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その6の裏  別の夜の風景



時刻は10時を回っていた。レストラン『欧州亭』の閉店時刻である。

9時30分のオーダーストップとともに厨房にいたシェフたちは後片付けを始め、
その頃にはそれをほとんどを終えていたが、それとは別に明日の仕込みに追われている。

閉店後には店内の清掃が始まるわけだが、その日はまだ客も何人か残っていたために
それは出来そうにもなかった。

週末ではよくある光景である。


その店の裏側で一人の男が座っていた。

彼はコック帽を横に置いて鼻歌交じりに玉ねぎの皮を剥いている。


普段の倍近い量をこなさないといけないのだが大して気にもしてないようだった。

くるくると器用に剥いては大きなざるに入れ、また剥いてはざるに入れる。

機械的だがそれの繰り返しに飽きる様子もなく、むしろ楽しそうであった。

熟練のナイフ裁きで瞬く間に白い肌をみせた玉ねぎが積まれていく。

本来ならこういった仕事は新米シェフがすべきことなのだが彼は気にかけない。

単純な作業ゆえに意識は手元にありつつも集中して新作のレシピを考えている。

それが何よりも楽しいらしい。

頭の中では旬の食材を使ったケーキが生まれては消えていく…。

やがて近くにあった段ボール箱を空にすると、一息ついて伸びをした。


「はあー、今日の玉ねぎ完了っと。次はジャガイモか…。」


そう言って積まれている段ボール箱に手を伸ばそうとした時だった。




「ばっかみたい。よくもまあ飽きもせずに毎日こんなこと続けていられるわねぇ。」


黒い影が喋った。

それを見て男は驚く様子もなく、にっこり微笑んでいる。


「だってさー、この玉ねぎが明日になればめっちゃうまい料理になるんだぜ。
 それ考えてみろよ。頬が緩んじまうよ。しかもだよ、使い道はなんでもありだ。

 水銀燈だって俺が作るオニオンスープは大好きだろう?」


屈託のない笑顔を向けた男は黒い影―――水銀燈に優しく語りかけた。


「ふん。つまんないわよ。これならパリでいた方が良かったんじゃないかしら。」


水銀燈は顔を横に向けて毒づいた。


「まあ、そう言うなよ。だってほら俺、日本人だしさ。やっぱりこの国が一番なんだよな。
 そりゃあっちでの修行も悪くないし、まだまだ勉強することもいっぱいあるけど、
 こっちで店を開くのが俺の夢なんだから、もう一度日本で修行するのもいいかなと思う。
 それに親父たちの消息が今度こそ掴めそうなんだ。
 水銀燈だって、真紅ちゃんたち仲間が日本にいるから良かったんじゃないのか?
 俺よりもお前の方が喜んでいたと思ってたんだけどなあ。あっ、ちょっとごめんよ。」


そう言ってジャガイモの入った段ボール箱を取り出し傍らに置いた。

水銀燈はふわりと横の箱に飛び移って怪訝な表情をつくる。


「真紅ですって!? この私が喜んでいる? いったい何を勘違いしているのかしらねえ。
 いずれ全てのドールが揃えばアリスゲームは始まるのよ。
 そうなれば仲良しごっこはおしまいだわ。」

「おいおい、またそんなことを言う。前みたく仲良くすりゃーいーじゃんか、姉妹なんだし…。」


男は箱からジャガイモを取り出してひとつずつ丁寧に洗い始める。


「おっ! こりゃ結構いいジャガイモだな。ハハハ…。」


たわしを使ってごしごしとこすられたジャガイモを見て男は微笑む。


「おあいにくさま。私はアリスになるドールなのよ。
 また日本へ戻って来た以上、そんなのできるわけないわ……。」

(あなたがパリでいてくれさえいたら、そのまま二人で平和な暮らしを続けていたのに…。)


水銀燈はそう続けて言おうとして口を閉ざした。変わりに口を歪ませる。


「そっかー、でもまあ、なるべくなら争いごとは御免だな。桜田だって望んじゃいないだろ。」


男の表情はゆったりだが熟練した手の動きは素早く、洗われたジャガイモは次々に積まれていく。

水銀燈はその光景をさもつまらなそうに眺め、段ボール箱へ腰掛けた。


「さあねぇ。真紅のミーディアムの考えることなんてわかんないわ。」


赤い目が男を見つめる。


「なあんだ、まだ桜田んちに行ってないのか? そっかぁ、今やすでに有名人だもんな。」


男は視線を手元に集中したまま答えた。ゴシゴシ洗い、ジャブジャブ洗う。

かつての同級生の姿をテレビや雑誌で見た記憶がある。

いろいろあったがすべてはいい思い出だったし感謝もしている。彼に言わせるとお互い様だろう。

水銀燈がここにいるのも彼のおかげだ。

今では遠い存在かもしれないが、それでも友達だって胸を張って言える。


「行くわけないでしょ。そういう大和だって行ってないじゃない。」


ピクッとして大和と呼ばれた男の動きが止まる。

濡れた手のままポリポリと額をかき、顔をあげた。


「まぁー俺は、その、なんちゅうか、照れくさくってさ。
 あいつに俺は世界一のパティシエになるなんて大見得切ったもんだから。それに…。」


大和はニカっと笑って言った。


「あいつとの約束だかんな。俺の店の一番最初の客になってもらうってぇの。
 だからさ、そん時に堂々と会いたいんだよ。たぶんあいつもそう思ってるはずだ。」

「くっだらな~い。会いたいなら会えばいいじゃない。」

「そう言うなよ。男ってなぁ、そういう生き物なんだよ。よしっ!洗い終わった~。」


大和は横に置いてあったタオルで手を拭くとナイフを取り出した。

洗い終えたジャガイモを今度は皮を剥き始める。


「馬っ鹿みたい…。」


水銀燈は口ではそう言ったものの、頬がゆるんでいた。

自身でも理解できないのだが、そんな大和を見るのは悪くないと思っている。


雲ひとつない夜空にはただひとつの月が輝き、二人を照らした。

それは街灯の明かりよりも強い銀色の光のようだった。


「なあ水銀燈。今日さ、不思議な客に会ったよ。
 なんていうのか…親近感が湧くっていうか、そんな感じでさ。
 ただのサラリーマン風の男なんだけど、俺の知り合いでいたっけな?」


