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明日に入園式を控え、朝からずっと娘と一緒に過ごす毎日も今日が最後になりました。
「ママ、今日はどこに行くの?」「ママ、今日は何するの?」
朝食を済ませると娘が必ず言っていた言葉。
決まった用事やお稽古のない日は「さて今日はどうやって過ごすかな?」と考えるのが私の朝の日課のようなものでした。
でもこれからはとりあえず「幼稚園に行く」ことがメインの生活になるのだなぁと思うと、まだ不思議な感じがします。
2人でベッタリ生活の最終日は、近所の公園を3つはしごして娘の気の済むまで遊んできました。
落ちたばかりの桜の花を「プレゼントよ」と。
これまで娘がどんな風にその日その日を過ごしたか、そのほとんどの時間を共有していたから娘が話さなくても私には分かっていました。でもこれからは、娘が「これは話したい」と思って私に伝えてくれることの中から知ること、その結果私には分からないことが増えていくのだなぁと、今改めて感じています。まだ赤ちゃんだった娘がベビーベットで寝ている姿を、リビングにベビーベッドを移動してただただ見つめていたときに、「こうやって親が100%見守っていられなくなる日が必ず来るんだ」と思ったことがあったなぁなんて、そんなことを思い出しながら公園で遊ぶ娘を見ていました。
私にとって母親の「おかえりなさい」の声に一番ほっとできた時代は、小学校中学年の頃でした。その頃の私は自分が正しいと思うこと、間違っていると思うことはたとえ超少数派でも、相手がみんなが恐れるガキ大将だったとしても、ためらわずに主張してしまう子どもだったので、学校ではそれなりにいろいろな体験をしました。先生のいないところで男の子に後頭部を蹴られたり、なんてことも。で、そういうことがあった日にそれを全て母親に話したかというと、多分話さなかったことの方が多いような気がします。でも、全く違う話題でも母親や他の家族と話しているだけでその出来事からいつの間にか立ち直れていたんですよね。
これから成長していく娘も、新しい環境の中でいろいろなことを経験するでしょう。それは決して楽しいこと、嬉しいことだけではないはず。だからこそどんなときでも娘を大きく包みこんで、一緒にいるだけで安心させてやれる場所であり続けたい。そう思います。

