「パリは、想像力をかきたてる、階段の町である。(中略)
その豊かさのほどときたら、
小説家ならその手すりにふれる時はかならず、
登場人物のひとりがささやきかけてくる言葉を聞き、
その顔がちらりと見えてくるほどのものなのである」
そして、京都もまた、階段の街です。
今年は、京都とパリが姉妹都市になって、50年になるそうです。
京都・パリ姉妹都市は、1958年に締結されました。
当時の高山義三京都市長(故人)の回顧録によると、
世界ペンクラブ会長で、美術館館長であったシャンソン氏が
こう言って、パリの市会議員を説得したそうです。
京都にこそ日本の文化がある。
文化の交流を目的とするなら、
京都をおいて他にない*
(*ただし、現在は、東京もパリの姉妹都市です)
そして、1996年、フランス大使館で開かれたレセプションで
シラク仏大統領が京都市長に囁いたそうです。
京都・パリ姉妹都市40周年を記念して
パリのセーヌ川に架かる
ポン・デ・ザール(芸術橋)を鴨川に架けてはどうですか?
喜んだ市長は、早速、三条・四条間でのポン・デ・ザール建設を発表しました。
(ホイホイとすぐ話にのる市長も市長です)
確かに、一部には、歩道橋の要望はありましたけれど、
誰もフランス風の鉄の橋になるとは、考えてもみませんでした。
フランス風だと、アーチ橋のため、
鴨川の他の橋より高くしなければなりません。
四条からの眺望が心配です。
そして、先斗町の料理屋の女将さんからしてみれば、川床が台無しになります。
川幅も広く、深く、船の行き交うセーヌ川に架かる橋は
すべてアーチ橋で統一され、中高層の町並みと調和を見せています。
ところが、鴨川は桁橋で統一されることで、北山、東山を映し出します。
(たまたま、通りかかったら、時代劇の撮影をやってました)
もし、セーヌ川に三条大橋のレプリカを架けるとなったら
パリっ子たちは、何と言うでしょうか。
擬宝珠のついた橋が、パリに似合うはずがなく、
きっと大反対運動が起こるにちがいありません。
京都のポンデザール計画は撤回されました。
都市開発は、もちろんパリでもかなり進んでいます。
しかし、パリの街は
厳しい建築基準が定められている為
超高層ビルが、町のど真ん中にそびえたりはしないし、
セーヌとエッフェル塔、
ルーブルに凱旋門、
コシュルジュリーなどの建築物など
高さなどが、緻密に計算されていて、
その枠の中はもちろんそこから見える景観にまで
厳しい規則があります。
しかし、京都はといえば、
1990年代に、京都駅改修をはじめ、高層建築の制限を緩めた時期がありました。
そのために、高層ビルが、視野をさえぎるようになりました。
京都に観光にいらして、
美観を損ねる建物、
そして広告が、
あまりにも多すぎることに気付いて、
興ざめされたこともあるかもしれません。
情けないことです。
ようやく、昨年、やっとのことで、古都の景観を守るため、
建物の高さや屋外広告物を規制する新景観条例が施工されましたけれど。
でも、ちょっと遅かったかもしれませんね。
京都には、年間、5000万人の方が、観光に来られるようです。
アジアへの韓国客は、昔は日本が一番だったのですが、
あっという間にシンガポールが上になり、中国が上になり、
最近では韓国に抜かれているようです。
10年後も、100年後も、1000年後も、
今と変わりなく、そして今以上に
京都を訪れたいと思っていただけるためには、
長年の間に培ったきた文化力を維持し、さらに高めていかなければなりません。
京都の産業とは、文化であるのかもしれませんね。
文化とは、きっと”目に見えないもの”を見る力です。
文化には、確かに目に見える儲けはありませんが、
その代り、何世紀にもわたり世界から愛されるという
金銭に替えがたいものがあるのかもしれません。
なんていろいろと考えながら、
京都駅ビルの階段ではなく、
エスカレーターを急いで駆け上がったMittiでした。
つづく