ふいに水銀燈の顔が曇る。

やはりドールと契約し無意識の海に足を浸した者同士、
何か通じるものがあるのかもしれないと水銀燈は思った。


「ああ…あの人間ね。」


水銀燈はぶっきらぼうに答えた。

出来ることなら関わってほしくない相手だからだ。

それを聞いた大和は顔を上げて意外そうに水銀燈を見つめる。


「そうだよ、知ってんのか? 誰だっけ? 俺のクラスメートにしちゃだいぶ年上っぽいけど。
 なにかでお世話になった人かなぁ。でも高鷲…だっけ。そんな名前は記憶にないしなあ。」


水銀燈は大和といきなり目が合って動揺した。こんな大和の反応は初めてだった。


「さあ? あなたとの関係なんて私が知るわけないじゃないの。
 でも…そうね。あれはミーディアムだわ。たぶん…翠星石の…。」


動揺を悟られまいと水銀燈はそっぽを向いて答える。

嘘はつかない。でも話したくなかった。それだけに水銀燈は素直になれない。

翠星石が自分から戦うとは思えないが新たな敵になりうる存在を認めないわけにはいかない。

何よりもドールが契約する本当の理由を考えると複雑な気持ちになる。


(これでまたアリスゲームの再開が早まる…。)


水銀燈にとってこれほど喜ばしいことはないはずなのにいつからか胸が痛むようになった。


窺うように横目で大和の顔を見ると水銀燈の憂いなどどこ吹く風のように、
大和はパーッと目を輝かせた。


「そっか、翠星石ちゃんのか…。とうとう見つけたんだな、翠星石ちゃん。」


大和は喜びを隠せない様子でにんまりと笑った。

大和の頭の中に楽しかった思い出が甦り、悲しかった別れの記憶まで呼び覚ます。

自分だけにこっそりと打ち明けた本当の理由は理解できなかったが、
最後に翠星石が言った言葉は覚えている。

『大和の作ったケーキ、美味かったですよ。でも翠星石には足元にも及ばねぇですぅ。
 もっと精進して美味いのを作りやがれですぅ。そしたらまた食いに来てやるですよ。』

その言葉があったから自分は続けているのかもなと大和は思った。


「桜田んちを出て行く時はなんでだと思ったけど、よかったじゃん…って、ああっ!」


突然の大声に水銀燈は驚いて大和を見る。


「何よっ?」

「しまったー! そうとわかってたらもう少しサービスしとくんだった。ハハハ…。」


その笑い声に肩の力が抜ける。

まったくこの人間ときたら能天気にも程があるとでも言いたげな顔をして苦笑した。


「ふん。馬っ鹿みたい。なんにせよたいした事ないわ。
 ただの人間、それもつまらない人間だもの。でも…。」

(でも、大和の言うとおり、あの人間には何かある。気になるわね…。)


水銀燈は大和とは対称的によくない何かを感じ取っていた。

それは翠星石が一人でマスターを見つけたという事実に違いない。

あの男の指にはめられた契約の指輪はドール1体分だったからだ。

では蒼星石は別のマスターを見つけたのだろうか。水銀燈はそれが気になった。


(まあいいわ。私とマスターの前に現れたらジャンクにしてあげるだけだから…。)

(そう…、誰にも邪魔させない。これは私たち二人だけの生活…。)



「そんなことないさ。真面目そうないい感じの人だったけどな。しっかりしてそうだし…。」


水銀燈の想いなど想像もつかない大和は再びニンマリ笑ってジャガイモを剥き始める。


「また来るかなぁ。できれば翠星石ちゃんも連れて来てほしいなぁ…って、おい?」


再び、手を動かしながら大和はつぶやいた。


水銀燈は立ち上がった。伸ばした黒い翼が月光にきらめく。

その姿は闇に浮かぶ天使のようであった。


「大和、先に帰ってるわよ。あなたもさっさと仕事終わらして帰ってきなさい。
 そうね。今夜の食事はその玉ねぎを使って作ること。いいわね。
 それとデザートは…、ショーケースの右端にあったアップルパイでいいわ。」


水銀燈はそう言って飛び立っていった。

大和は立ち上がってポカンとそれを見送っていたが、やがてその姿が闇に溶け込むと
やれやれと腰を下ろした。


「ハハハ、まいったな、これ店のなんだけどなあ…。それにアップルパイか…。
 まだ残ってたっけ? あれ、確か完売してたはずじゃなかったか?
 まぁいいか。いつも残りものだもんな。今日くらいは特別サービスしてやろう。
 パイ生地があったはずだから、これから焼いて帰るとしよっか。
 なんたって翠星石ちゃんのマスターと出会った記念日だもんな。
 さっさとこっちは片づけるとするか…。」


積まれた段ボール箱を見て苦笑する。


「まだあと1箱残ってるんだけどな…。」


再び大和は水銀燈が消え去った夜空を見上げた。その姿は当然見えない。

夜空に向かって笑顔でそっとつぶやく。

「まっ、いいか…。あと一箱くらいすぐに出来るだろう。
 なんにせよたいした事ない。」


                     END





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最終更新日  2007/03/07 01:48:13 AM
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