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5月31日(金) 帰途に就くヨーロッパ最後の朝はゆっくり過ごしました。ちょっと、おめかし?してビュッフェへ~朝食は殆どビュッフェ形式でした。好みのものを自由にいただくことができて良かったです。朝は基本的にパンとバター他、幾種類かのジャムとベーコン、スクランブルエッグ、ウインナーそしてフルーツと飲み物色々。シンプルですが会話しながらの楽しいお食事でした。ホテルのお部屋もきれいで感じが良く、快適でした。ただ夜、眠れないと疲れがどんどん溜まっていくので要注意です。旅先で眠れない人は何かお薬を持って行くと良いと思いますょこの日、ローマ発13時55分 タイ国際航空(TG)945便に乗りバンコクへ向かいました。(所要時間10時間40分)免税店で皆へのお土産にチョコレートを買いました。ベルギーのノイハウスチョコです。店員さんにイタリアのチョコを勧められましたがやっぱり、これに・・申し訳なかったわ私のお気に入りチョコレートなのです。こんなストールもね。(クラウディオ・クトゥリ)です。肌触りが凄く良くて購入。バンコクに着いたのは身体的には夜中の1時頃バンコク時間では朝の5時35分着です。空港で乗り継ぎ時間が2時間位ありましたが免税店でタイのお土産など買ったりして、リラックスしたので良かったのではないかと思います。バンコク発7時35分、タイ国際航空(TG)676便で日本(成田)へ所要時間は約6時間。 成田着、日本時間で15時45分。ぐっすり眠られた人は快適な身体で成田到着です。そろそろ皆さんとお別れです。添乗員さん、皆さん、本当に有難うございました。思い出いっぱいの旅になりました。どうかお元気でね。涙で分かれた人も。私達は成田から飛行機を乗り継いで帰って参りました。途中でお刺身やお惣菜などを買って、夜は自宅で乾杯!!久しぶりに我が家のお布団で爆睡でした。つたない旅日記を読んで下さり心から感謝致します。私も、もう一度旅行した気持ちになり、とても楽しい毎日でした。これから暑い日がやって来ると思いますが暑さに負けないで頑張りますね。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。 template-いなもと
2013.07.20
観光最後の日の夕食はカンツォーネを聴きながら楽しいひとときでした。先ずはワインを頂きながらパンとペンネのソース和え。それからメインディッシュが出てきます。食べている途中の写真です。ぺこりこの後、デザートが出て、フィニッシュになります。この旅行で感じた事ですが、こちらでは食事にあまり野菜が出てきません。量の方は日本人向けに考慮して下さっているのでしょうか?前回の旅行に比べると、そんなに多くなかった様に思います。お陰で旅行中、胃腸の調子が良く、快適な旅でした。ちょっと野菜不足ですがね、体重はキープ出来ましたょ。この日、座席のお隣に座られた方は仙台からいらした娘さんとそのご両親です。娘さんのエスコートで楽しい海外旅行の様でした。旅を始めて8日間、皆すっかり打ち解けて話がどんどん弾みます。ケーキを作るの好きで~私も作るのだけは好きでね~ ・ ・娘さんは学校卒業後、フランスへお菓子の勉強に行き現在はケーキ教室を開いていらっしゃるそうです。わぉ!素敵!何処で開いていらっしゃるの~教えて頂きました。「吉田由美 ミミグレッグ」http://mimy0211.exblog.jp/16386130コピーしてご訪問してみてね。きっと美味しいケーキを焼かれるのでしょうねそんなお人柄です。一年半前にご主人とフランス料理のレストランを開いたそうです。お店の名前は「シェ・アルモニ」http://tabelog.com/miyagi/A0401/A040101/4012326/お店にご訪問してあげてね。とても嬉しいです。お野菜たっぷりのフランス料理メニューが一杯です。ランチもあるそうですよ。楽しかったイタリアの観光も終わり、いよいよ明日は帰途につきます。続きはまたねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。template-いなもと
2013.07.17
サン・ピエトロ寺院を出て、広場を歩いていると・・おや中世にタイムスリップした様な光景が見えています。警備にあたるスイス衛兵隊ですね。この芸術性に富んだ征服はミケランジェロのデザインだそうです。1506年にローマ教皇ユリウス2世が常設の部隊としてスイス傭兵(雇い兵)を採用しました。スイス衛兵はそれ以来500年以上にわたってヴァチカンでローマ教皇を守り続けて来ました。 ・ ・中世ヨーロッパでは領土拡張の為、国家間の争いが絶えず起こりその為にたくさんの兵力を必要としました。スイス兵の山岳で鍛えられたた強靭な体力や忍耐強さや忠誠心等がかわれ各国から採用のだしんがくる様になります。資源の少ないスイスでは、やむなく派兵する事で国の経済を支えたのです。これにより、沢山の犠牲者を生むことになりました。19世紀後半、傭兵制度を完全に撤廃し現在、永世中立国とするスイス連邦では外国への派兵は一切認めておりません。 ヴァチカンのローマ教皇を守る警察任務としてのみ存在しています。聖人達が見下ろす、サン・ピエトロ寺院の広場を後にして~元気でもう一度訪れることが出来ますようにと・・祈りながらバスは出発しました。これから世界遺産ローマ歴史地区の観光です。(車窓から)ローマは紀元前7世紀中頃、築かれて以来2600年以上の歴史を持っています。ローマ帝国の都として栄えたローマには古代建造物の跡が沢山残っています。コロッセオもその一つです。「コロッセオ」に到着しました。古代ローマ皇帝が造った闘技場です。皇帝は市民に娯楽を与える事で治世の安寧を図ろうとしました。また、身分別に座席を決めるなど、帝国の秩序を保つ為人々に身分制度を意識させました。この場所では多くの殺人が行われました。現在、復活祭の「聖なる金曜日」(キリストが十字架にかけられた日)にローマ教皇によるミサが行われています。欠けている理由は?コロッセオを造るトラベルティーノ石や大理石は中世以降教会や貴族の館を建設する為に切り崩して使われたそうです。コイン投げ伝説の「トレビの泉」です。18世紀に造られたバロック様式の人口の泉。古代ローマ時代に敷設された水道のひとつアクア・ウェルギから流れ出ている水を引いています。中央にギリシャ神話の水神オケアノス像左に豊穣の女神 右に健康の女神海馬や半人半魚のトリトンがその周りをかためています。沢山の人だったので、コインを投げに行く勇気がなくてね・・心の中で「もう一度こられますように」と祈りました。スペイン広場に出て来ました。この辺りはイタリアの銀座というイメージだとか。かって、この広場の近くにスペイン大使館があったことからこの名で呼ばれるようになったそうです。「ローマの休日」の舞台となったスペイン階段です。こちらも観光客でいっぱいです。ジェラートなど食べて・・なんて、つい思ってしまいますが水以外の飲食は禁じられているんですよ。横幅の広い階段を、中段まで上ると広場のような踊り場があります。上から見ると階段の流れが波打つようになっていてとてもドラマチックなデザインです。バロック様式もっと登って行くと~夕方のローマの街が一望出来て感動しました!芸術の都、永遠の都。イタリアの街ミラノ、フィレンチェ、ローマ沢山の感動をありがとう!!ブランド店が並ぶ閑静な通り(コンドッティ通り)を歩きながら別れを告げました。続きはまたねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。 template-いなもと
