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2018.01.03
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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2013年5月10日(金)に奈良に出かけました。興福寺創建1200年記念として、南円堂と北円堂が同時公開されている期間中です 。北円堂はかなり以前に一度拝観したことがありますが、南円堂を拝観した記憶がありません。同時に拝見できるとのことで訪れたのです。この時にまとめたものを、 興福寺関連の一環として、再録しご紹介します (再録理由は付記にて)

JR奈良駅から三条通を東に歩き、興福寺の南側の石段から境内に入ります。
奈良国立博物館に行くときのおなじみのルートです。
ゴールデン・ウィークの終わった後でもあり、観光客のピークは過ぎていて比較的静かに興福寺の境内を楽しむことができました。

石段を上ったすぐ近くに南円堂の朱色の八角堂があります
弘仁4年(813)に藤原冬嗣が父のために建立したのが始まり だとか。しかし現在のお堂は 4度目の建物 で、 江戸時代、寛保元年(1741)の再建立柱によるもの
このお堂は 西国三十三所第九番札所 として、いつもお参りの人々で賑わっています。

お堂の正面(東向き)から左手に回りこんで行き堂内に入ることになります。


小高い丘陵の上に南円堂が建っていますので、 境内とはいえ、一段低い丘陵の一角に建っている三重塔を見下ろす感じになります 。お堂には半周回り込み、
西側から入ります。


拝観券の一部が、南円堂と北円堂の2ヶ所それぞれで切り取られますので、結果的にこんな形の拝観券が手許に残りました。もう1ヶ所は記念品「にほひ袋」との引き換え用です (左画像) 。今回、おもしろいと思ったのは、 右の画像の袋。これはお堂に入る時の靴入れ用です 。いままでどこでもその場に置かれたナイロン袋に靴を入れて拝観するのが普通でしたが、お持ち帰りのこの袋で靴をぶら下げていくというのは、いいアイデアです。雑然とした備え付け、使い回しのナイロン袋の置き場とその世話係の人も不要ですし、見た目もスマートです。




これが堂内の配置です。 (当日入手リーフレットから引用。参照1)

お堂の中央に、康慶作、木造の不空羂索観音菩薩坐像が本尊像として安置されています
鎌倉時代、文治5年(1189)に約15ヶ月を費やして制作されたそうです。。
冒頭の看板にある右側の金色に輝く仏像です。像高336.0cmであり、間近で見上げると、その重量感に圧倒されてしまいます。仰ぎ見る角度によって、観音の表情が少しずつ変化して見えます。
宝冠には阿弥陀如来の化仏をつけ、眉間には縦長に第三の目が付けられています。 八臂の観音様 (けんさく) 、右手に払子 (ほっす) が持たれています。

観音の持物 (じもつ) にはそれぞれ意味があるそうです。 (参照2)
蓮華(浄土の理想)、錫杖(善心をおこす)、羂索(衆生を救う。濁世で溺れる者を縄で助けて引き上げるという意味合いでしょうか)、払子(障りを払う)というように。
第三手が与願印ならば、衆生に願望するものを与えてあげますよというサインです。

「不空羂索観音菩薩坐像が見にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との関係で特に藤原氏の信仰を集めました」と説明書 (参照1) にあるのですが、私には鹿皮がこれだなと確信が持てるレベルで識別できませんでした。
公開される機会があるときに拝観される方はご自分の目でご確認ください。

須弥壇の四方には四天王立像が配されています。仏師康慶とその弟子たちによる制作とのことですが、この像がもとどこに安置されていたのか、謎なのだそうです。
現在諸説あり研究上の話題になっているのだとか。

今回興味深く思ったのは、この南円堂の四天王像と北円堂の四天王像、それぞれが国宝なのですが、作風が全く違うという点です。見比べてみると、興味深くおもしろいものです。

南円堂背面の全景

北円堂全景
北円堂はお堂とはかなり距離を置いて柵囲いになっていますので、いつもはひっそりしています。

興福寺のホームページの「概要」に説明されています ​が、その起源を含め藤原氏の建立によるものです。
北円堂は養老4年(720)に亡くなった 藤原不比等の菩提を弔うために建立されたお堂 です。 創建は養老5年(721)で、八角堂は廟堂としての意味を持っているのだとか。

法隆寺の夢殿も八角形です 。宮崎興二氏が日本が八という数字を重視する側面について、ある本で論じられています (参照3) 。中国渡来の易経における八卦に関係していると分析され、八が宇宙の構成原理を説明するうえで利用されたと言われています。「八角形は東西南北とその中間の合わせて八方向をも表現しているため・・・・宇宙のかたちとして、古代の中国や古代のわが国では非常に重大な意味を持っていた」のです。 聖徳太子に関連するお堂の多くは八角形 。古代の重要な古墳も八角墳です。

八雲立つ、八千矛神、八大地獄(八熱地獄)、八難、八節、近江八景、金沢八景、八道、南総里見八犬伝、八面六臂、八面玲瓏、八咫烏(やたがらす)、八尺鳥(やさかどり)・・・四苦八苦まで、「八」に囲まれていますね。八は確か末広がりで縁起がいいとも言いますね。これは、余談。

