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台風が近づき鹿児島の離島便がまた退避してきた。今回は沖縄便の2隻だ。「クイーンコーラル8」 全長 140m 船幅 20m八代海から出て行ったタンカー船「第十八 宮丸」 全長 80m 船幅 12mそして「クイーンコーラル8」に遅れてやって来た「クイーンコーラルプラス」 全長 143m 船幅 23m日陰にはいたが、半ズボン下の足にやぶ蚊がたかり追い払いながらの撮影となった。途中の道路も草が道路に覆いかぶさり、また帰りに気づいたのだが海側の土手が一部分ごっそり崩れ落ちていて怖くなった。2隻とも、今は長島と水俣の袋との中間地点あたりに停泊している!ところで、一条公について。鹿児島でスマホで撮っていた文書を見返していると、一条公の従者をしていたという長田家の系図に顛末が記されていたとされている。仁安二年(1167年)六月とあり、あとは美女とか切腹とか出てくる自殺説と一緒だ。やはり細部は不明で、一条公当人の名前は出てこない。その後、薩摩川内市の図書館へも行ってみたが県立図書館よりも手がかり無し・・。他に市町村合併前の図書館が残してあるところがあるので何とか期待したい!(ただ薩摩川内市では「古道」と「秀吉の川内出兵の際の経路」についての文書を撮ってきているので後日見てみたい)
2020.08.31
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(一條神社や一條天皇について調べている時、この曲がずっと私の頭の中を駆け巡っていたので今回もその流れでこの曲を再アップした)その後、一條天皇について検索していると、清少納言や紫式部の頃の天皇ということ、一條天皇自身も管弦・・特に横笛が得意であられたという事で今回貼っているユーチューブの「トリオ・デル・ガルダ」の曲が意図しないながらもピッタリ一致していて感激し、近隣の山間部にあるこの陽成町がその時代との窓口ということになり、すべてが身近に感じられてきた。これが神社に立てられていた掲示板で、ちゃんと「六十六代一條天皇」の長保の頃に使いが派遣されたと記載されている。そして一昨日、また鹿児島で時間があったので県立図書館で時間を潰したのだが・・。陽成町絡みの史料と薩摩川内市史を確認してみた。ところが、一條神社についての由来の箇所で「六十六代一條天皇」の文字がまったく出てこない。その亡くなった役人の氏が一條だったらしいのと、病死と自殺の説、そして自殺説の中で川内での逗留先であったらしい権執印家の娘との相思相愛関係、そして時代は不詳というのがもっぱら。一條家の中でそれらしい方の見当をつけると西暦で1,100年代だとか。相思相愛で何故自殺しなければならなかったのかの理由もまったく記載なし。どちらにしても、一昨日に見た資料からは「一條天皇」の文字は見当たらず・・。清少納言に紫式部そして一條天皇の横笛と陽成町との時代を超えたロマンはどうなるのか?神社に立ててある掲示板の内容は何なのか?それこそ「諸説あります」ということか? それならそれで掲示板の最後に「諸説あります」と小さな文字ででも書いて欲しかった・・。という訳で近々、薩摩川内市の図書館を訪ねてみようと思っている。そして「一條殿」についての旅はまだ続く!(それから一條峠で気味悪かった原因が判明?敗走する薩軍と官軍との白兵戦が行われていて近隣には無縁墓が至るところに残されていた)
2020.08.24
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デザートカーキの車検後、引き取りに行った帰り道に薩摩街道を通ってみた。市内を確認してみるとS高校敷地の真ん中を通過しているようなので、まずその後の「上川内駅」の裏手からのスタートとした。この道を道なりに進むと、「京セラ工場」の裏手を過ぎる辺りにまで街道が残っていてほぼそのまま走ることができた。この街道脇には真新しいこの頃流行りの家がけっこう建っていて、こんなところに建てられて羨ましくなる。そして橋を渡り、高城麓の手前を左折した辺りからしばらく街道の近接車道を走る。そしてすぐに合流し、街道を味わいながら陽成町をかなり北上すると左折の目印となる一条神社が見えてきた。そもそも、都の役人が新田神社の祭事に参加し帰路に亡くなったのを地元の方々が弔ったのが始まりらしい。一条天皇とは千年くらい前のようだから、その頃からの薩摩街道なのだ!左折してすぐの突き当たりにあった神社だが、突き当たりを右に進む道も街道そのもので満足しながら走ったのだが、今回一番の難関道路となった。道は狭いながら何とか通れはしたのだが、かなり荒れていた上に何か気味が悪くてぞくぞくしてくるがそんな中を進むしかない。引き返す訳にもいかず、あえて気色悪い道をさらに突き進む。その内に突如農道っぽくなり街道というより、周辺の方の農家の裏道を走っている感じになったところで「薩摩街道」の表示板が目に入ってきた。それも横からの合流道路の方に?ちょっとした峠を越え、この左側の道を下ってきたら・・。何ともう一方の道に「街道」の表示が立っているとは・・。しかしせいぜい数百メートルなので、これまでと同じく単に街道に近い車道を来たと思えばどうということはないのだが、思いっきり街道だと思いながら走ってきただけにこの時はちょっと落ち込んだ。そして湯田に出たところで狭いながら趣のある橋を通過する。先の突き当たりで西方へ向かっての山越えになるのだが、そこからはほぼ街道の近接車道となる。先ほどの湯田から登って来た道と思われる。この後、すぐまた脇道に逸れるはずなのだがそこは確認できず。という事で、この写真左手の山から街道は下りてきて西方への到着となり、先日のマイクロツーリズムは終了したのだった。
2020.08.19
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「GLORIOUS PEONY」 全長 200m 船幅 32m35mm換算で117mm35mm換算の375mm35mm換算の70mm35mm換算の233mm中古のAPS-Cとは云いながら、なかなかの画質か?外観もきれいだったし!クルーズ船が来なくなったからと言うわけではないが、どんな船も面白い!境港から薩摩川内へ木材チップを運んできているチップ船。コンベアで降ろしているようだがまだ停泊中だ。そして瀬戸内海廻りで再び来た「ツルカブト」は、まもなく長島海峡を先日とは逆向きに通過する!瀬戸内海廻りということは満載近く積んでいるのだろうか?夜なので確認はできないが・・。また、どんな勤務体系なのか?・・とか、いろいろ、考えなくてもいい疑問が湧いてくる。
2020.08.11
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「TSURUKABUTO」 全長 95m 船幅 14m一昨日の午後、長島海峡を通過していったコンテナ船「つるかぶと」調べてみると「IMOTO LINE」での、このタイプの1号艦らしい。この日は満載ではないようだが、最大積載冷凍コンテナ48個!後ろの艦橋が異様に高いが、操縦室の下あたりまで積むようだ。バランスが心配になるが専門家が作り、実際に何隻も稼動しているので余計な心配か。一昨日に八代を発ち、太平洋周りで神戸ポートアイランドに今朝方というか夜半過ぎに到着している。そして15時過ぎに出発し、もう瀬戸内海の観音寺市沖を走行中だ。航空機も様々な乗客数のタイプがあるが、小回りが利くというか、これくらいのサイズのコンテナ船の存在を今回初めて知った。八代から何を運んでいるのか?海を撮りに行っただけで新たな発見をし、カメラの御かげなのだった。(高メガバイトの画像をアップしていた為、楽天限度があるようでしばらく自重)
2020.08.10
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