2013.07.16
5月30日(木) 観光7日目フィレンチェの朝を迎えました。イタリアは割合、暖かいので今日も上着を脱いで出発です。ローマまで約280km、所要時間は約3時間。バスに揺られるのもすっかり慣れてきました。これから行く観光地のお話など聞きながら~あっという間に到着です。先ずは、昼食に大きな釜焼きピザを頂きました。わぉ!大きい!これって一人分?どうやらそういう事らしいです。ところが、食べ始めると、どれだけでも頂けてしまうの。薄くてパリッと香ばしく、さっぱりしていて、とても美味しい!どれだけ食べたかは内緒にさせて下さいねしっかり栄養つけて~さぁー午後からは世界遺産ヴァチカン市国の観光です。ヴァチカン市国ローマ教皇を国家元首とする世界最小の独立国家。ローマの中心部にあり、面積0、44平方km程の区域です。(東京ドームの広さと同じ位かな) 324年にローマ皇帝コンスタンティヌスが殉教したイエス・キリストの第一弟子聖ペテロの埋葬地に聖堂を建設しました。それ以来、ここはローマ教皇が住む教皇庁となりました。16~17世紀にミケランジェロなどの設計により聖堂が再建されサン・ピエトロ大聖堂はカトリックの総本山となりました。1984年にサン・ピエトロ大聖堂やバチカン博物館など芸術性に優れた建造物美術品の文化価値が高く評価されて世界遺産(文化遺産)に登録されました。 ・ ・高い城壁に沿って長い行列の順番をつきセキュリティチェックを済ませ、いよいよ入館。目に入ってきたのは今年3月に新しく就任した、フランシスコローマ教皇。史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇です。(イタリア系アルゼンチン人)「必要なのは愛と平和だけ」と語る、庶民派教皇ガイドさんについて出発です!「ムーサたちの間」の天井画ムーサ=ギリシャ神話における(文芸を司る女神達)誰かのお墓です。
2013.07.13
「ヴェッキオ宮殿」と「ランツィの回廊」の間を入って直ぐの建物がウフィツィ美術館です。メディチ家のコレクションを収蔵する美術館です。ボッティチェリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロなどイタリア・ルネサンスの巨匠の絵画や古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻などが展示されています。 ・ ・ガイドさんと一緒に~いよいよ入館。撮影が禁止だったので、写真はありませんが・・是非観たいと思っていた作品をゆっくり鑑賞しました。 ・ ・ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」や「春」は古典的な女神ヴィーナスが美しく表情豊かに描かれています。当時のフィレンツェに咲いていたお花を絵の中に描いているのもいいですね。カトリック教会の宗教を主題にした絵画が多く描かれていた時ですからきっと画期的だったでしょうね。 ・ ・ルネサンス絵画をもう少しゆっくり鑑賞したかったのですが・・ちょっと残念美術館の2階からはアルノ川に架かるヴェッキオ橋が見えていました。美しい眺めです。橋の上には貴金属店が並び、その上は廊下になっています。写真右手前に廊下が突き出ていますね。「ヴァザーリの廊下」です。この廊下を完成させたのは建築家ヴァザーリです。ビッティ宮殿(メディチ家の宮殿)とウフィツィを結ぶ通路として造られコジモ1世(1519~1574)、他メディチ家の人達はこの廊下を通って執務(ヴェッキオ宮殿やウフィツィ)に通ったそうです。また、いざ何かが起きた時、反対勢力から逃れる為の避難通路としての役割も担っていたようです。 ・ ・シニョリーア広場から東の方に向かって暫く歩いて行くと 白いファサードの教会の前に出ました。ファサードfacade=建築物の正面(デザイン)フランシスコ会の主要な教会でサンタ・クローチェ教会(聖なる十字架の教会)です。この教会はフィレンチェのパンテオンと呼ばれています。 パンテオン=すべての神々を守る神殿中には沢山の礼拝堂と墓碑がありミケランジェロ、ラファエロやエマヌエール2世など多くの著名人もそこに眠っています。教会の前にダンテの全身像が建っています。ダンテの碑も教会にあるそうですが遺骸は入っておらず現在、ラヴェンナにあるそうです。 また、この教会の中には革細工の工房とちょっとしたお店があるそうです。昔の修道院から技術と伝統を受け継いだ工房で革の学校と称しています。 ・ ・フィレンチェからアルノ川下流域は地中海気候なので年間を通して温かく、栗やかばなどの木の生育に適していました。それにより木の根や枝、樹皮からとれるナメシ剤(皮を革にする)が多く採れていました。 ・ ・フィレンチェが革細工で有名になったのは、この修道院の技術を受け継いだ革の学校があったからなのですね。私達は夕方には西日で美しいオレンジ色に変わるというこの白いファサードの教会を後にし革職人の街を歩きながら指定のお店に向かいました。お店で換金のお願いをしたところ、快く承諾して下さいました。良かった!温かい街です。ホッとしました。お土産を何点か買って~足取り軽く~バスに乗りました。レストランでの夕食はフィレンツェ風ステーキ料理となっています。夫さんは余裕をもって赤ワインを一本オーダー。最初に出てきたフェットチーネも美味しかったのですがメインのステーキがとても美味しくて、思わず乾杯!楽しいお食事でした。いよいよ明日はローマです。つづきはまたねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。template-いなもと
2013.07.09
芸術の都、フィレンツェに到着しました。フィレンツェのシンボル「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の前です。キリスト教・カトリックの教会で”花の聖母教会”とも言います。ドゥオーモ(大聖堂)と、その隣に建っているジョットの鐘楼とドゥオーモの正面に建っているサン・ジョヴァンニ洗礼堂は世界遺産に登録されています。ジョットの鐘楼は高さ82mのゴシック建築で画家のジョットの設計によるものです。外壁の大理石には神話に題材を得たレリーフが刻まれています。写真をクリックしてみてね。大きく写っています。後ろにクーポラが見えていますね ・ ・ サン・ジョヴァンニ洗礼堂は八角形の建物でドゥオーモと同じ赤、白、緑の大理石で装飾されています。三つのブロンズの扉が出入り口になっていてこれはメイン入口の東側(ドゥオーモ正面)の扉です。青銅金塗りの扉で、細かい彫刻が施されています。1425年、ロレンツォ・ギベルティの最高傑作で後にミケランジェロが「天国の扉」と名付けて賞賛した扉です。扉の上の「キリストと洗礼者、天使」の像はアンドレア・サンソヴィーノ作現在はどちらとも、その複製になっています。(原型はドゥオーモ博物館に展示)詩人ダンテもこのサン・ジョヴァンニ洗礼堂で洗礼を受けたそうですいよいよ、ウフィッツィ美術館のあるシニョーリア広場に来ました。ここはかって、フィレンツェの政治の中心地でした。周りには歴史的な建造物が立ち並んでいます。こちらはヴェッキオ宮殿です。