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父が風邪を引きダウンした。木曜日は通院日で最近の状況を報告。相変わらず、無理するなとのDrのお言葉。二科受診で、整形では又麻酔の注射をお願いした。その日、疲れたが、友人が半日休暇を取って帰ってくるので、途中で会おうと言うことになった。外で久々に色々話をして、楽しかったが、次の日疲れがドット出てきた。金曜日は弟のところへ着替えを届けなければと思っていたが、起きて下へ降りていくと、弟の病院へは父が風邪で行けないないことを連絡していた。母は風邪の父を置いてデイケアに出かけて行った後だった。お陰で、ゆっくり出来たのだが。。。土曜日は、天候のせいかだるくて、昼まで寝ていたが、母が弟の病院へ行きたかったようだが、ヘルパーさんが来るまで時間が無いので、時間的に無理という事で断った。私の体調もいま一つだったのもある。母の機嫌がとても悪い中、ヘルパーさんが来た直ぐ後に、先日の友人が彼女のお母さんを連れて家に来た。彼女のお母さんは、十数年前に交通事故のひき逃げに遭い、外傷性くも真下出血で、高次脳機能障害をもたれた。かろうじて命は助かったと言う状態だった。其処から奇跡の回復を果たした人だ。事故後は障害でまるで子供のような感じになったが、寧ろ災い転じて福と為すといった感じの人だ。このお母さんの登場で、母の機嫌がコロッと変わってくれたので助かった。途中の駅まで送って行った。さて、次の日曜日は、前日のこともあり、弟の所へ母を連れて行った。ところが、ほったらかしにしたせいか?食事が気に入らないのか?此方も非常に機嫌が悪い。検査後の状況など、病棟の看護師に聞いたりしたが、平日に担当Drから直接状況報告を聞いて欲しいといわれて帰ってきた。そして今朝、担当Drから早々にお電話を頂戴した。どうも昨日我々が帰った後から、食事拒否が酷くなったらしい。経管流動食の一種を飲ませていたらしいが、それも拒否したらしく、Drもお手上げ状態で、夜は不足分のカロリーは点滴で補ってくださっていたそうだ。今は未だ父も風邪気味なので落ち着くまで、落ち着くまで様子見ようとおしゃって下さったが、父に相談すると頭を抱え込んでしまった。私も電話を切ると、ドット疲れが出てソファーで眠ってしまった。夕方、同僚のMSWに電話し、どのように対処したらよいか相談してみた。そうしたら、Drとの間にMSWが入って相談に乗ってくれることになった。考えは、やはり同じで、『家での受け入れが出来ない状態(弟自身の心理的状況から家に帰りたくないという思いがあるようなら。。。という事も含めて)なら、一時的にショートステイでどこか他の知的障害者用の施設に弟を預けるか』或いは『母のほうを介護保険のショートステイに預けるか』の二つがあるというものだった。しかし、これを父に理解させるのは至難の業だ。私はいつか決断しなければならないとは思っているが。。。父は理解できないだろう。。。どう受け留めるかだ。また、一番上の従姉から電話が来た。母のひとつ上の伯母が弟の入院した日の前頃から急に尿が出なくなったので、近くの病院へ行ったが、子宮に何か出来て、膀胱を圧迫していたのが判り、都内の病院へ連れて行くと言って居たのでその報告だった。やはり、5,6年前に乳がんをやっているので子宮がんを心配していたようだが、子宮に出血していてそれが溜まって膨らんだため、膀胱を圧迫しているのが判ったそうだが、それがまだ良性か悪性かは来週にならないと判らないらしい。来週にはオペの方法も決まるだろうといっていた。しかし、弟が入院した事を知らせてなかったので、ビックリさせてしまった。そんな状態の中、彼女もクタクタだといっていた。2月にリサイタルを予定しているからだ。そうこうしているうちに、又別の従姉から携帯に電話が掛かってきたらしく、電話の相手の従姉は、例の遺産相続の件の伯母の娘なので、あちらもまた何かあったのかと気にはなったが、また掛けなおすということで切った。何故だか。。。大変な時期は重なるものだと思ったが。。。これも人生修行と思って、前へ進むしかないと思った、今日この頃である。(=;´ ェ `=)>フゥ...
