つなげ“希”動力-袖番号96、伊東勉のページ楽天版(更新停止。書庫ログ)

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2011年12月31日
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カテゴリ: 雑感・日記
 今日は12月31日です。
 3.11が引き起こした大惨事。
 あれからもうじき10ヶ月。年が変わろうとしています。

 この大災害含め、今年は自分が把握しただけでも50人以上、友人、知人と別れてしまうこととなってしまいました。このブログ、あるいはツイッターでは最後まで救援活動にあたった及川一郎・陸前高田市議、「やさしい街づくり」に心砕いていただいた中里長門・前陸前高田市長、災害と貧困に向き合った山下文男さん、野球部の後輩の中で一番頼れる漢気あふれる上館洋文君の事は書いてきましたが、この他にも塗装業17年、地道に続けることにかけて一目置いていた同級生の村上敦史君、ローソン気仙町店に寄った時はお世話になった清水昌広さんと清水美香さん兄妹。同級生ではもう一人、古澤輝子さんもなくなってしまいました。まともな会話は一度だけでしたね…。

 社会人野球・高田クラブでチームをまとめていた金野潤也君、マネジャーとしてチームを支えていた佐々木敏行さん、高校野球の同年代では及川充君、母校野球部では先述の上館君の他に小淵圭也君が、共産党・民主団体の先輩方では大船渡で畳を作りながら生活と健康を守る会会長をしていただいていた遠藤勝男さん、高田の細谷實さん、千葉教子さんがなくなられました。そして、野球と民主商工会で会う事の多かった吉田利行さん、高校後輩の出羽友和君がまだ帰ってきていません。

 心筋梗塞起こした2009年の年末にも言った気がしますが、特に今年はここまで記したように多くの人との別れをしていてからに、自分は生き残っているのはなぜか。本来であれば、あの日、あの時間は大船渡のマイヤ周辺にいたはずなのに、その日の朝に軽い発作起こして午前中の大船渡行きは見送り、いつもは病院の送り迎えのバスがある母が「悪いが今日は勉が来て」となって、午後の大船渡行きもなくなった。で、自分は助かってしまった。

震災直後の記事 を書いた後。
 あるブログで以下の要旨で私に対しての批判が書かれていた。


 俺もな、その中にいてできる事はしたかったよ!
 できるだけ多くの人の役に立ちたかったよ!
 多くの知人なくして俺が悔しくないと思ったのか。
 自分ばっかりのうのうとしていたかのような書き方しなくたって俺自身が一番悔しいんだよ!

 …頭冷やしましょう。
 身体の状況の関係で-自分が弱っていたことにショックもありましたが-常時の大船渡滞在はできず、何日かまとめて行くという形でなんとか、という状態にしていました。

 こんな俺が生きてていいやら悩まない日はありません。
 ただ、2つの事は言っていいかと思います。

 ひとつは、北上来た後も自分に対する苛立ちが収まらず「もういい、こんな俺なんか死ねばいいだろ」と言ったのを、祖母がどっかから聞いていたんですね。その祖母の一言。
 「確かに、お前が生まれるときにあきらめろ言ったのはおれだし、いまだって普通の人みたいな行動ができないのはわかっている。だが、そんなお前でも、死んだらがっくりする人は多いと思うぞ。とくに兄ちゃんと○○○(母の名前)は。」
 と。以来、自虐はしても、自殺につながる考え起こす事はなくなりました。



 しばらくツイッターで物事書いてきましたが、たとえ「世の中の流れ」であろうと、自分の納得いかないものにはキバむいてきました。自分の基準に照らして、こんでいいのかと思った部分に関しては、たとえ多数派が相手でも「違うで、これは」と言い続けてきました。
 そうでなければ、少数派ではあっても、実際起きている物事に無関心のまま物事流される…それがイコールとなって「押しつぶされる人」が出てしまう。それが嫌だから、このスタンスを取ってきました。

 「てんでんこ」の山下文男さんは、災害に関して多く向き合ってきましたが、その一方で災害が引き起こす貧困にも多く向き合ってきました。いわゆる『構造改革』路線、古くは80年代の『臨調路線』からですか。労働者・生活者が作り出す『富』が、経営者側、あるいは非就労所得者(ここでは“金融で稼ぐ人”の意)に吸い上げられてきました。それではわんないと2年前の総選挙で、政権党を変えたのですが、その民主党も結局やる事は同じ体たらく。災害でさえ自分らの利を追求する手段に使う始末です。俺はこのやり方に怒りを覚える。人によっては『時代が2世紀前に戻った』と言う人もいますが、自分は2世紀どころか、文明社会以前に戻ったと言いたいぐらい、いわゆる“強者”の行動が乱暴になっています。

 心身の状態が悪く、行動力に難は持ちますが、俺は多くの人が過剰な競争にも、戦争にも、収奪にもあわない社会のために盾になる事を、この立場をこれからも貫いていきます。

 少々取り留めのない話でしたが、2011年も何とか生き延びました。





 人生歩めなくなった皆さんの分まで、俺は歩き続けます。

 いつか“そっち”であいましょう。





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最終更新日  2011年12月31日 23時12分33秒
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