現在、フィレンツェの市庁舎です。ロマネスク様式で要塞のような造りになっています。正面玄関脇にはミケランジェロのダビデ像のレプリカが建っています。市庁舎に面して建っているロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)にはたくさんの彫刻作品が並んでいます。 これはルネッサンスの金工・彫刻家、チェッリーニの傑作「メデューサの首を掲げるペルセウス像」ゴルゴンの三姉妹の一人、メドゥーサの首をあげています。ゴルゴンは蛇の頭髪と猪の牙、青銅の手を持ち黄金の翼で空を飛び、視線を合わせた者を即座に石に変えてしまうという怪物の3姉妹です。姉妹のうち、ステンノ、エウリュアレの2人は不死身で、末娘のメドゥーサだけが可死だったのです。・・・ペルセウスの母ダナエを自分のものにしようとするふらちな王は、ペルセウスに厄介払いの為怪物のメドゥーサの首を持ってくるよう命じます。ペルセウスはこの難業を成し遂げ、首を持って途中で助けた、アンドロメダ(妻)を連れて母のもとに帰ったが母は更なる執拗な王の仕打ちにあっていました。そして攻めてくる王一派に対し、このメドゥーサの首をあげた瞬間王一派はたちどころに石と化したのです。・・ ・後に天上に昇って星座となることを許されペルセウス座とアンドロメダ座になりました。星が持つ伝説にしばし想いを馳せてみました~(^-^) ・この像はフィレンツェを外敵から守るシンボルとして回廊に置かれたのですね。丁度、何かの記念日だったのか赤シャツ姿の音楽隊の行進がありました。シニョリーア広場の中央にはコジモ一世の像が見えます。フィレンツェのメディチ家の一人で初代トスカーナ公です。首都フィレンツェの都市改造事業(ウフィッツィ美術館、ヴァザーリの回廊などの建設)に力を注ぎ、今日のフィレンツェの景観を作り上げた人です。今日はこの辺で~続きはまたね。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。template-いなもと
2013.07.06
5月29日(水) 観光6日目観光最後の国、イタリア(ミラノ)の朝を迎えました。想像していたより二人とも、とても元気です(^-^)ただちょっと、問題発生。実はユーロの持ち合わせが少なくなってしまったのです。ホテルでの換金はレートがかなり悪いらしく断念。どこかで換金しなければね ・ ・午前中はミラノ市内の散策でした。車窓から見えているのはジュゼッペ・ガリバルディの騎馬像です。お顔が見えませんね・・お髭があります。イタリア統一を進める為に多くの軍事行動を個人的に率いた軍事家です。 ・ ・1860年、千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリアの反乱を援助し両シチリア王国を滅ぼした。その後、征服地をサルデーニャ王ヴィットリオ・エマヌエール2世に献上してイタリア統一に大きく貢献しました。※両シチリア王国とはシチリア島のシチリア王国とイタリア半島南部のナポリのこと。 ・ ・イタリア王国成立に大きな力となった人なのですね向こうに見えるのはスフォルツェスコ城レオナルド・ダ・ヴィンチも建設に加わったといわれている古城・・ミケランジェロの晩年の作品「ロンダニーニのピエタ」も展示されているとか・・ ・ ・スカラ広場でバスから降りるとレオナルド・ダ・ヴィンチ像が建っていました。おー偉大なる万能人!アップで撮ってみました。 ・ ・「オペラの殿堂」スカラ座です。以外と地味に建っています。 ・ ・アーチ型ガラス天井で有名な「ヴィットリオ・エマヌエール2世ガレリア」に着きました。アーケードの十字路にある雄牛のモザイク画の所でしばらく自由散策となりました。雄牛のモザイク画の上にかかとで立って、クルリと一回転すると幸運がもたらされるそうで~私も頑張って~一回転!ところがアーケードの写真を撮ることを忘れてしまい~銀行を探す為に足早で通り抜けてしまったのです。写真が撮れていません。残念です床は全部モザイク模様のタイルが敷き詰めてありスカラ広場とドゥオーモ広場を結んで十字型のショッピングアーケードになっています。美しいアーチ型のガラス天井が中央で合流し十字路中央の天井はガラス張りの円天井になっています。素晴らしいの一言に尽きます19世紀中ごろに完成した世界最古のアーケードだそうです。 ・ ・アーケードに「ヴィットリオ・エマヌエール2世」の名前が付けられていますねこの人はイタリア王国の初代国王です。父から引き継いだイタリア統一戦争に終止符をうち「王国の国父」と呼ばれました。 ・ ・ ・私達は銀行を見つける事ができませんでした。 ・ ・この後、ガイドさんの案内でミラノのドゥオーモ広場に出ました。ゴシック建築の白くて大きな建物が建っていました。ミラノのドゥオーモです。135本の尖塔の上には一つ一つ聖人が立っていて一番高い位置の尖塔には金のマリア像が輝いています。その美しさに、大きさに圧倒されました。ドゥオーモとはイタリア語で神の家を意味します。イタリアでの街を代表する教会堂の事です。世界最大のゴシック建築で、500年もの歳月をかけて多くの芸術家によって完成されたそうです。 ・ ・ ・ 歩いていると、目の前に銀行がガイドさんに聞いてみたところ、一見(いちげん)さんはお断りだとか・・銀行に一見さんがあるのかー。残念イタリア滞在2日間ではちょっと寂しい持ち合わせです。カードでお買い物をするから・・と決め込んでいたのですが・・以外に小銭が必要でした。昼食や夕食時のドリンク代やバス内で買うお水代などそれから有料トイレで使ったり・・諸々 ・ ・昼食は中華でした。お茶がたっぷり出て来て嬉しかった!ちょっと、くどかったような気もします。こちらへ来てから、ずっと薄い塩味の料理だったので・・でも豪華なメニューでした。食べきれないぐらいでしたょ。 ・ ・午後はバスに乗ってルネッサンスの起源・花の都フィレンツェへ~約310km/所要時間約3時間半です。 つづきは又ね。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。template-いなもと
2013.07.03
私達が泊まったグリンデルワルトからユングフラウ鉄道の始発駅クライネ・シャイデック駅まで登山列車はゆっくり登り始めました。アルプスの山々を見て参りま~す。向こうに見える、とんっがった山はアイガー。クライネ・シャイデック駅でユングフラウ鉄道に乗り換えてさーこれから~ヨーロッパで最も高いところにある鉄道駅ユングフラウヨッホ駅(標高3454m)に向かって出発です。 ・ ・途中、岩をくり抜いてつくられた、展望窓のあるアイガーヴァント駅とアイスメーア駅で10分間ほど降りてグリンデルワルトの草原と壮大な山岳の風景を眺めました。 ・ ・暫くしてユングフラウヨッホ駅に到着!駅は岩のトンネル内(地下)のようです。駅の出入り口にはアドルフ・グィエール・ツェラーの胸像があります。鉄道王国、スイスの鉄道網の発展に貢献した人でユングフラウ鉄道の創設者です。 ・ ・エレベーターで山頂駅ホームに出て更に高速エレベーターでスフィンクス展望台(3571m)まで登ります。凄く早いんです!びっくりしました。到着!360度のパノラマです。あいにく、深い霧に包まれて、白一色の世界です天気の良い日にはユングフラウの頂上やアレッチ氷河などが見えるらしいのですが・・ちょっと残念 ・ ・展望台のテラスに出て、記念写真をパチリ! 寒ぅ!