2007年01月22日
PC立ち上げて、ブログひらいたら・・・・いきなり、見づらいーーリンク先のブログも全部見れないから。。。以前のように、全部見れるほうが絶対いい~~。コメントももっと読みやすくして欲しい~~。メッセージも見づらい~~。如何にかしておくれ~~、楽天ブログスタッフさんや~い。。。
2007年01月18日
先日の弟の入院騒ぎで・・・昨日今日とダウンしてた。昨日から、自分の胃が痛くなり始めた。昨日は父に一人で病院へ行ってもらった。明日は、弟が胃カメラ検査をすることになったので、私と父どちらが行くか話をしてるうちに胃が痛くなったので、父に行って貰うことにした。色んなこと考えると・・・胃が痛くなる久々だ。こんな事で、胃が痛くなるなんて情け無い。。。でも、神経使うと明後日の自分の通院がしんどくなるし。。。此処はひとつ、我儘を通そうと思う。折角、肩も良くなり始めたのに、一連の騒ぎで肩凝りバリバリになったし、未だ駄目なんだって思った。ひとつ発見があった。弟が家に居ない生活はこんな具合に2年に1回ぐらいあるのだが、こんなに楽だと思ったのは、初めてだった。弟には申し訳ないが、例えば両親の介護と弟の世話は、両立しない事が判った。両親のどちらか一方に何かあったら・・・誰かを施設に預けるしかない。そのことが、判ってしまったから。。。この現実から、逃げることは出来ない。
2007年01月16日
先月から、突然弟がデイケアに行かなくなった。母の様子が少しイラついたりしていて、その影響を受けたのだと思う。此処1ヶ月ほど、生活が昼夜逆転し食事も1日2回から、此処一週間は1回になっていた。体重も10キロほど落ちてきていて、太りすぎだった体には丁度良い感じになったのだが。。。食べないのが良くない。体力が落ちる。元々『逆流性食道炎』を患っている。昨日夕方に、糖尿病の通院に行き外で軽食を食べて帰宅し、その後は夕食は食べず寝床で起きていたようだ。明け方から眠りだしたようだったが、今朝の11時頃急に吐き出した。直ぐに掛かり付けの医者に連れて行ったが、点滴しても吐き気が止まらず、食道辺りから出血がしているようで、救急車で私の職場である障害者の専門の病院へ搬送することになった。以前にも2度ほど入院しているので、カルテはあるのだが。。。幸いというか今日は土曜日で、職場の事務の人間は午後は居なかった。でも、時に時間外に残る人間も居るので、職場に顔を出すのは気が重かった。外来の看護師は以前から居る知ってる看護師だったので助かった。Drも以前から居る方だったので話しがしやすかった。でも、病棟の職員、特に看護師はほとんど知らない顔だったのがややショック。偶々、職場の親友であるMSWが残業で残っていた。私が後から来るであろうというので、帰らず待っていてくれた。弟は父と先に救急車で搬送され、私はいったん自宅に帰り、着替えなどもって後から行ったのだ。だから、連絡が入ってから、私が後から来ることが判ったのでロビーで待っていてくれたのだ。弟が病棟に運ばれてから、一端自宅に連絡し、帰りに彼女の処で、これまでの経緯や愚痴を話した。『そんなに大変だったなんて判らないから、心配していた』と言ってくれたが、弱音を職場の友人に話すと自分が崩れるようなそんな気がしたのも事実だ。だから言い辛かった。職場は、家庭以上にハードな状態だし、特に去年は法改正があって、慌ただしかっただろうことが想像できるから。そこで、頑張ってる友人たちに泣き言は聞かせられないと思ったから。。。ここ数日、母のひとつ上の姉の伯母も、珍しく急に具合が悪いといっていたのだが、従姉からの電話で、尿が出なくなったのでチューブを導尿して蓄尿バックをしているらしく、其処には尿が溜まっているので、腎機能は異常ないようだが、子宮か膀胱に癌が再発しているのではないかと心配しているようだった。伯母は5~6年前に乳がんを手術しているのだ。その時は初期という事だったが、子宮にポリープがあってそれも切除したような話を叔母がしていたと言うから明日、緊急外来で病院に連れて行くと言っていた。「あっちもこっちも大変だね」と従姉に言われたが、母には伯母の癌転移の可能性については、父と相談して話さないことにした。従姉も60歳過ぎて膠原病を抱えながら頑張っているんだし、負けていられない。自分は自分の出来る範囲で頑張ろう。。。弟は暫く入院して様子を見て、必要なら胃カメラの検査で、潰瘍が出来ていないか調べる事になりそうだ。今日は24時間の看護態勢のなかに預けてきたので、とりあえず両親は安心している。明日もう一度、普段飲んでいた糖尿病の薬を持っていくことになっている。吐き気が止まってくれていればいいのだが。。。
2007年01月13日
