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2020.01.10
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カテゴリ: 観照
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4日に京博に出かけてきました。2日に奈良博に出かけたとき、「国立博物館メンバーズパス」の期限が12月で切れていたことに気づきましたので、その更新をするためと、 新春恒例「京博のお正月」特集展示 を鑑賞するためです。その印象をご紹介します。

例により、JR東福寺駅から三十三間堂傍の道を通り、京都国立博物館に向かいました。

法住寺の山門風景 です。山門の両側に 行事案内の立て看板 が置かれています。「庚子~かのえね~」の行事は現時点では終了ですが、右側の「 大根焚き 」はこの 日曜日、12日です 無病息災を願う恒例行事です。


法住寺の北側に 養源院 いつも通りの山門風景 でした。

法住寺は天台宗の寺院で、養源院は浄土真宗遣迎院派の寺院です 。宗派により新春に行われる宗教行事も大きく異なるということでしょう。

通りを挟んだ西側の 三十三間堂(蓮華王院)もまた、いつも通りの佇まい でした。この三十三間堂もまた天台宗の系統ですが、妙法院の所管される仏堂 となっています。
三十三間堂の正月の恒例行事 は、なんと言ってもやはり「 通し矢 」でしょう。それと「 楊枝のお加持 ​(やなぎのおかじ)​ 」。両年間行事は 12日に 行われます。


それでは、「 京博のお正月 」のご紹介に移ります。企画展の大型PRパネルは七条通に面する壁面に恒例として掲げられています。

これは、平成知新館で入手した、 「京都国立博物館だより」の最新号
PRパネルとこの最新号表紙に今年の特集展示の一端が集約されています。

まず、 新春特集展示は「子づくし-干支を愛でる-」 です。干支に因んだ特集が恒例の展示です。とは言うものの 鼠特集は今回の特集企画が京博で初めて となるそうです。

左は京博だよりの掲載から、右は英文版京博だよりとPRパネルに掲載のものを引用しました。以下も同様です。 (資料1)
展示品は 全部で24点の展示 があり、その中で 小さくて精巧な彫刻の根付が6点 並んでいます。「 蝋燭に鼠根付」 はその一つです。

​ ​
土佐光吉筆「源氏物語画帖」 (重文)の 「初音」 の絵には、 子と根にさらに音 (ね) の字をかけているそうです。
源氏物語は平安時代の宮廷の様子を描いています。「子の日」には、「 子の日の遊び 」が行われ、「 子の日の宴 」が催されたといいます。「子の日の遊び」とは正月の初子 (はつね) の日に野外に出て小松を引き、若菜を摘む野遊びを言い、この日に行われる宴を「子の日の宴」と称したとか。「 その日に丘や山に登って四方を望むと陰陽の精気を得て煩悩を除くという思想に基づく。松は延寿、若菜は邪気を払う意味がある (資料2)
子と根をかけた「 根引きの松 」は 吉祥文様 ともなったそうです。 (資料1)

『源氏物語』初音の巻には、「今日は子の日なりけり。げに千年の春をかけて祝はんに、ことわりなる日なり」
     (今日は子の日なのだった。なるほど千歳の春を子の日にかけて、長寿を祝うのにふさわしい日である。)
珍しく元日と子の日が重なったという描写です。小松を引き、若菜を摘み、遊宴を催すということになります。
この文の後に、「姫君の御方に渡りたまへれば、童、下仕など御前の山の小松ひき遊ぶ。若き人々の心地ども、おき所なく見ゆ。北の殿よりわざとがましく集めたる鬚籠ども、破子 (わりご) など奉れたまへり」
     (姫君の御方にお越しになると、女童や下仕えの女などが、お庭前の築山の小松を引いて遊んでいる。若い女房たちの気持は、自分たちも引いてみたくていられない様子である。北の御殿から、今日のためにわざわざ用意したらしい数々の鬚籠や破子などをおさしあげになっている)
という情景を源氏が見る場面が描かれています。

上記、音 (ね) の字をかけるという箇所についてです。上記の子の日の遊びの直後に明石の君の詠む歌がでてきます。
「年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音 (はつね) きかせよ  音せぬ里の」と聞こえたまへるを、・・・・・・という風に。
      (「年月を小松-姫君にひかれて過ごしてまいりました私に、今日の鶯の初音-初便りをお聞かせくださいまし 音せぬ里の」と申しあげになっているのを・・・・)
鶯の初音 (ね) に初便りをかけているという暗示です。
つまり、姫君は六条院の春の町に住み、明石の君は冬の町に住むという状態で、新春を迎えても会うことができずに別々に生活を送っていたという状況が背景にあります。初音に重い意味合いが秘めらています。

永楽妙全作「黄交趾釉俵鼠置物」
鮮やかな黄色の俵の上に、鼠が乗っています。縁起物の置物ですね。 永楽妙全(1852-1927)は京都の女性陶芸家 で、夫が永楽得全(14代 土風炉師・善五郎)だそうです。 (資料4)
余談ですが、 [土風炉師・焼物師]永楽善五郎は京焼の家元の一つで、併せて千家十職の一つ でもあるそうです。 (資料5)

からくり人形 大黒と鼠 」という珍しい作品も展示されています。

 「 新羅十二支像護石拓本 」のうちの 子像
興味を抱いたのはこの拓本です。 韓国慶州市にある金廋信墓護石 だそうです。十二支全部の拓本が並べば、見応えがありそうです。