帰ってから展望台の位置を写真で確かめてみました!丸で囲んだ所がスフィンクス展望台です。向こうにそびえている山はユングフラウです。高い所に、私達、立ったのですね。感動です! ・ ・帰りに乗り換えの為、降りたクライネ・シャイデック駅で昼食を頂きました。白いとんがった大きなテント内がお部屋です。ユニークでとても良かったわ(^-^♪メニューはスープとアルペンマカロニ(クリームソース)と野菜サラダ~デザートはプリンでした。注文した、ぶどうジュースが濃くて凄く美味しかったょ。駅の周りを散策してアルプスの山々に別れを告げ、列車は美しいお花の咲き乱れる草原を下りて行きました。 ・ ・この後、バスに乗って~スイスより国境を越えて~イタリアのミラノへ向かいました。約310km/所要時間は約5時間です。皆、こっくり~こっくり居眠りです。そうですね昨夜は余り寝ていないんですよね。車窓からは美しいアルプスの山々が見えています。クラシックが静かに流れています。添乗員さん有難うございます。 ・ ・バスはどんどん走ります。ミラノの近くのドライブインでエスプレッソを頂きました。夫さんはミラノに仕事で3ヶ月ほど暮らした事があるのでなんだか懐かしそうです。小さなカップに入った苦~いコーヒーにお砂糖を一袋入れてグルグルと混ぜ~こんな風に~一口でグイッと飲むんだよ。と教えてくれました。なるほど美味しかったです(笑) ・ ・宿泊はミラノのウナ・マルペンサ(4つ星)です。とてもスタイリッシュなホテル ・ ・夕食のメニューはサフラン味のリゾットと、鶏足のから揚げとチップデザートは新鮮な果物がコンポートにたくさんのっていました。ナイフで皮を剥きながら~楽しく、たくさん頂きました。 ・ ・明日はミラノとフィレンツェの観光です! ・ ・ベットに吸い込まれるようにして眠りにつきました。 続きはまたねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。template-いなもと
2013.07.01
華の都パリ市内観光セーヌ川に沿ってバスはゆっくり走ります。エッフェル塔です。これは、コンコルド広場から、撮った写真です。向こうの方に見えるのは凱旋門です。凱旋門に向かって続く通りは、シャンゼリゼ大通りといって道路の両側には、ブランド店が建ち並んでいるそうです。歩いてみたかったな~オペラ座です。今日は開演しているのかな。たくさんの人ですね。 ・ ・この後、フランスに別れを告げ超特急列車TGVに乗ってスイスのインターラーケンへ。所要時間は約5時間半。夕食は幕の内弁当が配られました。まさしく日本のお弁当です。美味しかったですぅ。外はのどかな風景がどこまでも続きます。皆、旅行の話が弾み、楽しそうです。疲れてご夫婦で爆睡していらっしゃる方も~ ・ ・5月28日 観光5日目インターラーケンに真夜中の到着。外は真っ暗です。準備したダウンジャケットを着てバスに乗り込み宿泊地グリンデルワルトのユングフラウ ロッジへ向かいました。どんな景色なのかな~。小雨が降っていて、なんだか心配ロッジ風の可愛いお部屋に入りました。とにかく明日の為にも頑張って寝なければね。3時間位しかありません。うと~うと~朝です!ベランダに飛び出ました。美しい牧歌的な風景が目の前に広がっています。感動です!! 朝の澄み切った空気のなかカランカランとお乳を運ぶ音が聞こえてきます。なんて長閑なんでしょう。しばらくすると、向こうから電車がのぼってきました。黄色とブルーです。まるで絵の中に飛び込んだような気持ち。嬉しくて、準備も早々に外へ飛び出ました!私達は別館だったので、本館まで朝食をいただきに行きました。外は小雨が降っています。でも気持ちはルンルン(^。^♪ ・ ・朝食はスクランブルエッグとウインナーと少々固めのパンと温かいカフェオーレ。美味しかったょ。 ・ ・いよいよ世界遺産ユングフラウヨッホへ出発します。アイガーが見えています。同じ山地にそびえるアイガー、メンヒ、ユングフラウの三つの山をオーバーラント三山と呼んでいます。アイガー(3970m)メンヒ(4099m)、ユングフラウ(4156m)雨も上がって期待満々。電車に乗り込みました。 つづきはまた明日ねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。template-いなもと
2013.06.29
美術館内です。セピア色に写っていますフラッシュ禁止ということで・・操作を間違えたかな?天井の彫刻十字架のキリスト「聖アンナと聖母子」 レオナルド・ダ・ヴィンチ作「聖母子と幼児聖ヨハネ」ラファエロ 作「カナの婚礼」ヴェロネーゼ作16世紀のヴェネツェア、当時の宴会シーン「ナポレオン一世の戴冠」」ダヴィド作 「サルダナパールの死」ウジェーヌ・ドラクロア作「アルプス越えのナポレオン」ダヴィッド作「瀕死の奴隷」 ミケランジェロ作館内からルーヴル・ピラミッドを撮って~別れを告げました。 ・ ・ ・昼食はレトロなレストランでエスカルゴと魚料理を頂きました。初めてのエスカルゴはとても美味しかったです(^。^♪午後はパリ市内の車窓観光をして夜、パリから超特急列車に乗ってスイスに向かいました。 ではまた明日ね。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。 template-いなもと
2013.06.28
27日(月) 観光4日目二日間お世話になったホテル「フォレスト ヒル ムードン」に Merci(メルシー)とお礼の言葉を言って別れを告げました。(バスの中でフランス語のレッスンを受けました^-^♪)いよいよ世界3大美術館の一つ、憧れのルーヴル美術館へやって来ました!建物の中から撮ったのですが・・色が付いていません。操作を間違えたかな?ぺこりナポレオン広場にガラスのルーヴル・ピラミッドが見えています。ピラミッドの中から撮ってみました。これは色が付いていますねこのピラミッドから色々な部屋に行く事が出来ます。 ・ ・彫刻のお部屋に入って来ました。朝日を浴びて・・優雅ですね。 ・ ・さて、ルーヴルの3大貴婦人ともいわれている「モナ・リザ」「サモトラケのニケ」「ミロのヴィーナス」は是非見なければね「ミロのヴィーナス」です。大理石彫像。古代美術の象徴とも言われるヘレニズム時代(前3~前1世紀)の作品です。1820年エーゲ海のミロス島で発見されました。「ミロ」=発見地ミロス島のラテン系名称「ヴィーナス」=アフロディーテのラテン語名ウェヌスの英語名ギリシャ神話におけるアフロディーテ、愛と美の女神の像です。表情は深く聡明で、体は筋肉質でありながら女性らしくふくよかです。 紀元前にこんなに素晴らしい彫刻像が存在していたのですね~凄いですね! ・ ・ ・美術館の天井画も素敵です! ・ ・「サモトラケのニケ」です。階段の踊り場に大きな翼を広げた女神が立っていました。衣を風にたなびかせて、舞い降りて来たかのように・・ダイナミックで優雅!どんなお顔をしていたのでしょうね紀元前190年頃の大理石彫刻。古代美術の象徴とも言われるヘレニズム期の作品。1863年にエーゲ海の「サモトラケ島」で発見されました。「ニケ」とは、ギリシア神話に登場する勝利の女神です。勝利の女神の役割は、いち早く勝利の知らせを届けるために空からやってくると考えられています。 ・ ・ ・今度は絵画のお部屋に入って来ました!「モナ・リザ」です。ルネサンス期の巨匠「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が描いた油彩画。