道教や儒教の思想を借りて仏教を解釈(格義仏教)し、不老長生術や黄老信仰の一つとして支那に入った仏教は、後漢の桓帝(かんてい:仏暦609-630)・霊帝(れいてい:仏暦631-652)時代に安世高(あん せいこう)・支婁迦讖(しるかしん)らの訳経僧が最初の漢訳仏典を提供しました。摂摩騰(しょうまとう)による漢訳は伝説にすぎません。安世高は安息国(パルティア)の太子でしたが、王位を伯父に譲り、出家をこころざし、諸方を遊歴しました。安息国では、部派仏教に属する説一切有部が流行していたため、世高は禅や阿毘達摩に通じており桓帝代の建和2年(仏暦611)に、都の洛陽に来朝しました。支婁迦讖は月氏の出身で支那に来朝したのは、桓帝代の末期(仏暦630)であり、安世高の来朝よりは少し遅れて洛陽に来て、初めて大乗経典を漢訳しました。PR