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2018.01.21
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カテゴリ: 観照 [再録]
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城陽市の歴史探訪でまちを歩いた時が、雨もよいの日でしたので、 雨に濡れた汚水ふた になっています。
城陽市を探訪したおりに知った語句が 「五里五里の里」 です。京都府の南部にあり、 京都から五里、奈良からも五里と、ちょうど中間にあるところからこう呼ばれているのだそうです 。探訪記は既に拙ブログ記事に載せています。こちらもご覧いただけるとうれしいです。

このマンホールの汚水ふた・ 中央にあるのは、城陽市の市章 。昭和30年(1955)4月26日に制定されています。公募により市章が決定されたそうで、この意匠は、城陽の「城」という文字と、陽つまり「太陽」のイメージを組み合わせて発想されたものだとか。(資料1)

市章の周りを、二種類の花が一組になり、円形のふたを4分割する形に配置されています。
「市の花」に制定された「花しょうぶ」 です(資料1)。
城陽市では、木津川流域の豊かな地下水に恵まれ、 「花しょうぶ」が明治40年頃から栽培されてきた土地柄 だそうで、 京阪神随一の生産高を誇る そうです。全国的にも埼玉、静岡、愛知、熊本と並ぶ5大産地の1つだとか。約10戸の農家が「村雲」という品種を中心に栽培され、年間約200万本を出荷されているそうです。
そして城陽市南部、 観音堂地区にある「花の小径」 の自然の中で花しょうぶを鑑賞できるのです。5月の中旬には、 「花しょうぶまつり」 が開催されています。


                                                                (「写真素材足成」のフリーフォト写真素材を使用させていただきました。)

余談ですが、 「ショウブ」と「アヤメ」は漢字で書けば同じ「菖蒲」 となり、 「いずれがあやめ、かきつばた」という表現もまたあります 。今まであまり意識しなかったのですが、その違いは如何?
調べてみて、​ 「花の見分け方」を見つけました。こちらをご覧ください。 (「水郷潮来観光ガイド」)

もう一つは「梅」の花 でしょう。昭和47年(1972)10月24日に「 梅」が「市の木」に制定されています。 (資料1)

城陽市の南部・青谷地区の東方の丘陵地にある 「青谷の梅林」は梅の名所として有名 なところです。
毎年、2月下旬から3月中旬にかけて、青谷梅林で 「梅まつり」 が開催されています。開放梅林は約1ヘクタールの規模、場所は城陽市中中山です。
梅まつりの頃には、約1万本の白梅が咲き誇るといいます 。梅の収穫は6~7月で、約120~130tに及ぶといいます。 (資料3,4)

  風かよふ綴喜の里の梅が香を 空にへだつる中垣ぞなき  宗良親王千首 62

と、後醍醐天皇の皇子宗良親王(1311~1385?)が鎌倉末期に歌を詠んでいます。
少なくとも、この頃には青谷梅林のことは都びとには知られていたのでしょう。

宗良親王は、妙法院門跡を嗣ぎ、天台座主にもなった人。後醍醐天皇による建武の新政が瓦解した後に還俗し、各地を転々とされたといいます。

青谷梅林について、地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

JR奈良線・山城青谷駅の東方向、市辺地区に「青谷梅林」と記されている辺り一帯です。
青谷梅林は「生産梅林」であり、梅の果実から梅干し、梅酒、梅菓子などが製造されています
山城青谷駅の近くには、​ 地元に根付いた梅酒造りの蔵元「城陽酒造」 ​があります。青谷梅林特産の「城州白」という品種をの梅の実で醸造されています。梅ジュースや梅干も製造されています。勿論、各種清酒も。
また、梅干とともに、城州白という梅を使った「うめっ娘」というお菓子や飴、梅ヨーグルトソース、梅ジャムなどが​ 「京都青谷梅工房」 ​で作られています。


また、 城陽市は桜の名所の一つでもあります。
城陽市総合運動公園と木津川桜づつみで「城陽さくらまつり」(3月下旬~4月中旬)が行われます。
城陽総合運動公園には「ソメイヨシノを始め八重、大島、しだれなど400本の桜が植えられて」いるそうです。木津川桜づつみには、「300本の桜が植えられており、約6.5kmの道のりをガイドの説明を聞きながら歩く 『お花見ウォーク』 も開催されます。」とか (資料5) 。​ 「木津川桜づつみマップ」から詳細情報を入手できます。こちらのページをご覧ください。 (木津川の自然 木津川桜づつみマップ:「淀川河川事務所」国土交通省)

上掲の宗良親王の歌には、 「綴喜の里」 という語句が見えます。
城陽市の沿革を調べると、昭和26年(1951)4月1日に、久世郡の久津川村・富野荘村・寺田村と綴喜郡の青谷村が合併して、久世郡城陽町ができます。この城陽町が市制施行により、昭和47年(1972)5月3日に城陽市となったのです。 (資料6)
綴喜郡青谷村という旧名称が「綴喜の里」に結びついていきます。

現在の綴喜郡は、井手町 (いでちょう) と宇治田原町 (うじたわらちょう) で構成されています。かつての綴喜郡を構成していた各村が、この城陽市と同様に、京田辺市・八幡市・京都市に統合されて行ったことによります。 (資料7)

この汚水ふたからの連想をまとめてみました。
ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) ​ 基礎データ ​  :「城陽市」
2) ​ 広報じょうよう 5/1 平成22年(2010) No.1383 ​ pdfファイル
3) ​ 青谷梅林 ​  京・滋賀の梅情報 :「京都新聞」電子版
4)​ 青谷梅林 梅だより ​ :「青谷散策マップ」
5) ​ 桜の名所 京都府城陽市 ​ :「桜の名所と開花情報.com」
6) ​ 城陽市 ​  :ウィキペディア
7) ​ 綴喜郡 ​  :ウィキペディア

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
城陽市 ​ ホームページ
アヤメ ​     :ウィキペディア
ハナショウブ ​  :ウィキペディア
カキツバタ ​   :ウィキペディア
『菖蒲(あやめ)・菖蒲(しょうぶ)・かきつばたの違い』
       :「おじさんのうんちく:RICOH Communication Club」
ウメ ​ :ウィキペディア
梅(うめ) ​  :「季節の花300」
お茶の京都 碾茶の里 ​  城陽市観光協会トップページページ
五里ごり館(城陽市歴史民俗資料館) ​ ホームページ
城陽市・青谷梅林-梅まつり-散策 ​  :YouTube
宗良親王 ​  :「やまとうた」
宗良親王 ​  :ウィキペディア

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

 ​ マンホールのふた見聞考  ウォッチング掲載記事一覧

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
探訪 [再録] 京都・城陽市南部を歩く -1 枇杷庄城址・枇杷庄天満宮・阿弥陀寺・外野城跡
   3回のシリーズでご紹介しています。
探訪 [再録] 京都・城陽市 青谷・多賀を歩く -1 山城青谷駅・黒土古墳群・中天満神社・中城跡
   4回のシリーズでご紹介しています。

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Last updated  2018.09.13 18:56:46
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