ぼかし技法を用いて描かれています。フィレンツェの裕福な絹商人、フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・ゲラルディーニ・デル・ジョコンドの肖像画といわれています。イタリア語の「ma donna」は「私の貴婦人」を意味し短縮形で「mona」(モナ)と綴られます。(リザ)はエリザベッタの愛称を意味します。「愛しのエリザベッタ」かなエリザベッタの夫、フランチェスコが『モナ・リザ』の制作をレオナルドに依頼したのは、一家の新居引越しと次男アドレアの出産祝いだったと考えられています。他にいろいろな説もあるそうですが・・・とにかくこの不思議な微笑は永遠に人々をひきつけることでしょうね。 ・ ・微笑の分析「感情認識ソフト」を導入したコンピューターによって解析された結果は83%の幸せ9%の嫌悪感6%の恐怖感2%の怒り勉強になりましたこの次はカメラに収めた絵画などを少し載せてみますね。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。template-いなもと
2013.06.25
お土産屋さんの立ち並ぶ、坂道を登って行くと急な階段が見えて来ました。さあー頑張って最上階まで上がりましょう。 ・美しいサン・マロ湾を眺めながら~ ・モン・サン・ミッシェル修道院の最上部へやってきました。!(モン=山 サン=聖 ミッシェル=ミカエル)丁度、午後1時の鐘が厳かに鳴り響いていました。幻想的な海の景色が目の前に広がっています。添乗員さんの案内で、修道院内を見学しながら下りて行きました。大天使ミカエルの像(塔の先端に祀られている像)天国に行くか、地獄に行くか、天秤で量っている聖ミカエル。途中に中庭があり、その周りを回廊が囲んでいます。僧の方々が瞑想を行った場所です。回廊から上を見上げると、塔の先端部分に聖ミカエルの像が見えています。 ・ ・さようなら~モン・サン・ミッシェル!向こうに白く小さく見えるのは羊です。 ・ ・パリのホテルへ戻ったのは夜8時を過ぎていました。夕食はサラダと鶏胸肉のソテーとフライドポテトのトマトソース添え。あっさり、やさしい味でとてもヘルシー量も丁度良い感じ! ・ ・ ・明日はルーブル美術館とパリ市内観光です。しっかり眠っておかなければねベットで爆睡 また明日ねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。template-いなもと
2013.06.24
ヴェルサイユ宮殿に別れを告げ~バスはパリ市内のレストランに向かいました。夕食のメニューはフランスの伝統的な家庭料理ブッフ・ブルギニョン(牛肉のワイン煮込み)です。テーブルにパンが用意されているので、先ずパンを頂きながら~やがて注文した飲み物が届きます。それから大分経ってからお料理が運ばれます。 お腹空いたよー("^-^")こちらでは、かなりゆっくりのお食事をするのだと思います。いいことですね。赤ワインのソースがあっさりとしていて、とても美味しかったです(^-^♪楽しいお話をしながら~ゆっくりのお食事でした。ほろ酔い加減でホテルに戻りベットで爆睡26日(日) 観光3日目朝、早くに朝食を済ませ世界遺産「モンサンミッシェル修道院」へ向かいました。片道359km/所要約5時間。バスはどんどん走ります。窓の外は何処までも~何処までも続く菜の花畑と・・のどかな風景・・皆、こっくり~こっくり・・そろそろ疲れが少し出てきたようです。さぁー着きました。昼食にモンサンミッシェル風オムレツ料理を頂き、元気を出して出発!(卵に生クリーム、砂糖、塩などを加えてメレンゲを作るようにホイップしてフワッと焼いたオムレツ)皆さん!階段を150段ほど上りますよー。手荷物は出来るだけ少なくして下さーい。「モンサンミッシェル修道院」が見えて来ました。歩いている所は昔は潮の満ち引きで15mも海面が変わり満潮の時には島が海に浮かび引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸とつながっていたそうです。現在は砂が徐々に堆積して常に陸とつながっている状態になっています。だんだん近づいてきました。美しいですね!!海に浮かんでいたら、きっと幻想的だったでしょうね ・ ・[モンサンミッシェル修道院」の歴史フランスの西海岸サン・マロ湾約1km沖合の小島に築かれたゴシック様式の修道院。この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地でした。708年 司教が夢の中で大天使ミカエルから3回に渡りお告げを受けます。「この岩山に聖堂を建てよ」と・・ここに礼拝堂をつくったのが始まりです。966年 ノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、増改築を重ねて、現在のような形になりました。そして中世以来カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めて来ました。百年戦争(1338~1453)の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしました。18世紀末のフランス革命時には修道院は廃止され、国の監獄として使用されました。1865年ナポレオン3世がヴィクトル・ユゴーの紹介により修道院として復元し、ミサが行われるようになりました。 ・ ・ ・それではこれから島に入ります。 続きはまた明日ねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。template-いなもと
2013.06.22
ヴェルサイユ宮殿(バロック建築の代表作)1682年にフランス王ルイ14世が建てたフランスの宮殿。フランス王絶対王政の象徴的建造物とも言われています。ルイ14世は10歳の時フロンドの乱で貴族達に命を脅かされるという体験をしました。この体験を一生忘れず、絶対王政の実現のために貴族達をヴェルサイユ宮殿内とその周辺に強制移住させて王に従わせました。民衆の誰もがヴェルサイユに入ることを許され、水なき地に水を引いて完成させた噴水庭園と宮殿を民衆に見せる事で王の偉大さを示した。(近くに水を引く高地がないのでセーヌ川から水をあげ、水道橋を作ってヴェルサイユまで運び、巨大な貯水槽に溜め込んで庭園に引いた)ヴェルサイユでは毎晩のように祭典が催され訪れた民衆はバレーや舞劇に酔いしれました。そして、ここで繰り広げられた貴族達の特権的な生活が徐々に民衆の不満をつのらせていきます。 また巨額の宮殿建設費と相次ぐ戦争による軍事費がかさみフランスの財政は困窮していました。重税を課せられる民衆達の不満がつのり、やがて王政ルイ16世の時、ついにフランス革命が起こります。 ・ ・革命に飲み込まれた王妃「マリー・アントワネット」ルイ16世の王妃「マリー・アントワネット」=マリア・アントニアは「神聖ローマ皇帝フランツ1世」とハブスブルク家のオーストリア大公「マリア・テレジア」の11女としてウイーンで誕生しました。ローマ皇帝の死後、テレジアは長男ヨーゼフ2世と共に帝国を統治していきます。諸外国と同盟を結んだり、友好関係を強いものにする為に娘たちは政略結婚の道具として使われました。オーストリアのハブスブルク家とフランスのブルボン家は長年、ヨーロッパの覇権を巡って激しい対立をして来ました。