毎年自分より、父の方が圧倒的に年賀状の量が多い。生きてきた年数の違いもあるだろうけれど。。。毎年見せてもらうが、確かに最近はだんだん少なくなったが、それでもまだ多い。父は色々な個性的な賀状を頂いている。版画が得意な方、書が得意な方、絵が得意な方、文章が得意な方様々だ。さすがに写真は少ない。私のほうは、若い頃は子供の写真が多かった。しかも七五三の写真だったりすることもあり、家を建てると、家族で新築の家の前で撮った写真だったり、でも最初は辛い時もあったが、これは友人家族の変化が見られて段々楽しみになってきた。今年珍しく、父の元に一枚の写真の年賀状が送られてきた。年末、クリスマスの頃にご夫婦でハワイに行かれた方からだった。ダイヤモンドヘッドの見えるビーチでお二人並んで水着姿での写真だった。若い頃からの父の友人で、よく電話も頂く結構親しい方なので、ま~最初は、お元気でよろしい事と喜ばしい気持ちだったのだが、段々と何か引っかかる気持ちになった。去年の秋ごろから、父の別の友人の方が脳梗塞で入院され認知症も若干見られるので、症状が進まないうちに、お見舞いに行ったのだが、他の方も認知症らしいと言う話が出て、そちらにもに会いに行こうと言うことで、タイミングが合わずヤキモキしていたのだ。父たちの年代は、存命でも病気や認知症、家族の介護などに追われている方等様々な事情の方が多いのだ。今回、写真を下さった方は、努力で健康を維持され、経済的にも余裕がある方だとは思う。正直こういう方からは、3割負担の医療費を頂いても構わないと思う。80歳すぎても現役の平均と同様或いはそれ以上の年金を貰ってる方だからだ。それをどう使おうがとやかく言う気は無いが、あの年賀状だけは、何処へでも出していいものではないような気がした。送付する先は、介護保険のお世話になっているような家族が居る家庭などには送って欲しくはなかった。というのが本音だ。送る先には配慮すべきだろう。それが、それなりの年齢を重ねてきた人間の年輪とでも言うものではないだろうか?二十歳そこそこの若者じゃあるまいし。。。と思うのは若輩者の嫉みなのか?確かに、若い頃には苦労しても、年をとってから、ゆったりと悠々自適の生活が望ましいのは判っている。それを自慢したい訳でもないだろうし、そんなつもりは無かったと思う。それでも、自分を取り巻く周りの人間に対して最後まで、配慮を忘れない人間でありたい。そう在ってほしいと思った。このような、何気ない配慮の無さが、今の社会を反映しているのではないだろうかと思った。これから、団塊の世代の方が高齢者社会に仲間入りしていくだろう。どうか、本物の大人の姿を後に続く後輩たちに見せてほしい。私たちも既にそういう年代に入りつつあるのだろう。そういう意味で、考えさせられた一枚の年賀状だった。
2007年01月10日
新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくおねがい申し上げます。m(_ _)m今日は、今年最初の通院日だった。先生たちに「新年早々こう言う所に来てるのは、あんましおめでたい事じゃないけどねー。。。」と言われつつも、「(コンビニじゃないけど・・・)すいてて良かった。。。」と思ったのは、私だけか~?いつも夕方まで掛かる待ち時間が、殆ど無かった。いつもこうあって欲しいな~!整形外科では、以前よりも肩の可動範囲は広くなったものの、腕の筋肉が未だ一部固まっていて、関節の奥の方が痛いことを伝えると、また麻酔を打つことになった。今度は肩の前の方一箇所。これが、また、先生注射下手で、液がシュッと飛び出して、先生の顔に。。。チョッと損した気分(Dr自分で反省してたけど。。。新年早々ついてない?)これで、少しは、また良くなるか~?心療内科も、新薬の効き目が少し出てきた感じだ。ほんのチョッとだけど。。。一日3錠になったが、飲み方は朝・昼・晩の3回に分ける方法でいいらしい。他は変わりなし。職場の後輩から年賀状が来たが、彼女も夏から体調崩して病欠していたらしい。多分自立支援法の改正に伴う医事の手続き改正などで忙しかったのではないだろうか?その為に、例のNO.2からは此方には何にも言ってこなかったのでは。。。との話をしたら、Drカルテに書き込んでた。何か意味はあるのか?やっぱり年末は、最後に母の通院に付き合い(今回は計画的だったけど)、大晦日にはヘルパーさんが来ないので、2階トイレの大掃除をし、そばを茹で、煮しめ等作って終わったのだった。年賀状は元旦から昨日にまで掛かってやっと、納得できるものが出来た。なんだか拘りすぎ。。。でも、人の手元に残るものだから。。。何となく、妙な負けず嫌いが出てしまう。。。(=;´ ェ `=)ノ| 柱|トホホ年賀状で負けてもどうってことないのに←それならもっと早く出せ!って言わないで。。。DVDの年末の録画の編集も未だ出来ず。。。「ロード・オブ・ザ・リング」を観ようものなら・・・気持ち悪がられ・・・非難ゴウゴウ。結局、最後まで観られず終い。。。DVDのHDDは一杯になってるし。。。13日から始まる『チャングム』の完全版が撮れないじゃないか~~。。。早く整理しよう休職2年目に入ってしまったし。。。今年は一体どうなるんじゃろうか~
2007年01月04日
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