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2024.07.13
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カテゴリ: 探訪

西面する本堂 があります。
向拝の 正面に山号「慈舟山」の扁額 が掲げてあります。


本堂に向かいますとこちらも 本尊阿弥陀如来像 とその周辺がライトアップされて、参拝しやすく配慮されています。

前回触れていますが、 現在の瑞泉寺の堂宇は、「天明の大火」(1788年)で類焼した後に再建
慶長16年(1611)に豊臣秀次一族の菩提寺として角倉了以により創建されたとされています。 瑞泉寺の開山は桂叔和尚(立空上人) で、法然上人の直弟子、西山証空上人の教えを伝える「西山派」の僧侶でしたので、瑞泉寺は東山に所在の「永観堂」を総本山とする浄土宗「西山禅林寺派」に属します。
「角倉了以の実弟は医師として秀次公に仕えた家臣であり、瑞泉寺創建はその弟の一周忌の年に当たります」という側面も あったようです。 (本堂前に掲示の案内文より)

文禄4年(1595)8月に、秀次の一族がこの地で公開処刑をされたのですが、 当時の鴨川の河原は、現在の「河原町」通あたりまで広がっていて、川の流れが幾筋かあり、この瑞泉寺のある辺りは、大きな中州(中之島)の荒川原だったようです。
そこに、前回触れた大穴が掘られ、遺骸が投げ込まれ、その跡に塚が築かれていたのです。
そして、当時の鴨川の西側の流れが、角倉了以・素庵父子により利用されて、運河「高瀬川」の開削護岸事業が実行されます。中之島にあり、 悪逆塚(畜生塚)と称された悲劇の地に「瑞泉寺」が建てられた という次第です。 (境内に設置の駒札より)

元の塚があったところに堂宇が建てられ、秀次一族の墓石を現在の墓所の地とした そうです。つまり、 元の塚の側に移した のです。
”瑞泉寺・代々継譜録の冒頭には「(了以翁ハ)思フニ、此ノ地ハモッテ民屋(民家)トナスベカラズ。和尚ト相儀シテ堂宇ヲ建テ、瑞泉トナズク」と記しています” (2014年、本堂前に設置の案内文より転記)

さて、本堂前の小規模な境内(前庭)を巡って行きましょう。


豊臣秀次一族の墓所の東北角の手前に 石仏

また、墓所の東南角の手前には、この 地蔵堂 があります。
この付近の町内・ 中島町のお地蔵さん 、小さな石仏が安置されています。
(掲示の木札より)

石柵の向こうに見える五輪塔婆は、殉死した家臣の塔婆です。
家臣の五輪塔婆は10基。5人は高野山で秀次とともに自刃。他の5人は各地で自刃とのことです。 (墓所配置図の説明より)

西面
墓所と本堂との間の前庭には、 宝篋印塔 が建立されています。

北面
  背後に見える掲示板に前回触れた秀次一族の墓所関連史資料が掲示されています。
北面

東面
東面

南面全景



墓所前の参道を山門方向に戻ります。





参道側の地面に残された 歴史の証人といえる瓦 です 。「消された菊花紋」
秀次一族の墓所とは無関係。 明治元年の神仏分離令による廃仏毀釈の大嵐 がどのようなものだったかの歴史を物語る史料ですね。
まさに、日本人にとっては、今、再び、温故知新とすべき教材ではないでしょうか。


おもしろい組み合わせの石灯籠 です。雪見灯籠の変形でしょうか。


                   大日如来を祀る小堂傍の 石灯籠

 2014.7.5 撮影

山門を入ると前方に見えるのがこの建物。全景は初探訪の折の写真。
1階部分は休憩所を兼ねた資料室に なっています。今回は時間の余裕がなく立ち寄りませんでしたが、 秀次一族の悲劇に関連する史資料類が掲示されています
ここで川原の塚の絵図資料を見た記憶があります。


山門を境内から眺めた景色

この後、京都文化博物館に向かいました。

ご覧いただきありがとうございます。

補遺
慈舟山瑞泉寺 ​  ホームページ
瑞泉寺 ​ :「京都観光Navi」
瑞泉寺 ​ :ウィキペディア

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

スポット探訪 京都・三条 ふたたび瑞泉寺に -1 豊臣秀次一族の墓所、地蔵堂 へ

こちらもご覧いただけるとうれしいです。 
  2回に渡って2014年7月の探訪を別のブログサイトで記事を載せました。
  こちらでブログ開設(2016年4月)の後、2017年2月に再録した記事です。
スポット探訪 [再録] 京都・上京 瑞泉寺 -1 瑞泉寺の縁起、展示室兼休憩所、地蔵堂
スポット探訪 [再録] 京都・上京 瑞泉寺 -2 豊臣秀次公と一族の墓所





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Last updated  2024.07.13 15:29:58
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