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2006年10月03日
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 三度…いや、四度伊東です。22日のNo281で「バトルロワイヤル」に関して記事を起こしましたが、今回はその続編を書こうと思います。
 今回、ケガの療養で家にいた間に、このバトルロワイヤルの小説を読み、漫画を読み、映画も見た。一貫して言える事は「それぞれの人が極限状況の中『生きる事』に対して向かい合ってきたか」に尽きるのではないか。

 ある人は自分が生きるために、あえてこのゲームに乗った。あるカップルは、お互いを殺しあうのを恐れ、心中の道を選んだ。極限状況の中、自分を見失い、精神の細さから自壊する人もいた。「まとまってこの状況を打破しよう」と呼びかけた人もいたが、一つ目の女生徒コンビは無常にも撃たれ、何人かで灯台に隠れていたグループは、一つの歯車のずれから全滅の憂き目にあった。

 印象深い生徒が何人かいた。自分のプライドを守るために折れずにたたかった千場。その幼馴染の最期を看取り、好きだった女子生徒・琴弾に撃たれた(マンガ版では違う描き方になっていたが)杉村。コンピューターにハッキングを試み、さらに手製の爆弾で攻撃を仕掛けようとした「第三の男」クールガイ・三村。堕天使・相馬は幼少期のショッキングな出来事からずれた人生に向き合い、そして死神・桐山はこの「プログラム」一の殺人者となった。
 七原・川田・典子の三人に関しては、今さら俺が語る事はない。川田が「経験者」だった事も大きいがあの極限の状況からよく抜け出した。

 三つの媒体全てを見てきたが、やはりそれぞれに着目点が違っていた。小説版は一番の基本なので…マンガ版では、3つの中では一番「少年漫画」らしく、ロマンチックな展開になっていた。(代表例としては杉村と琴弾のロマンス)映画版では担任だった男の苦しみも描かれていた(この形でなければ、北野武さんが出る意味はない)。
 この物語が世に出た頃、色々な議論が巻き起こっていた。こんなストーリーや、人を殺しあう映画を作るとは何事か、とか。私自身もこの「バトルロワイヤル」を見るまでには7、8年の月日を必要とした。実際見てみれば、人生にどう向き合って生きていくか。それを問うた物語であった。(ただし、ある程度の人間が出来ていない者には見せたくないのもまたその通りだった。映画のアンダー15指定は正解だ。)

 前回のブログでも書いたが、宗田理さんの「ぼくらシリーズ」で、人間一人では生きていけない、という教訓を学び、自分自身でも中学、高校時代と一人一人しっかりしていて、それでいてまとまりゃ強い仲間と出会えて、いい青春を過ごせたと思っている。
 バトルロワイヤルでは、本来は信じあいたいけど、何故出来たか知らない(小説にはその政策を作った者の言い分が並べられていたが…それに関しては後述します)この法律によって、殺し合いを強制させられた仲間達…これまで語った「ぼくらグループ」や「黒潮グループ」とはまた違った形で、人間の絆、というのを再認識させられた。「ぼくら」や「黒潮」でも認識できていた「人間の裏」の部分が、こっちでは主題になってしまっている。でも、繰り返しの文章になってしまうかも知れないけど、人間というのは希望がなければ生きていけない。絶望的な状況に置かれても、たたかい続けた…絶望に押しつぶされないで、という意味で、正面から向かい合った面々には敬意を表したい。


 さて、これを作った××野郎共の理屈。あまりにも長ったらしいので、このブログに引用はしないが、かいつまんで言えば以下の2つの理由だ。
1)一人一人バラバラにする事=そうすることで、頼るべきは国家だ、というのを植えつける
2)ある目的のためには、何万人もいる同年代の「1950人」だけがその対象=一般庶民の命何ざどうでもいいという態度。
 バトルロワイヤルの話を聞いて、一番むかっ腹が立ったのは、上記の2つの理由によって成り立っている「法律」の存在だ。更に言えば、一定程度の自由と安定した生活を与える代わりに、重苦しい国にしてしまうという「大東亜共和国」の存在が、どうにも許せなかったからだ。
 「大東亜共和国」は決してフィクションとは言い切れない。1)、2)で書かれていた事に思い当たる事はないか。1)に関しては、今の格差社会が生んでいる「孤独」と今の自民党政権が進めている「国家第一主義」的政策(国旗・国歌の強制のようなもの)にピンと来るものがあるし、2)に関しては「一般庶民の命何ざどうでもいい」と言う事では北九州市や秋田に代表される「生活保護切捨て『殺人』事件」や、自立も支援もしない障害者『自立支援』法を平気で進めて恥じない今の政治の流れに同じ流れを感じる。

 人間の権利は、先人たちが血を流してたたかって勝ち取ったもの。それによっかかる事無く、自律的に生かして生きて行きたい。こういう法律を現実のものにしないためにも。これがバトルロワイヤルを見ての私の感想です。三回とも、読み終わった時に目頭が熱くなるのをとめられなかった…作中の中で倒れていった人たちの無念を思うと、ね。

 追記=この記事を書いている時に、アメリカの銃乱射事件のニュースを聞いた。何の復習かは知らないが、20年前のことを根に持ち、何の関係もない人を殺してくれた。それでもって、自分で「ケリ」をつける。人の命をなんとも思わないこの犯行、そして責任を負わずにさっさと自殺してしまう無責任さには腹が立つ。だけども、勘違い起こしてはいけない。「防犯カメラ」や「武器」が事件を防ぐわけではない。一人一人の人間の自覚こそがこういう悲惨な出来事を防ぐ力になるのだ、と言う事は示し続けていきます。


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最終更新日  2006年10月03日 13時22分08秒
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