テレジアは和議を結ぶ為「マリア・アントニア」と「ルイ・オーギュスト」(後のルイ16世)の結婚の使節としてメルシー伯爵をフランスに派遣します。1770年、二人の結婚が執り行われる事になりました。ルイ・オーギュストは15歳、マリア・アントニアは14歳二人には趣味や気質などの不一致があり、更に夫婦関係が持てないという生活が続いていました。王位継承者の妃として子供を生む事ができない屈辱が幼いアントワネットの生活を変えていったのです。生活は乱れ、宮廷娯楽に身を投じ夜の街に繰り出て賭博までするようになります。本来、常に幸福で国民の母のような存在で居なければならないという自分の責任と立場が理解出来なかったのですね。見かねたアントワネットの兄ヨーゼフ2世(神聖ローマ皇帝)はルイ16世を励まし、手術を受けることになります。そして結婚7年目で二人は本当の夫婦となり、アントワネットは翌年、子供を生み、その後も子供を授かり、4人生む事が出来ました。(内二人は幼くして世を去ります)子供を生んでからは夜遊びもなくなり、子煩悩になったと言われています。 ・ ・ルイ16世ルイ16世=ルイ・オーギュストはルイ15世の孫です。フランスでは王位は長子から長子へと受け継がれていく決まりになっていたのでオーギュストは11歳で王太子になります。無口で、社交が苦手で優雅にダンスなども踊れませんが感受性の強い、頭の良い少年でした。ルイ15世の死後19歳で国王に即位します。アントワネットとの結婚生活4年目の事ですねその重責の重さに二人は抱き合って涙したとか・・国はルイ14世、ルイ15世の積極財政の結果を受け継ぎ慢性的な財政難に悩まされ続けていました。 ・ ・ルイ16世は政治に積極的に関わりフランスの改革に努力を注ぎます。●独立戦争に直面していたアメリカを援助し(財政が更に困窮したが・・)海軍力の整備に力を入れる等、時代の要請に答えた外交政策をしました。●人権思想に理解を示し、戸籍上の身分がなかったものにも身分を認め拷問を禁止しました。●水の出し入れが出来るドッグの建設。等々他に、貴族や聖職者にも税金を課すという改革案もたてますが、保守派貴族にことごとく潰されるなど改革は抜本的な変革に至らなかったのです。結局財政の決定的な建て直しには及ばず、財政はますます困窮をきたします。1783年ルイ16世は国民に財政改革の協力を求める為、三部会召集の布告を行います。※三部会とはフランス国内の三つの身分の代表者が重要議題を議論する場として存在した身分制議会です。(中世~近世に存在)(第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は平民で構成されている) これが平民層を大きく政治参加へ駆り立てたのです。議会の内容は第三身分をおおいに失望させるものであった為、自分達が国民の代表であると主張し、別に国民議会(後に憲法制定議会と改称)と称する集会を開きます。これに聖職者の多くと貴族47名が合流し、議会は本格的な憲法制定作業に取り掛かりました。このような政治的緊張の中、国王政府は兵をパリに終結させます。そしてアントワネットと王弟は独断で民衆の期待を集めていた財務大臣ジャック・ネッケルを罷免します。民衆はこれに憤慨し、ここにフランス革命が勃発!ルイ16世は決して革命を望んではいなかった。国王政府は強硬派で占められていたので、優柔不断なルイ16世の意向が通らなくなっていたのです。この後、国王一家はパリに連行されます。そしてルイ16世は第4回投票の結果即時の死刑執行と決まりました。 ・ ・いっぽう、18歳で王妃となったアントワネットはベルサイユの無駄な習慣や儀式を廃止、緩和させます。無駄だと分かりながらそれを自分のステータスとして生きていた宮殿内の貴族達から反感をかってしまいます。こうした中、アントワネットはスウェーデン貴族フェルセン伯爵との浮き名が噂になります。これは彼女だけでなく大勢の貴族達の間にもそうした傾向が見られたようです。しかしルイ16世の王妃であるアントワネットがとる行為であってはならなかったのです。彼女の同胞に入れない貴族達はベルサイユ以外の場所。特に以前大きく対立していたルイ15世の愛妾だったデュ・バリー夫人が住んでいるパリの街へ出向きアントワネットの中傷をし始めたのです。結果的にこれらの中傷がパリの民衆の憎悪を掻き立てる事になりました。 他に「首飾り事件」で何十億もするダイヤの首飾りが消えた事によるアントワネットへの中傷。(犯人は別に居た)また別の視点から見るとルイ16世は公妾を一人も持たず、アントワネットだけを愛した。故にアントワネットは王家の不都合を全部背負う形にもなったのです。こうしてアントワネットは民衆の非難を浴びます。(公妾(こうしょう)とは側室制度が許されていなかったキリスト教ヨーロッパ諸国の宮廷で主に近世に採用された歴史的制度。単なる王の個人的な愛人としてではなく社交界へも出席し、高い知性と教養が必要とされた。公妾の生活や活動にかかる費用は公式に王廷費からの支出として認められていた。ルイ15世の寵姫であったポンパドゥール夫人は重要な廷臣として政治にも参画したという例があります。(公妾は既婚者である慣わしがあったので形だけの結婚をさせてから公妾にします。)ポンパドゥール夫人は王位磁気製作所を設立し、マイセン(セーブル焼)を完成させた人です。 ・ ・フランス王政は少しづつ揺らぎ始めます。1789年 フランス革命 勃発!その年は天候が悪く、農作物も不作で唯一ぶどうだけがが豊作だった為ワインの価格が値崩れを起こし、人々の暮らしは困窮していたのです。革命の直接的原因は財政破綻です。破綻の原因が「赤字夫人」と言われたアントワネットの浪費であると人々は信じて疑いませんでした。しかし実際は赤字額に比べるとアントワネットが使った金額は財政破綻の原因になるほどのものではなかったのです。ただ・・ルイ16世の王妃として、自分の置かれた立場と責任をもっと理解して行動すべきであったのです。 ・ ・アントワネットは民衆の前に深々と頭を下げました。そして身柄はパリへ移されました。再期の言葉は「さようなら、子供達。あなた方のお父さんのところに行きます」凛として処刑台に立った。 又明日ねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。template-いなもと
2013.06.19
