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2018.01.25
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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2015年9月8日、雨の降る中でしたが、奈良国立博物館の開館120年記念特別展「白鳳~はなひらく仏教美術~」を鑑賞するために、奈良にでかけました。併せてこの日、一度元興寺を訪ねました。
記念特別展「白鳳」は、白鳳期の如来像や菩薩像を多数拝見できたことはまたとない機会でした。特に、久しぶりに法隆寺の観音菩薩立像(夢違観音)を間近に拝見できました。また薬師寺の月光菩薩立像の大きさとその優美さをすぐ傍で見上げて、白鳳期の鋳造技術力の高さに圧倒されていました。
この展覧会後の探訪のまとめを再録し、ご紹介します。 (再録理由は付記にて)

冒頭の景色およびこれは、 博物館の西新館南側にある庭の眺め です。池の東寄りの景色です。
水面に同心円状に波紋が広がり、重なり合っていく姿にリズムを感じます。
西新館のすぐ外には建物に沿って横長の池があり、その先に庭が広がり、庭の中央にもう一つの池があります。

その池面が、雨が少し激しさを増すと、飛び跳ねるように乱れていきます。




西寄りには、木立に囲まれた先に 茶室「八窓庵」

中央から眺めると、東岸から西岸に平石の橋が架けられ、また中央の池にも橋が架けられています。以前、庭が公開されているときに、庭を散策しました。地泉廻遊式庭園になっています。
​                        奈良国立博物館の全体図は、ホームページのこちらをご覧ください。


新館の東に位置する青銅器館の南側には、敷地内の通路の南に「春日東塔跡」があります。
   その傍に説明板が建てられています。








そこから、通路を西に歩むと 「春日西塔跡」の礎石がある芝生 が広がっています。

興福寺の境内を抜け、石段を下ると 南側の「猿沢池」の畔に 出ます。

この景色は猿沢池の北西隅から道沿いに少し南に入ったところからの眺めです。

「采女まつり」の説明碑があります。 この斜め後、すべり坂下南西側の角に 「采女神社」 が所在します。「奈良時代、帝の寵愛を失って猿沢池に身を投げた采女を祭ると伝わる」 (資料1) 小さな神社です。興味深いのは社殿の正面は悲劇の池に背を向けて、西側にあり、その正面が天平ホテルという建物の壁に向いているのです。

猿沢池の北東から西にかけての対岸をパノラマ合成するとこんな風景です。



猿沢池の西辺の道を南に進み、その脇を流れる 「率川 (いさがわ) 」に架かる小橋から見おろす と、川の中央に、 舟形に作られた中州の台座があります。紅い前懸をした石仏群が祀られています 。まるで小舟に乗船する客人のように・・・・。ちょっとめずらしい不思議な光景です。 「率川地蔵尊」または「尾花谷地蔵尊」と称されているそうです。
後で調べてみると、幕末の頃このあたりの河川工事の折に埋もれていた石仏が見つかり、それらを集めて祀られるようになったといいます。 (資料2)

元興寺の大凡の位置の方向感覚だけで散策したため、「ならまち大通り」を横断してそのまま奈良町の町並を見ながら南下し、かなり遠回りしてしまいました。

中新屋町 (なかのしんやちょう) でみかけた町屋

この町屋に 「説明板」 が掲示されています。この辺りは風情を感じさせる古い町並が続きます。
もともと元興寺の寺地だったところに、室町時代以来、庶民が進出してきて町並を作り上げていったのだとか。それが奈良町となったそうです。 (資料1)

ならまち紅屋、奈良町物語館、寧屋工房など を眺めながら、ふらっと歩いていたために、逆に犬も歩けば何とやらで、この前に来た次第。

門と「史蹟元興寺塔趾」の石標を見たのです。お陰で予定外の史跡も探訪できることに。



参道を奧に進むと、 「元興寺」の扁額が掛けられた山門 があります。脇扉が開かれていましたので、お庭を少し拝見しました。

                 山門を入ると左側には地蔵石像が数多く祀られています。

                 右側には「元興寺」の説明板があります。

正面に向かうと少し高くなった位置に、 塔趾の礎石 が見えます。
かつては、ここに元興寺の五重大塔が建てられていたのです 。安政6年(1859)に焼失したと言われています。 (資料3)


塔址の左側方向には、「啼燈籠」が一基建てられています。 円柱には正嘉元年(1257)の刻銘があり、奈良市内では年号が刻まれた石燈籠としては2番目に古いものだそうです。

「延享年間(1744~1747)今の大丸呉服店その頃京の伏見に下村家あり。代わりの燈籠を奉納して、古燈籠を申し請いて自宅に運ぶ。尓来(それ以来)夜毎家鳴り震動して家人怖れを為しその音を聞くに燈籠より発したれば元の如く此所に安置したりと伝ふ」
昭和19年の大地震で倒壊し細かく割れていたのを66年ぶりに平成22年春、元の姿に修復されたと付記されています。

