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syuichi6780さんComments
15年前の阪神大震災の時はつばさはまだできていなかった。
養護学校には呼吸器の人もいなかった。
震災後何年たったころだったか忘れしまったが、県立看護大学から聞き取り調査を受けた事がある。(養護学校卒業後だから震災10年の時かな?)
ユビキタス社会とかで、災害時にどのように備えておくか、人工透析や糖尿病、医療的ケアのある障害児で阪神大震災の経験者に何が困ったかなど聞くものだった。
我が家は半壊、電気はすぐに着いたがマンションの給水タンクが破損、一泊だけして滋賀県と大阪の親戚宅にガスがでた3月まで避難していた。
だから困ったことと言えば信ちゃんの薬を今後どこでもらうかということぐらいだった。
(彦根市民病院への紹介状をパパがバイクで阪大までもらいに行った。)
今日の きらっといきる を見ていたら、どこかで聞いたかわいい声!
そう 祈恵ちゃんのお母さん が電話で牛久市での取り組みを話していた!!
わがば園の先生方が知ったら驚くだろうなぁ~当時は母子分離ができないお子さんだったから・・
15年たち医療的ケアの人が増え呼吸器の人が6人のつばさでも、災害時の対策をみんなで考えたい。