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最近、私の友人が、猫を買い始めた。彼女曰く。かわいいのだけれど、鳴き声が私の好きな声じゃないのよね。20年間付き合うとおもうと、声の好みって生理的なものじゃない?それと、おならをするの。一週間お試し期間だという。私も同時に同じような、体験をした。大好きなミュージシャンの作品。ボーカルの女性の声が私の苦手な声だった。そのミュージシャンは、特別に私のために一枚だけ、ボーカルなしで、ピアニカとピアノで、作品を作ってくれた。ボーカルなしで、という注文は、全身全霊で作った作品を否定するものだった。それにもかかわらず、私のために、ボーカルを外して、一枚だけ作ってくれた。私が元気になるようにと祈りを込めて。ボーカルは外したものの、作品中どうしても、外せないコーラスの声は残された。私は、苦手な声にドキッとした。そこで、私はボーカル入りの作品を声に慣れるまで聴いた。繰り返し、繰り返し。作品は素晴らしいものでした。ボーカルなしのものを久しぶりにカケマシタ。苦手なコーラス部分も心地よく聴けるようになりました。私は友人に電話しました。「がうちゃん。(私が勝手につけた鳴き声のイメージ)まだ名前はついていなかった。声は慣れるから、性格とか、性質で相性選んだほうがいいよ。」とアドバイスした。おならは、体調で治るかもしれないし。ニガウリの苦さが、あるときおいしく感じるようになることもある。内容が大切。一週間後。友人に電話してその後の成り行きを聞くと、その猫はめでたく、名前が付けられた。「在る」という名前になりました。苦手は、克服できる。
2012年11月23日
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掟は、人が生きやすくするための、ガイダンス。掟に定められていることは、善悪と関係ない事もある。しかしながら、掟を破ると多かれ少なかれ罪悪感を持つ。約束事を破るからだ。私がかつて犯したことは、掟に定められてない、非道なことをした。それが何かは、言うに及ばないが。簡単に言うと人間の尊厳を冒すことをした。愛していれば、愛する人と何をしてもいいとは思わない。好奇心から、愛する人の言いなりになって、尊厳を冒した。私は悪魔って、そういう人のことを言うのかと思ったくらいだ。人間は愛する人を汚したり、傷つけることをするのは、人間の尊厳を冒すことだと思う。最近周りの心ある人の思いやりから、私は良心を取り戻すことが出来た。人間の尊厳を冒すと、良心を失う。善悪ではなく非道な事はしないに越したことはない。二度と同じような過ちは犯したくない。
2012年11月22日
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数年前、私は人間としてあるまじき行為をした。 犯罪ではないけれど. それから、私はぐれてしまった。 良心を失ってしまっていた。 幸い、再び良心の芽生えが有った。 罪悪感のトラウマが消えた。 私の母は、私が洗礼を受けるとき大反対した。 良心に神が宿っているといっていたのを思い出した。 少し人間らしくなったと思う。
2012年11月18日
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人は罪悪感でさいなまされては、不幸になる。罪悪感の救済は、許ししかない。それとは別に、罪悪ではなく、事故、というか、不本意に愛する人を傷つけてしまった時。切ないやり場のない、胸が締め付けられる痛みを感じる。この感覚が、良心の根っこみたいなものだと思う。だから、同じ過ちを繰り返さないように、心に思うのだと思う。罪悪感からだと、禁欲して更なる欲望のとりこになる。同じ過ちを繰り返す。犯した自分を許し、そんなことを忘れてしまえるくらい、自信を回復させることが解決の道だよ思う。愛しい者がそばにいるときに初めて知る胸の痛みは、忘れてはいけない、人としての痛みだ。なんだかうまくまとまってないが。人は不意に傷つけた時だけ、胸に痛みを覚えるのではないのかとおもう。昔こんなことがあった。メキシコに旅行中、姪が四足のスツールに座るとき、誤って、私の足の甲を椅子の足に挟んでしまった。簡単に言うと、椅子の足に踏みつけられた。彼女は、即座に「ごめんなさい」と言った。でも私は、余りの痛さに声を出して、「イ~~~~^~タイ!」と大声を上げてしまった。その時、姪は「謝っているのにー!」と怒・怒鳴り返された。逆切れした。私はあっけにとられたが。彼女の胸のほうが、私の足よりも痛かったのだと思う。太郎さん。お会いできてうれしいです。久々に泡雪らしい日記を書いてみました。今朝、私は久々にこの胸の痛い感覚を取り戻した。奇跡は、人知を超えた偶然の中にしかない。
2012年11月17日
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