私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2015年09月30日
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カテゴリ: 千の朝
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 何をおいてもまず大切なのは批判的知性を養うことだ。

 これによってこそ、原因と結果の論理的つながりを認識し、外界の現実を事実に即してみつめ、子供らしい夢みがちなファンタジーの世界と峻別することもできるし、感情に流されず、思考と意志に従って生きてゆくことができるのだ。

 これに反し、日本の子供が大人になるということは、一番内側のサークルと第二の中間世界との差を学ぶことなのである。

 「オモテ」の世界の法則と義務を受け入れながら、この世界と自分の心の「裏の小部屋」との間にカーテンをひくことを学ぶのである。

 母親の背に負われている時期からもう子供たちは、母親が隣人や魚屋と喋っている時でさえ家にいる時とは態度が異なっているのを観察している。

 大部分は直観的模倣によって、ある程度は親の躾や学校の教育によって、子供たちは勘をみがいてゆき、中間サークルの複雑な人間関係の迷路の中を歩き回れるようになってゆく。

 ごく初めのうちは、外界は子供からみるとずっと高い存在だ。

 しかしいつかある時期には、早くは弟や妹の誕生によって、子供たちは新しい体験をする。「下の者」に対して愛情と恩恵を注ぐことによって「甘え」を許し、逆に彼らを自分に依存させるのである。



 しかし日本の子供が伸ばしてゆく資質は、知性や論理的思考や分析ではなく、人間相互の関係における繊細な感覚である。

 心の中のカーテンで仕切った「ウラ」の部屋に情緒もファンタジーも子供時代そのままにしまいこんでおけるから、日本人は内奥の、子供っぼい甘えの世界を一生もち続けることができる。

 心理的な「子供らしさ」の要素を日本人は無理に抑圧する必要がないし、暗いもの、薄ぼんやりした何か、アニマ的〔霊的〕なものと、思慮分別で照されている明確な意識とを切断する必要もない。

 欧米ではこのような切断が成長過程の必須条件とみなされているのだ。

 直観的、感覚的なもの、ファンタジーと非合理的なものに対する感覚などは、子供の裡には生き生きとして存在しているのに、知性という大題目の前には低い価値しか与えられず、徐々にしいたげられ、押し曲げられてしまうか、さもなくば、切り離された無意識の世界におしこめられてしまう。

 このような状態は時には忍耐強い精神科医の努力によって再び表面に引きだされることもある。

「心の社会・日本」 ロレンツ・ストウッキ サイマル出版会





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最終更新日  2015年09月30日 06時38分01秒
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