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2023.09.05
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カテゴリ: 観照
=== 2023.8.22 ===
南の空
朝は晴れ ていましたが、 14時頃に一時小雨 が降りました。通り雨という感じ。
写真を撮らずにいました。気づいて 撮ったのが16時20分頃 です。
南西方向の空
西方向の空
頭上の空
曇り空
東方向の空
稜線上空は青空が広がり、その上に銀鼠色の雲が浮かんでいます。

東方向の空
18時25分近くに 眺めると、稜線上空は 雲と青空が逆転 していました。
南の空
南西方向の空
西方向の空
南から西方向にかけても、雲の姿は様変わりです。青空がかなり見え、 やわらかさを感じさせる雲
頭上の空
ちょっと首をかしげて、右半分に着目すると、 目を見開き口を大きく開けた人間の頭部をイメージさせるような雲 が浮かんでいます。

概ね、晴れのちくもりという一日

=== 2023.8.23 ===
南の空
12時40分近くに
南西方向の空
西方向の空
頭上の空
              夏雲が広がっていると感じさせる雲です。
東方向の空
稜線上空は雲が厚く覆い、この方向だけ見れば、天気予報はくもりという感じになります。

東方向の空
17時50分頃に 空を眺めると、稜線上空の上部には銀鼠色の雲が留まっていますが、稜線近くは白雲と青空が見えます。
南の空
南西方向の空
西方向の空
銀鼠色の雲が全体を覆って います。雲の層はさほど厚くはなさそう。
頭上の空
   全体をみれば、 晴れのちくもりという一日 でした。


さて、雲がたりを続けます。
真民さんの全詩集に収録された 詩集「かなしきのうた」からの続き です。
                 (参照『坂村眞民全詩集 第一巻』大東出版社)
2つ目に雲が詠み込まれているのは 「エリ・エリ・レマ・サバタクニ」と題する詩 です。
この詩は、1ページ全体が一詩で、6節からなっています。 第1節
詩に生きよ
  詩に生きよ
  これよりほかに我の生きゆく道なし   という切実な決意が語られ、 第4節

子と仰ぐ
  夕焼けの雲よ
  涙ぐましきまでの愛惜よ    と詠まれています。

愛惜とは「失い(別れ)たくないという気持ちを強くもつこと」 (新明解国語辞典第5版) という意味ですので、この一行は真民さんの心情の発露なのでしょう。
何重にも重なる愛惜という気がします。生、子、そして詩、・・・・と。そのように受けとめました。

第2節と第3節 は、次の通りです。
生きることや難し
  生きることや苦し
  子を抱きて夕暮れの道を帰る
    ○
  四国に来て
​  わが縋 (スガ) るひと​
  釈尊のみ
  釈尊ありて
  わが生や明日あり

そして、 第5節 は次のように展開します。
死のうと思う日はないが
  生きてゆく力がなくなることがある
  そんな時
  大乗寺を訪ね
  わたしはひとり
  仏陀の前に坐ってくる
  力わき明日を思う心が
  出てくるまで
  坐ってくる

最後の第6節 が、次の4行で締めくくられます。
エリ・エリ・レマ・サバクタニ
  ああ
  あなたの声が
  今日もきこえる

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」って何?  仏教の真言の一種?
手許の数種の国語辞典には出ていません。この語句をネット検索してみますと、 ギリシャ語 だそうです。「『 わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか 』と訳される。 十字架にかけられたイエス=キリストが叫んだとされる言葉 。」 (『デジタル大辞泉』小学館) とありました。 (資料1)  無知な私!!

さらに調べてみますと、 新約聖書のマタイによる福音書27の46 に、イエスがこの語句を大声で叫ばれたと記されています。 旧約聖書の詩編22の冒頭に この詩句が出てくることもわかりました。  (資料2)
わたしの神よ、わたしの神よ
  なぜわたしをお見捨てになるのか。
  なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
  呻(ウメ)きも言葉も聞いてくださらないのか。

真民さんは、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という言葉を己の心境を仮託するために使われたのでしょう。読者にインパクトを与える使い方ですね。
この詩を独立し完結したものと理解すると、この言葉を発することとキリスト教世界とは直接的な関係はたぶんないでしょう。この言葉をいわば換骨奪胎して真民さんの心の世界で、神(仏)との対話に使ったものと私は解釈しました。
「あなたの声」とは誰をさすのでしょうか。この詩の文脈から推測すると釈迦/仏陀ということになりそうです。そして、それは直接的には真民さんにとって「詩の神」の声なのでしょうか。

少し脱線しますが、この詩の先に、 「ねがい」と題する詩 があります。 その第2節 には、次の詩句が刻まれています。
十字架にかかって
  苦しみ亡くなられた基督
  一枚のむしろの上で
  息をひきとられた釈尊
  この偉大な人達を思うて
  励んでゆきたい
  愚かなわが身を
  磨いてゆきたい

真民さんには、キリストも偉大な人として、己の心の内に釈尊とともに共存させていたように思います。己の道を突き進み開いて行かれた偉大な人という敬仰の対象だったのでしょう。


さて、雲の変化に戻ります。
=== 2023.8.24 ===
南の空
10時5分過ぎに 撮りました。雨になりそうな気配の雲に覆われた 曇り空
南西方向の空
西方向の空
頭上の空
東方向の空
                      いずれの方向の空も似たような状態です。

15時過ぎに雨が少し降り始めました
南の空
南西方向の空
15時5分頃に 、窓際から二方向だけ撮りました。

南の空
16時55分近くに 空を見ますと、はや雨は通り過ぎ、 曇り空 が広がっています。
普段通りに各方向の雲と空を撮れました。
南西方向の空
西方向の空
頭上の空
東方向の空
稜線上空は二層分化した空になっています。上層の間から青空が見られる状態です。
曇り一時雨という一日 でした。この後も天気は曇りが続きました。

つづく

参照資料
1) ​ エリエリレマサバクタニ ​ :「goo辞書」
2)『聖書 引照つき』  新共同訳 旧約聖書続編つき  日本聖書協会

補遺
「わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:45~56)
              :「日本バプテスト連盟 富里キリスト教会」
福音書を読むと、イエスは十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んでいますが、イエスが神の子なら、なぜこのようなみじめな叫びをあげたのでしょう。 ​  :「学校法人上智学院 カトリック・イエズス会センター」

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもご覧いただけるとうれしいです。
    ​ ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表





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Last updated  2023.09.05 14:53:45
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