二つめの特集展示は、「京都御所障壁画 紫宸殿」です。
上掲京博だよりの右上にこの部分が使われています。京都御所の紫宸殿には高御座 (たかみくら) が置かれています。即位式のために東京に運ばれましたが、今は戻っているのでしょうか。この高御座が置かれていますので、紫宸殿の前に立っても、背後の障壁画はほんの少し垣間見えるだけです。 高御座の背後には、紫宸殿の母屋と北庇を仕切る9面の障子があり 、そこに描かれた障壁画は「 賢聖障子 (けんじょうのしょうじ) 」と称されるそうです。 ​今回それがすべて公開展示されています​ 。こういう機会は今後もあまりないかもしれません。

​​​9面のうち、中央の一面には 獅子狛犬 と瑞獸の 負文亀 (ふぶんき) が描かれています​​​ そのうちの獅子狛犬がこれです。

賢聖というのは、中国殷時代から唐代にいたる期間での選ばれた賢臣 をさします。各面に4人、合計32人が描かれています。人物の上部には、名前や功績などが記された色紙形が貼られています。上掲の面は、東二間の障壁画だそうです。
寛政度の内裏造営時に 、幕府儒官柴野栗山主導のもとに時間をかけ図様考証が実施され、 幕府御用絵師住吉広行(1755~1811)が描いたもの だそうです。
現在の紫宸殿には昭和40年代(1965-1974)に制作された模写が設置されている といいます。個々の賢聖の名称の説明は展示室には掲示がありませんが、「 博物館 Dictionary No.218 」という リーフレットが準備されていて、自由に入手できます。両面刷りの学習資料です。これに各面の賢聖の名が明記されています。ご参考まで。
上掲・東二間は、左から 諸葛亮 (しょかつりょう) 蘧伯玉 きょはくぎょく ・蘧瑗 きょえん )・ 張良 (ちょうりょう) 第五倫 (だいごりん) だそうです。 (資料1,6)
たとえば、この4人のことがわかるという人は相当の中国史通でしょうね。
一例として、『日本語大辞典』(講談社)を引きますと、諸葛亮と張良は項目として取り上げられています。残り2人は載っていません。『大辞林』(三省堂)も同様です。


3つめの特集展示は「神像と獅子・狛犬」です
京博だよりの左上、並びにPR大型パネルの左下に使われているこの像は、 滋賀・大宝神社蔵の獅子 です。様々な姿の獅子・狛犬を見ることができておもしろいと思います。基本の姿はほぼ同じですが、髪型の形状や目の表現、表情、尻尾の造形表現などが様々ですので、対比してみるとおもしろいものです。

展示室に、二つ折でA4サイズのこんな 鑑賞ガイド が準備されています。普段は狛犬と言い慣れていますが、獅子と狛犬の違いや、これらのルーツと伝搬経路などがわかりやすく説明されている資料です。
獅子と狛犬も、奥が深そう・・・・・です。


これは英文版の京博だより本文中に掲載された写真の引用です。 京都・大将軍八神社蔵の大将軍神坐像 です。日本に仏像が将来されて、広義での様々な種類の仏像が広まって行くに伴い、日本古来の神々の世界でも神像が作られるようになったと昔どこかで見聞した記憶があります。この像を見ていると、仏教の天部の像である四天王像や十二神将像の甲冑を連想してしまいます。神仏習合の世界での相互影響でしょうか。
勿論、冠を被り袍を着て笏を持つ、平安時代の貴族のような姿で造形した神像もあり、バラエティがあり興味深いものです。

最後に、一つご紹介しておきたいものがあります。
二階の絵巻展示室で1/2~2/16の期間展示されている 「幻の源氏物語絵巻」 です。
この絵巻は、展示室の説明によりますと、古典籍研究家である 杉原盛安 (生没年不詳)が制作全般に関与したと考えられることから「 盛安本 」とも呼ばれるそうです。 「葵」の巻 が展示されています。
江戸時代前半に制作された重要作例で、物語の全文を詞書とする絵巻 だと言います。
私は知らなかったのですが、「2019年1月、夕顔の死の場面を描いた『源氏物語絵巻』の断簡がフランスで発見されたという報道」があったそうで、その絵巻の一環(巻)になるとか。 「幻の」と冠するところが一層関心を引きます。

「京博のお正月」への誘いになれば幸いです。




ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1) 「京都国立博物館だより 2020年1・2・3月号」 京都国立博物館
2) 『源氏物語必携事典』 秋山虔・室伏信助=編 角川書店
3) 『源氏物語 3』日本古典文学全集 小学館
4) ​ 永楽妙全(作) 紫交趾 花唐草文鉢 共箱 ​:「古美術ささき」
5)​ [土風炉師・焼物師]永楽善五郎 ​  :「古美術 八光堂」
6) 「博物館 Dictionary No.218 京都御所の障壁画-紫宸殿」 京都国立博物館

補遺
法住寺 ​ ホームページ
養源院 ​ :ウィキペディア
蓮華王院 三十三間堂 ​ ホームページ
神像 ​ :「コトバンク」
男女神像 ​ 収蔵品データベース :「奈良国立博物館」
木造神像 男神坐像 一/女神坐像 一 ​ :「文化遺産オンライン」
横たわる夕顔、嘆く光源氏…幻の「夕顔の死」見つかる ​ :「朝日新聞DIGITAL」
幻の源氏物語絵巻「夕顔の死」 「盛安本」一部、仏で発見 ​ :「朝日新聞DIGITAL」
江戸初期における絵巻制作の一背景 : 中井正知・杉原盛安の文化活動 ​ :「慶応義塾大学」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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探訪 京都 七条から三条へ 寺と地蔵尊と町並ウォッチング へ
          京博を出た後に七条通から三条まで久しぶりに違ったルートを歩いてみました。
     そのご紹介です。





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Last updated  2020.01.12 10:45:18
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