門近くの元興寺の説明板に併載の地図を見て、元興寺(極楽坊)へ至るための軌道修正をすることになりました。お陰で、かつての元興寺の寺地の規模を認識するとともに南北方向の長さを歩いてみたことにもなりました。これは怪我の功名でしょうね。

猿沢池・率川地蔵あたりから元興寺の地域の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

現在の元興寺は「東門」が入口になっています。 東門の南隣りに拝観受付があります。

門を入ると、正面に本堂があります 。全景を撮ろうとすると、この角度になりました。
国宝「極楽坊本堂」です。極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれるようです。

「極楽坊本堂」というのは、国宝としての指定名称。


総合収蔵庫内を拝見し後、そこで見つけて購入したこの本(元興寺公式ガイドブック)では、「極楽堂」と記載されています。
表表紙が後で見てほぼ同じ方向からの写真だったということに気づきました。

裏表紙は総合収蔵庫の1階中央に置かれている 「国宝・五重小塔」 です。
この小塔は高さ5.5m、瓦や組物が精密に表現されたもので、その部材の大半は奈良時代末のものだそうです。かつては、上掲の五重大塔が建てられる時に「ひな形」として作られたものという説が立てられていたのですが、江戸時代の大塔修理の際に描かれたと推定できる大塔の構造図が発見されて、大塔ひな形説は否定されることになったのです。伽藍配置として東西に塔が対として建立されるのが普通です。 元興寺では普通なら西塔の立つ位置に「小塔院」という建物が配置されていました。そこで、小塔院にこの五重小塔が祀られていたのではという可能性が考えられているのです 。しかし、史料には称徳天皇が作らせた百万塔が小塔院に納められたという記録があるだけで、この五重小塔についての記載資料がないようです。ここに 五重小塔の謎 があります。いずれにしても、建物内に据えられ続けてきたために、修理が重ねられたとは言いながらも、これだけの優美な真新しい感じを維持してこれたのでしょう。

さて、 極楽堂について 、この本を参照して、少しご紹介しておきましょう。 (資料3)
現在の建物は六間四方の本瓦葺・寄棟造( よせむねづくり) ・妻入 (つまいり) の建物です。正面に一間の通り庇 (ひさし) が付いています。
寬元2年(1244)に東室南階大坊 (ひがしむろなんかいだいぼう) という僧坊の東半分を切り離し、改築した結果がこの建物だそうです。僧坊時代の一房全体が現在の堂内中央に取り込まれ、周囲を増築で拡大したというものです。そのため、本堂の中央が、三間四方の内陣となり、その周囲を広い外陣 (げじん) が囲むという形式になっています。

本堂に取り込まれた僧坊一房が智光法師がおられた房として伝わるのです。
そして、この内陣に据えられた厨子の中に、 本尊として「智光曼荼羅」が祀られています 日本三大曼荼羅-青海・当麻・智光-の一つになっています。
「智光曼荼羅とは、奈良時代、元興寺で学んだ僧侶智光法師が夢で見た極楽浄土の様子を描かせた図」 (資料3) を意味します。曼荼羅堂という呼び名はこの本尊に由来するのでしょう。
智光法師は凝然が日本浄土六祖の最初に挙げた僧侶と言われています。

中世における浄土教信仰が高まっていくにつれ、この智光曼荼羅への信仰も集まっていったようです。

元興寺を訪れて、初めて知ったのですが、そのルーツは飛鳥だったのです。
崇峻天皇の時代に、飛鳥の地に 法興寺 (ほうこうじ) が建立されます。そのまたの名が 飛鳥寺 であり、 元興寺 だったのです。現在の飛鳥寺に鎮座される飛鳥大仏は有名で、ご存じだと思います。奈良の都は、藤原京を経て平城京に移ります。 飛鳥の法興寺が平城京に移されて後、元興寺となったそうです 。極楽堂に使用されている木材の年代測定調査で、法興寺創建に近い年代と判明しているのです。 大仏を祀る法興寺の金堂はそのまま飛鳥に残し、それ以外の僧坊など周辺建物が移建されたのだろうと推定されています。

境内を本堂正面から時計回りに探訪していきます。

本瓦葺・寄棟造の本堂の屋根 。左手前に一部見えるのが禅室の屋根。
屋根は「行基葺き」と呼ばれる方式です 。丸瓦はラッパ状のままで、瓦の重なる部分に凹みが作られていないので、丸瓦の厚みがそのまま段として見える形で繋がっていく葺き方です。
雨に濡れていて分かりづらいのですが、少し茶色っぽい色調に見える瓦があります。この赤みがかった色調の瓦は飛鳥の法興寺から運ばれてきたもので、その瓦と平城京移建にあたり製作された瓦がそのまま併用されているそうです。晴れた日に元興寺を訪ねられたら、屋根瓦をよく観察してみてください。

また 禅室南西東端部の軒平瓦 -画像に写る手前の屋根部分-には、 奈良時代、室町時代、鎌倉時代のものが併用されている のです。上掲ガイドブックと対比しながら観察されると、約1300年という歴史の流れがイメージしやすいかもしれません。





