒコ) ​ :「滋賀県神社疔」
管山寺(余呉三山) ​ :「滋賀県観光情報」
寺の道しるべ 管山寺 余呉三山 ​ :「余呉観光情報」
菅原道真 ​ :ウィキペディア
    道真の生誕・幼少期については、いくつもの説・伝承があるようです。
菅原道真 ​ :「知識の泉」
鏡神社 ​ :「竜王町観光協会」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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歩く [再録] 滋賀・湖北 木之本駅~田上山~管山寺~余呉駅  -2  田上山城跡 へ
歩く [再録] 滋賀・湖北 木之本駅~田上山~管山寺~余呉駅  -3 管山寺、弘善館、乎弥神社 へ







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Last updated  2017.10.27 00:08:15
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