25日(土) 観光2日目朝7時の朝食を済ませて、8時半頃、ホテルを出発。とても忙しいのですが、上げ膳据え膳の楽しいお食事そろそろチームの方達との会話も弾みます。どちらからいらしたのですか・・私達は飛行機で羽田まで来て~バスで成田まで来たんですよ・・よろしくね(^-^♪ ・ ・さあー今日はユーロスター(国際高速列車)に乗ってフランスのパリへ行きます。「国鉄セント・パンクラス駅」駅でフランスの入国手続きを済ませ免税店など回りながらロンドンに別れを告げました。昼食用に日本のお弁当が配られました。ホッいよいよ列車は出発します。これから海をくぐって隣の国に行くという体験をしま~す。スピードは時速250km~300km。日本の新幹線と同じ位かな?車内はちょっと古いです。食堂があるのですが・・日本食弁当に舌鼓(笑)列車は暫く田園を走ります。急に窓の外が真っ暗になりました。ユーロトンネルに入ったようです。ドーバー海峡をくぐっているんですね~ドキドキ。列車のスピードが一段と上がり始めました。トンネルを出たら、此処はフランス!国境を越えましたよー!列車はまだまだ、どんどん走ります。ロンドンからパリまで2時間20分位かかりますがイギリス国内よりフランス国内の方が長く走るようです。 ・ ・ ・パリに到着!イギリスとはちょっと違う雰囲気です。車窓から街並みを眺めながら世界遺産「ヴェルサイユ宮殿」へ向かいました。「ヴェルサイユ宮殿」の正門黄金の門です。1682年、太陽王ルイ14世(1638~1715)がブルボン王家の夏の離宮として建てた宮殿。ヴェルサイユ宮殿の中庭です。華麗なる宮殿内へ~ 礼拝堂。ルイ16世とマリーアントワネットが結婚式を行った場所です。ルイ・15世ルイ・16世とマリー・アントワネットルイ16世の寝室とアントワネットの寝室. 噴水のあるお庭は宮殿の窓から眺めました。広くて本当に綺麗!何もかもに圧倒されました! ・ ・明日はフランス革命勃発までのルイ16世と妻マリー・アントワネットについて少し書いてみたいと思います。 では又明日ね。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。template-いなもと
2013.06.18
ロンドンの車窓観光はもう夕方になっていました。雨が降ったりやんだりでしたがそれでも日本よりずっと明るいんですよ。驚きました。英国国会議事堂の時計台で世界遺産「ビッグ・ベン」この時計塔はエリザベス女王、即位60年を記念して「エリザベスタワー」と改名されました。15分毎にどっしりした音をテムズの川面に響かせるそうです。聞いてみたかったなー。横の大きな国会議事堂(ウエストミンスター宮殿)が写っていませんね。 ・ ・テムズ川に架かる跳開橋「タワー・ブリッジ」遠くからズームで撮りました。 ・ ・バッキンガム宮殿「エリザベス女王のロンドンの公邸及び執務の場。今でも実際に使われている世界でも数少ない王宮の一つです。宮殿の屋上に王室旗があがっている時は女王又は王が在宅。不在の時はイギリス国旗があがっています。」添乗員さんのお話を聞きながら窓から探していたら~遠くに門が見えましたょ・・ ・ ・それからねあのロイヤル・ウエディングも執り行われた世界遺産「ウエストミンスター寺院」も見えました。ゴシック建築のすごい建物だなーと見とれているうちにバスは通り過ぎて行きました。あれ~あれ~写真が撮れません。残念 ・ ・これはセントポール大聖堂ロンドンの金融街、シティ・オブ・ロンドンにあるバロック建築の大聖堂。ドームが見えています。行きたかったなー ・ ・ ・車窓観光が終わってホテルに着いた時時計は午後8時をまわっていました。でも未だ明るかったですょ夕食はローストビーフとバイキング。どれも薄味でとても食べ易かったです。ローストビーフは日本よりちょっと硬めですがとても美味しかったです。観光は予定より2時間ほど遅れたのではないかと思いますがとても充実した一日でした。ベットで爆睡!! 又明日ねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。 template-いなもと
2013.06.17
前回の続きをもう少しね。アッシリア帝国はどんどん勢力をのばします。そしてエジプトも支配しオリエント地域全体を支配する大帝国になりました。しかし新バビロニアとメディアの反撃にあい紀元前609年 ついにアッシリア帝国は滅亡。以後70年間、4帝国時代が続きます。●イラン高原のメディア●メソポタミアの新バビロニア●小アジアのリディア●エジプト第26王朝アッシリアに服属する形で存続していたユダ王国(古代イスラエルに存在した王国の南王国)はアッシリア滅亡の後、エジプトの支配下に入ったが、その後エジプト第26王朝ネコ2世が新バビロニアに破れた事により最終的には新バビロニアのネブカドネザル2世の前にユダ王国も屈する事になった。暫くは独立国としての存在が許されてはいたがユダ王国は再度に渡り、新バビロニアを攻撃し、それが失敗に終わり結局、エルサレム全体と神殿が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行されました。(バビロン捕囚) ・ ・ ・やがて紀元前539年、ペルシャ帝国(現在のイラン)がオリエント全域を支配します。キュロス2世はユダの人達を解放し、バビロン捕囚を終わらせました。人々はエルサレムに帰還し、ペルシャの支配に服しました。半世紀近くたっていました。それ以降 ・ ・ ・1948年 イスラエル国成立までユダヤ民族は独立国を持つ事はなかった。 (僅かな例外時期を除いて) 民族が国を追われるという想像を絶する悲しみが起きていたのですね。 ・ ・メソポタミアの歴史を少し勉強しました ・ ・古代エジプトの展示室へ。ミイラがたくさん展示されていました。古代エジプトの人達は永遠の命と来世での復活を信じていたので永遠の肉体が必要だったそうです。70日間かけてミイラをつくったとか・・ネコのミイラもありましたょ。ネコは神聖な生き物とされていたのですね。ちょっと気持ち悪くて・・カメラを撮っていません。 ・ ・しばし古代に想いをはせて~ この後は「ナショナル・ギャラリー」へ向かいました。この美術館は王室や貴族のコレクションの由来ではないという点でヨーロッパではあまり例のない美術館だそうです。美術後援家が寄付したものや、当時の館長達が購入したものが展示されています。入場料は無料。写真撮影は禁止です。展示されているのは13世紀~20世紀初頭のヨーロッパ絵画で西洋画家が革新をみせた作品がたくさん展示されています。レオナルド・ダビンチ、ボッティチェリゴッホ、セザンヌ、モネ、ミケランジェロ など美術の教科書に出てくる画家がズラリ。時間がなくてゆっくり見られなかったのが残念!もう一度行きたいな! ・ ・ ・ナショナル・ギャラリー前に広がるトラファルガー広場英雄ネルソン提督を記念して造られた広場です。19世紀初め、彼はトラファルガーの海戦でナポレオン率いるフランス艦隊に勝利しながらも、命を落とした。高い石柱の上に、ネルソン提督の石像が立つ記念碑があり円柱の周りには4頭の巨大なライオンが居て守っています。 ・ ・お天気が悪くてよく見えませんでした。ちょっと残念です。この後はロンドン市街の車窓観光でした。しっとりと雨に濡れたロンドンはとても素敵でした。 また明日ねにほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。 template-いなもと
2013.06.16