禅室の南の境内で、まず整然と並べられた供養塔が目に飛び込んできます。
供養塔群の先には、石仏が整然と並べられた石仏群があります。
この一画は「浮図田 (ふとでん) 」と呼ばれています。
禅室北西部の石舞台に積み上げられていたものが、昭和63年(1988)にこのように並べなおされ整備されたそうです。 浮図 (ふと) とはブツダのこと です。 浮図田は「文字通り仏像や仏塔が稲田のごとく並ぶ場所という意味」 (資料3) を持つそうです。

五輪塔群の南にあるベージュ色に塗られた柱、白壁の建物が 総合収蔵庫 です。
上掲の国宝・五輪小塔を中心に、阿弥陀如来坐像、複数の聖徳太子像、如意輪観音菩薩坐像、弘法大師坐像ほかが安置・収蔵されています。
この建物には2階があり、そこには中世の人々の心に触れることのできる様々な仏教民俗資料が展示されています。ここも一見の価値ありです。物忌札、千体仏、柿経 (こけらきょう) 、納骨塔婆など。
私が印象深く思ったのは、「和合」と「離別」のそれぞれの「祭文 (さいもん) 」が並べて展示されていたことです。「祭文とは、祭りの際に神に捧げる祝詞 (のりと) のこと」 (資料3) で、展示されているのは漢文調で写筆されたものです。女性の目線からの庶民の願文は、この世の煩悩は時代を経ても変わらないという思いにつながります。

浮図田の石像の間に桔梗が咲いていました。

境内の西側から見た禅室(左)と浮図田
禅室も国宝です。旧僧坊の平面を生かして鎌倉時代に改築されたものと言います 。桁行四間、梁間四間で平屋根切妻造、本瓦葺き。屋根は東端の一部に行基葺きを残して、後は本瓦葺きとなっています。つまり瓦の段差のない通常の瓦葺きです。

境内を南から西に回り込むと、北の端に石舞台が見え、その前に 「役行者像」 が祀られています。

      禅室の北面を西端から眺めた景色で、北門が写真に写っています。

北側の境内を禅室に沿って東まで歩き、出口のある東門に戻ります。
北側の境内端には、丘本風彦句碑、蛙石、杉本健吉書万葉歌碑などがあります。
デジカメのバッテリー切れで撮れませんでした。残念!

購入した本に掲載のかつての 元興寺伽藍復元図を引用します
その規模がどれほど大きかったかを現在の地図と見比べて、イメージしてみてください。
奈良町の町並を歩いた通りは、この復元図を重ねてみると、食堂跡・鐘楼跡・講堂跡・金堂跡あたりの中心軸になるようです。そこから通りを折れて廻廊跡あたりを歩き、現在の史蹟・大塔趾に向かっていたことになります。
振り返ってみて、初めて在りし日の元興寺境内の規模を実感した次第です。

最後に、公式ガイドブックで見つけた 「元興寺の三大桜」 をご紹介しておきましょう。
 1, 元興寺影向 (ようごう) 桜   浮図田の傍に咲く桜
 2. 塔址の桜  大塔跡の巨大な礎石の無骨さと桜のたおやかさ
 3. 小塔院の桜 護命僧正供養塔とともに眺める桜花
春の元興寺も良さそうです。桜の花に諸行無常の余韻が響くかもしれません。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 『奈良大和路』 NEWブルーガイドブクス13 実業之日本社
2) ​ 率川の舟型中洲の石仏さまたち『率川地蔵尊』@猿沢池 ​:「奈良に住んでみました」
 ​ こんなユニークな造形も!川の中洲に集められた地蔵石仏群 ​ :「Travel.jp」
3) 『わかる!元興寺』 元興寺公式ガイドブック ナカニシヤ出版

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
猿沢池の采女と龍神伝説 ​  橋川紀夫氏 :「奈良歴史漫歩」
真言律宗 元興寺 ​ ホームページ
元興寺極楽坊縁起繪巻 ​ 奈良地域関連資料 :「奈良女子大学」
板絵 智光曼荼羅 元興寺蔵 ​ 重要文化財  :「奈良女子大学」
阿弥陀浄土曼荼羅 収蔵品データベース ​  :「奈良国立博物館」
​   :「文化遺産オンライン」
智光 ​  :ウィキペディア
凝然 ​  :ウィキペディア
Gango-temple(Nara)(元興寺) ​   :YouTube
鳥形山 飛鳥寺 ​ :「新西国霊場-新しい巡礼の旅」
飛鳥寺 ​  :「古寺巡訪」
飛鳥寺と飛鳥大仏 解説書 ​  奈良県明日香村・関西大学文学部考古学研究室

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。


こちらもご覧いただけるとうれしいです。
観照 & 探訪 [再録] 奈良 雲井坂・轟橋碑・猿沢池・采女神社ほかと奈良県立美術館 ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





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Last updated  2018.01.25 23:55:55
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