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2023.06.18
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カテゴリ: 観照

六條院春の御殿の縮尺模型の西側には、通路を挟んで 実物大で板敷の廂空間 が設けてあります。
西辺と南辺の一部には御簾が掛けられ、北辺は襖障子で仕切られています。冒頭の景色はほぼ全景です。

この空間には、毎回その時のテーマに合わせた実物サイズの装束が説明パネルを備えて展示されます。


これは、 「古神宝に知る十二単の姿 鶴岡八幡宮御神宝の再現」 として復元考証された装束です。

​​ 左:白小葵地鳳凰文二重織袿 ​(こあおいじほうおうもんふたえおりうちぎ)  ​ 一領 A
右:黄地窠霰二重織小袿 ​(かにあらあれふたえおりこうちぎ)​        一領 D

左:淡香地幸菱文綾織単 ​(うすこうじさいわいひしもんあやおりひとえ)​    一領 C
 右:紫地向鶴三盛丸文唐織袿 ​(むかいつるさんもりまるもんからおりうちぎ) ​ 二領  B

この2枚の写真は、説明パネルとして設置されていました。
鎌倉の鶴岡八幡宮には御神宝として袿等5領が所蔵され国宝となっている そうです。
次の説明の都合上、末尾にA~Dの記号を付しました。


復元考証され再現された装束 です。
Aを上に、Bの同品2領を所蔵の通り 重袿 (かさねうちぎ) とし、Cは当時の色彩を紅と推定し単として用い、その寸法は伝承の通りとしたそうです。Dの小袿を加えて、12の御衣と単衣で合計13枚となっています。

「袖付けは振りがなく身につけられているのでその様式に従い、袖口には重なりがありますが裄(ゆき)の差による中陪(なかべ)は見えません。鶴岡八幡宮の単仕立3枚1組のものを4組重ねれば12枚の単を重ねたことになり、単仕立3枚1組のものを3組と2枚合わせのものを1組と単を重ねれば12枚の重単となります」 (説明パネルより)


手許の一書に、「平安朝の作品には『十二単』そのものの語が見えず、『平家物語』『源平盛衰記』のあたりに初出する。さらにまた、例えば『源平盛衰記』巻四十三に、入水を図った建礼門院の『藤重の十二単の御衣』を召された姿とある条など」 (資料1) という説明を見つけました。





 説明パネルに掲載の画像
これは 鎌倉時代初期 の幕府における 将軍夫人や執権夫人の通常の正装を想定したもの だそうです。

次の説明も装束についての知識として役にたちます。 (説明パネルより)
1.鎌倉時代には、平安時代中期に完成した公家女房の唐衣裳の晴れの装いは特別な儀式だけのものとなった。
2.天皇の前に伺候する以外は、唐衣を略した。表着や裳さえ省くこととなった。
3.鎌倉時代後期には、「小袿、袴に衣、単を重ねた袿姿が『はだか衣』として用いられ、更に次には衣を除く単、袴のままの姿であったり、更に控えの時などは袴を脱して小袖のままのこと」もあった。


​公家女房晴れの装い~平安時代中期に日本独自の十二単 (ひとえ) の完成~ 


(説明パネルより切り出し)

十二単 は「女房装束」「唐衣裳」の俗称​ です。 10世紀半頃にこの姿が完成 したそうです。
奈良時代には髪を結い上げていました。それが ​平安時代には垂髪 (たれがみ) になり、眉は作り眉​ となります。
原文は未確認ですが、『栄花物語』巻24「わかばえ」には、万寿2年(1025)正月23日に、三条天皇中宮の藤原研子(道長の娘)が主催した大饗宴の場面が描かれているそうです。中宮研子は女房たちに、重袿(かさねうちき)を15~20枚まで着させたとか。道長はその華美な演出に怒りを発しました。というのは、この時代に藤原道長は重袿は6枚程度がよいとして、装束の倹約令を出していたからだそうです。 (説明パネルより)

「十二単の『 五衣 (いつつぎぬ) 』は、のちに重袿を5枚と定めたことによる呼称」 (説明パネルより) だと言います。

袿は、「もともと単と表着との間に着けた内着の衣、つまり下着の総称」です。
『栄花物語』の「暮まつほし」には、「この御時には制ありて、衣の数は五つ」と制限したことが記されているそうです。 (資料1)
手許の古語辞典を引くと、「五つ衣」の項では、「女房装束の一つ。唐衣と単との間に袿を五枚重ねたもの。のちには一枚の衣で袖口と裾だけを五枚重ねに見えるように仕立てた」 (『学研全訳古語辞典 改訂第二版』) と説明しています。





実物サイズの装束 が展示されています。
         説明パネルを見落としていたようです。記録写真がありません。
手許の一書を参照しますと ​「紅紅葉 (くれないもみじ) 」​ と称するかさねの色目のようです。 (資料2)


草木染めで染めたものと化学染料で染めたもの が、かさねの色目見本として展示されています。もう一点、左側の背後に展示してあったようですが、撮り忘れました。



​「継紙 (つぎかみ) 」​ の作品例が展示されています。「 継紙とは、異なる質や色の紙を継いだ料紙のことです (説明パネルより)
継紙は「冊子作り」の場面展示に出て来ました。

継紙の技法 はいくつもあるようです。たとえば、
切り継ぎ : 主に直線的に切った紙を継ぐ
破り継ぎ : 破いた紙を継ぐ
重ね継ぎ : 薄様の紙を重ねる
他に金銀の箔や砂子を散らす。金泥で蝶や鳥、折枝などを描く。 などの趣向を加える
この継紙が成立したのは平安時代と考えられているそうです。 (説明パネルより)

これで、展示を一巡したことになります。
これで今回(2月~5月展示)鑑賞のご紹介を終わります。

ご覧いただきありがとうございます。

参照史料
1)『源氏物語図典』 秋山虔・小町谷照彦編 須貝稔作図 小学館
2)『新版 かさねの色目 平安の配彩美』 長崎盛輝  青幻舎  p56

補遺
院政時代の公家女房晴れの装い ​  :「日本服飾史」(風俗博物館)
十二単の基礎知識 ​   :「民族衣裳文化普及協会」
継紙 ​   :「コトバンク」
王朝継ぎ紙とは ​    :「王朝継ぎ紙の世界」
書簡に用いられた用紙(色変わりの用紙を継いだ巻紙)は、書誌学上、どう表記されるのか知りたい。 ​  :「レファレンス協同データベース」

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Last updated  2023.06.18 16:18:08
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