「大英博物館」の正面玄関です。急に雨がひどくなって・・バスの中からパチリ。「ロンドンの雨傘」って言いますよね。ちょっと絵になっていませんか(^-^♪ ・ ・大英博物館は世界最大の博物館で古今東西の美術品や書籍など800万点が収蔵されています。見学は無料で写真撮影も許されています。館内はたくさんの人でした。誰もが入れるという事で盗難に合う事が多いとか・・バッグをしっかり持ってはぐれない様にガイドさんにくっ付いて歩きました。(笑) ・ ・ ・これは「ロゼッタストーン」といって1.14mの石版です。世界最古の文字の一つ「ヒエログリフ」が刻まれています。「ヒエログリフ」は古代エジプトで使われた3種の文字の一つで長い間、忘れ去られていました。この石版が「ヒエログリフ」解読の基盤となっ事で有名。19世紀中頃フランス人のシャンボリオンが解読に成功し以後、研究が進み今ではほぼ完全に解読されるに至っています。内容はプトレマイオス5世をたたえる文章だそうです。「ヒエログリフ」は象形文字(物の形をうつして文字にしたもの)で有名ですが表音文字(文字には意味が無く音だけを表す文字)としての性格も強いとか・・日本語の50音も表せるようです。ちょっと興味津々。 ・ ・さー次の部屋に進みましょう「パルテノン神殿の浮彫彫刻フリーズ」●アテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿から持ってきたものです。室内にはたくさんのフリーズが張り巡らされており4年に1度の祭りの様子が表現されていました。●このフリーズはマラトンの戦いの勇者たちの奉献であるという説も? ・ ・アッシリアの守護獣神像この像は、古代メソポタミアに栄えたアッシリア王国の宮殿跡で発見された物で、アッシリア王サルゴン二世の宮殿の門に守り神として置かれていました。頭は冠をかぶった神の形をした人間体は翼を持った牡牛というキメラ動物です。高さ4m超で当時は彩色されていたとのこと。足は正面から見ると2本、横から見ると4本、斜めから見ると5本。5本の足が動きを表現しています。台座には王様のライオン狩りの様子が彫られています。檻の中に守られた子供がライオンの檻の上に居り上からライオンの檻の扉を開けています。王は人民をライオンから守るという役目を持ちその偉大さを表しているのではないでしょうか。 ・ ・ ・メソポタミアとは「複数の河の間」という意味で現在のイラクの一部にあたります。ティグリス、ユーフラテスの二つの河に挟まれた地方をさします。北部がアッシリア南部がバビロニアバビロニアは、北部バビロニアのアッカドと下流地域の南部バビロニアのシュメールとに更に分けられます。その南部の下流域シュメールから上流のアッカドに向かって文明が広がっていきました。これが世界で最初に生まれた文明、メソポタミア文明です。文明の初期の中心となったのはシュメール人です。残された彫刻を見るとくりくりとした大きな目と長い顎ひげが特徴的とか。そういえばアラブの男の人達には顎ひげがありますね。シュメールに都市国家が出来て文明が起こったのは紀元前3500年頃ですから5500年もの間、風習が続いているのでしょうかね?おっとお話が横道にずれました。(ぺこり) ・ ・ ・メソポタミアは、多くの民族の興亡の歴史があり例えば(シュメール、バビロニア、アッシリア、アッカド、 ヒッタイト、ミタンニ、エラム、古代ペルシャ人の国々・・等) ・ ・ ・●紀元前745年にはアッシリア帝国がメソポタミア全域とシリア、パレスチナを支配しました。●紀元前721年、サルゴン2世が王として即位。イスラエル王国を滅亡させました。 この像はアッシリア王国の宮殿の装飾であり且つ守護神だったのですね。 ・ ・歴史を紐解いて・・やっとたどり着きました。 続きは又明日ね。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。 template-いなもと
2013.06.15
H25.05.23(木) 17:25 成田を出発しました。イギリス(ロンドン)に着いたのは24日(金)の朝7時頃でした。時差は日本より8時間遅いので身体的には午後3時頃です。タイ(バンコク)経由の飛行だったので乗り継ぎをして約18時間35分かかりましたが飛行の間に5~6時間、眠れた方は快調な朝だったと思います(^。^)途中、バンコク飛行場の免税店をぶらぶらしてエキゾチック感を味わえたのもちょっと良かったわ♪5月24日(金) 1日目朝、ロンドン飛行場はたくさんの人で混雑し入国手続も長い、長~い行列でした。予定が大幅に遅れたので観光予定の変更がありました。先ずは午後に予定していたカンタベリーへ向かいました。雨がポツポツ・・思っていたより寒~い。でも気持ちはホット。バスはロンドンを走り抜けます。 ・ ・ ・●イギリス南東部にあるカンタベリーの町は 直径1.5キロほどで以前は城壁で囲まれていました。●中世以前に作られた町は異民族や山賊が襲ってくるという 心配があったので、城壁で囲まれていたそうです。●6世紀末にイギリスで初めてキリスト教が始まった地で 中世にはヨーロッパで有数の巡礼地となりました。 ・ ・ ・バスを降りて街中を15分ほど歩きながらカンタベリー大聖堂へ。中世の雰囲気を残した街にスターバックスのお店がマッチしているという感じです。凄く寒くて・・準備した衣類を間違えた!と思いながら歩いていると小さなレストランの中から窓越しに優しく手を振って下さる外国人。赤いカーディガンを着た年配の女性でした。テーブルの上には温かいティーとケーキのような~。手を振りながら~私のお腹はグ~~。飛行機の中で充分頂いたはずなのですがね?寒かったけれど賑やかで・・なんだか心温まる町でした。 ・ ・ ・大聖堂は区切られた区域の中に建てられていてこれは大聖堂の南にあるクライストチャーチ門 16世紀の建造です。中央に青くさびたキリスト像とその周りに天使達がいます。印象的でした。門を入ると世界遺産「カンタベリー大聖堂」が見えて来ました。14世紀~15世紀に増築された部分(大聖堂の中では新しい部分)入り口の建物です。大聖堂は様々な建築様式が混在して建てられておりゴシック様式、バロック様式、地下にはロマネスク様式の古い聖堂が残されています。中に入ると身廊は高い天井にむかって柱が杉林のように立っていてまさにゴシック特有の垂直様式。荘厳の一言に尽きます。側廊にはお墓がたくさん設けられていてこの奥にある礼拝堂にはトマス・ベケットが埋葬されています。たくさんのステンドグラスが神秘的なまでに輝いていました。1170年カンタベリー大司教トマス・ベケットが教会の自立性を主張してイングランド国王ヘンリー2世と対立し、大聖堂内で暗殺されました。これは大変な蛮行でトマス・ベケットは殉教者として聖人になりました。人々が祈りを捧げると病人やけが人が次々に治癒する奇跡がおき多くの巡礼者が訪れるようになりました。 ・ ・16世紀、ヘンリー8世はローマ教会と決別し国王を首長とする英国国教会を創り教会に大司教が執務するための座席を置きました。以後、カンタベリー大聖堂は英国国教会の総本山となりました。現在も訪れる人々は絶えまなく続いています。 ・ ・ ・カンタベリーに別れを告げ、バスはロンドン市内へ昼食はお二階にトントンと上がって行くこじんまりしたレストランでフィッシュ&チップスと全粒粉パンを頂きました。薄い塩味でとてもヘルシー。デザートはチーズケーキの予定が・・フルーツに・・?このファジーな感じはヨーロッパでは珍しくないようです。午後からは市内観光の予定。世界最大の博物館のひとつ「大英博物館」へ行きます。 つづきはまた明日ね。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。 template-いなもと
2013.06.14
私達二人明日から10日間のヨーロッパ旅行に出掛けます。イギリス、フランス、スイス、イタリア周遊の旅です。フランスのモンサンミッシェルやスイスのユングフラウヨッホにも行くんですょ。美術館へもたくさん行きます。楽しみです。帰って来たらまた旅日記を書きますので~読みに来て下さいね。では体に気をつけて行って参りま~す。にほんブログ村ブログランキングに参加しています。是非ポチしてね。よろしければこちらの方へも遊びに来てくださいね。 *sae*
2013.05.22
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