現在の北円堂は承元4年(1210)に再建復興されたもので、興福寺伽藍の堂宇の中ではもっとも古い建物 だそうです。

冒頭の看板の左が、 北円堂の本尊像・弥勒如来坐像 です。こちらも堂内の八角形の須弥壇中央に安置されています。あの有名な 運慶作の木造で、像高141.9cm。
弥勒如来というのは将来仏です。弥勒菩薩が56億7000万年後に成仏した姿をシンボライズしたお姿。


この配置図にあるように、脇侍として室町時代に制作された二菩薩像を従え、 如来坐像の背後に、無著・世親菩薩立像が侍っています。
無著・世親は兄弟僧侶です。両像も運慶の作 。両像ともにとてもリアルです。久振りに対面しましたが、やはり実物の像を見るのはいいですね。
老年期の枯れた無著と壮年期の意志力漲る世親の対照が明瞭で双方に惹かれます。像高は無著像が194.7cm、世親像が191.6cm。ほぼ同じ位です。体躯はどっしりと量感があります。よく観察すると頭の形は少し違います。また、両者の袈裟の背面の環状の部分の表現も異なります。世親の玉眼は炯炯として、遙か遠方を見つめています。

こちらの四天王像は8世紀末、平安時代・延暦10年(791)制作 のものだとか。 南円堂の四天王像が寄木造であるのに対し、木心乾漆造です。像高も南円堂の像に対し7割位の像高です 。着衣を含め四天王像の表現が異なるのも、見ていて楽しいものです。時代の好み、仏師のイマジネーションが反映しているのでしょうか。
これは、いろんな角度から眺めながら現地現物で味わうしかありません。



この北円堂を参考にして、上掲の南円堂が再建されたようです。同じ八角形のお堂ですがやはり構造上の工夫が違います。開かれた扉の上の部分を観察すると、 木組みの構造が明らかに異なっています。連子窓の高さも異なるようです。

拝観する観光客が多い時のために、北円堂への通路ガイドが置かれています。

堂宇では撮影禁止でしたが、かなり離れた境内からデジカメのズームアップで、お堂内の如来坐像と法苑林菩薩像及び無著菩薩立像を拝しました。

  合掌


興福寺は現在着々とその伽藍配置の復元が進行しています。
だいぶ、全体像が見える形になってきました。
この説明板を拡大しますと、



中門・回廊部分の基壇と礎石が復元され配置がわかりやすくなっています。基壇の上も歩けます。



南面回廊の東端から西方向に南円堂を眺めた景色


復元された中門・回廊の南面回廊東側から眺めた五重塔の景色

       中門の南に位置する復元された 南大門の基壇・礎石から五重塔を眺めた景色


境内を北方向に歩いて行くと、境内への北の入口付近に

この記念碑があります。この前の大路を西に下っていくと、近鉄奈良駅です。

この後、もう一つの目的地に向かいました。(別稿の再録にします)



興福寺は、奈良国立博物館に行く際の通り道として利用していますので、分散してご紹介している結果になっています。末尾に記したブログ記事もご覧いただけるとうれしいです。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1)興福寺拝観の手引き・解説リーフレット
2)『図説歴史散歩事典』(監修井上光貞・山川出版社)
3)『なぜ夢殿は八角形か 数にこだわる日本史の謎』(宮崎興一著・祥伝社ノン・ポシェット)

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
興福寺 ​ 公式ホームページ
不空羂索観音 ​ :ウィキペディア
 → ​ 奈良・興福寺南円堂像(Fukukensaku Kannon Nanendo Kofukuji.jpg) ​ 
四天王 ​ :ウィキペディア
 → ​ 興福寺 中金堂 木造四天王像立像 ​  :「興福寺」
 → ​ 四天王像-天平に息づく守護神たち ​ :「うましうるわし奈良」(JR東海)
菩薩 ​ :ウィキペディア
木造無著・世親立像 ​  :「興福寺」
無著 ​ :ウィキペディア
世親 ​ :ウィキペディア
脇侍 ​ :ウィキペディア
仏師系図 ​ :「仏像の修復」(仏像文化財修復工房)
仏師系譜 ​ :「神奈川仏教文化研究所」
  ​ 仏師 8.康慶
  ​ 仏師 9.運慶
運慶 ​ :ウィキペディア
康慶 ​ :ウィキペディア
康慶について知りたい。 ​ :「レファレンス協同データベース」
藤原不比等 ​ :ウィキペディア
藤原不比等 ​ :「知識の泉」
藤原冬嗣 ​ :ウィキペディア
藤原冬嗣 ​ :「コトバンク」

      ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

観照  展覧会の秋-京都と奈良ー、そして秋の紅葉 へ
スポット探訪 [再録] 奈良 興福寺境内を通り奈良国立博物館に へ
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Last updated  2018.01.03 12:47:58
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